第135話 星が落ちる
「―― 楽しいそうなとこ悪いが、ここから先はまだ施工中でな。お引取り願おうか」
誰も意識していなかった虚空に声が響く。抑揚のないながら、それでもその奥にある愉悦を隠し切れない……そんな声が。
「この声、どこから!?」
「ッ、上!」
斥候の報せで全員がそっちに注目する。
「はは、もう見付かったか。目敏いいい斥候だな」
その指差す先、そこにある虚空が滲むように色付き、彼の姿が露わになる。
「そこのお二人は久しぶり、そして『陽火団』と面白そうな剣の子ははじめましてか。このダンジョンの主プレジャだ、以後お見知り置きを……ってな」
場の皆を見回し、そう努めて上品に挨拶を述べてみせて、このダンジョンの主に視線が集まる。
今のプレジャの装備は前に見た時と随分と違う。前からローブ系の魔法使いっぽい装備を着ていたが今着てそれは以前のより、さらに丈が長く足元すらも隠していた。
持っている杖も違う。やたら頭の部分が巨大で複雑な模様が不自然に刻まれた長杖は異様な威圧感を放っている。
顔もよく見ると円盤状の何かが片目を隠しており、その表面に魔法陣のような幾何学模様が描かれていた。よく見ると円盤は目の数ミリ前を追従するように浮遊していて装着されているわけではないらしかった。
一行はその姿を見て愕然としていた。
ただ、それは彼の見た目のせいでも、突然何もないところから現れたからでもない。彼が現れたその場所が――
―― 遥か高い空中だったからだ。
「うそ、飛んでる……」
「おいおい……」
飛行魔法。
当然の話なのだが、《イデアールタレント》でもそれはゲーム始まって以来多くのプレイヤーが研究、検証を繰り返している分野のひとつだった。
思考操作システムという自由に物語の中の魔法を再現出来る代物あるのだから、誰もが魔法で空を飛んでみたいと思うのは自明の理。
大空に夢を見ることはどこの時代においても需要が尽きるなんてことはないのだから。
「どうせはったりよ、重力操作で適当に浮いてるだけ!」
そしてマシュロもまた飛行魔法に挑戦し……失敗したひとりでもある。
彼女が多くの属性の中でも風属性にビルドが傾いたのも実はその辺に理由があったりする。
だからこそ、その難しさを誰よりも思い知っているのだ。
なのに……前に見た限り魔法の腕では自分より劣るプレジャがそれをやすやすと行っているのに納得がいくはずもない。
「今から叩き落としてやる……!」
気炎を上げたマシュロの魔法が飛ぶ。相手が一応空中で避けることも見越して広めに強風を撒き散らす形で。
それを空中をスライドし、危なげなく躱しながら軽口を叩くプレジャ。
「それぐらいは織り込み済みよ!」
そこへすでに照準を合わせたマシュロの魔法がさらに飛ぶ。
「おっと、危ない危ない」
移動先にまるで吸い込まれるように飛んでくる色付いた風の球体の群れを、今度は急制動からの急浮上で難なく躱す。
「掛かったわね!」
今まで避けて明後日の方向に行くはずだった強風と風の球体が取っ返してきて、死角からプレジャを包み込む形で迫る。
「さらにおまけ!」
それに加えて天に蓋をして逃げられなくするため、上空の風を塊にし鎚が如く振り下ろす。
「お姉ちゃんには遠く及ばないけど、私もこのぐらいいけるのよ!!」
マシュロ渾身の
3つの思考を同時かつ明確に行う。言うは易いが、そこそこの上級者でもこれはかなり難しい技術だ。
上には逃げられない。別の方向に避けようにもすでに下も横も細かく別れた魔法で囲まれている。普通に考えればもう詰みでしかないが……。
プレジャは避けられないと見るや魔法に正面から突っ込み、その隙間をスルスルと抜けて射線から逃れる。それも、まるでちょっとした人混みを避けて通るような滑らかな動作で。
「そんなっ!?」
決して密度が低かったわけではなかった魔法の弾幕をいとも容易く突破されたことで、マシュロが驚愕の声を上げる。
そしてその光景を見ていた他の人たちもそれは同じ。
「風魔法の弾幕だぞ、なんつー速度で精密飛行してるんだ!」
「す、凄い……」
「あんな高度な飛行、一線級の魔法使いでもまだ無理なのに……どうやってるのかしらね~。……まあそれも」
皆と一緒に驚き声を上げながら、クラリスがニヤリとほんの僅かだけ、口の端を釣り上げる。
彼女の視界……正確にはシステムUIのマップに自分のクランメンバーの斥候が戦いに気を取られているプレジャの背後に回り込み、すでに敵のいる高さまで音もなく飛び上がっていたから。
マシュロが暴れ始めた時からずっと掛けてた隠密系スキルとクラリスの他にいた、もうひとりの『陽火団』メンバーが掛けた光属性魔法での光学迷彩まで用いた斥候の奇襲。
―― 完全に取った!
『陽火団』メンバーの誰もがそう思っていた瞬間。
プレジャの目にあった円盤がギラリときらめいた。
「丸見えだ」
「ッ!?」
どういう訳か奇襲はあっさりと見破られて、逆に長杖の石突きを斥候の鳩尾に突きこまれてしまった。そのまま斥候は落下して、受け身も取れずに床に転がる。
「なに、これ……」
「大丈夫!?」
「だめ、動け……ない。からだ、重いー」
クラリスともうひとりのクランメンバーが慌てて駆け寄ると何か斥候の様子が変だった。
それで斥候の攻撃された箇所をよく見ると、これまた謎の幾何学模様……魔法陣が打ち込まれておりこれで何かの魔法が定着しているのが分かる。
それのせいか、斥候の彼女は「……重いー」と繰り返しながら、何かに押し潰されてかのように地に伏している。
「何この魔法陣……こんな形見たこともないわ」
自分も『陽水』を作る際に魔法陣を使うクラリスが見てみるも、まったくの未知のもので対処法が分からない。
それもそのはず、通常の魔法陣は既製品を買うだけのものと思われているのだから、オリジナルの魔法陣の対策などそう簡単に出る道理もない。
「このっ!」
「おっかないな……そんな物騒もの向けて」
そのことに激昂したクラリスが『陽水』からレーザーを取り出し、発射する。
だがこれも簡単に散らされてしまう。恐らく周りにそういう光属性魔法を張り巡らせたのであろう。
このように『陽水』のレーザーは本来こういう同属性に高い適正がある相手には相性が悪い。完全な掌握がほぼ不可能に近く、操作難度も高い光属性魔法は少しの干渉で案外あっさりと構成を崩れるのだから。
だからこそ斥候に奇襲を仕掛けさせたというのに……失敗しただけでなく、全力がひとり減ってしまった。この状況でこれはかなりキツい。
ただし斥候の奇襲が完全に無駄だったわけでもなかった。
持った短刀の刃が直前に振るわれたのか、ローブの足周りの裾が切り裂かれいた。その結果、下に隠れていたものが晒される。
「あんた……その脚っ!」
「ああ、これか。イかすだろ? これのお陰でちょっと無茶してもバランスを崩さないで済む」
剥き出しになったそこにあったのは……歪な機械の脚。
それも両足がそれぞれ脚の付け根からすべて機械と化していた奇っ怪な姿だった。
形からしてとてもではないが普通に歩けるとは思えない。
つまりプレジャは精密飛行をものにするために、自分の身体を切り分けて改造した……普通に歩くことを放棄してまで。
いくらゲーム上のデータ、仮初めの身体とは言え完全没入型でそこまでするのかと、場にいる全員が息を呑む。
「さて、大体のお披露目も済んだことだし……そろそろ仕上げと行こうか」
プレジャがそう言うと同時に今まで『映身』で隠れていたとあるモノ……長杖を軸にして透明な光の輪が出現する。輪の中には何かが高速で回転しているのだが……。
「なんだ輪っかは?」
「変な模様ね……」
……それの回転速度はあまりにも速く、傍から見れば1本の線にしか見えないほどだった。
その輪の形が少しづつ変化していく。
「ッ、させない!」
「よく分かんないけど、あれなんかヤバいって!」
「皆、アレを撃たせては駄目よ!」
何故か、それに言い知れぬ不安感に駆られた何人かがプレジャの行動を止めようと、自分が持てる限りの攻撃手段で仕掛けるも……。
……それらすべてをまた空を舞うように悠々と避けられて―― 彼は告げる。
「―― 落ちろ」
光の輪に開いた射出口から、中で回っていた物体が滑るように飛び出す。
一瞬、眼球を焼き尽くさんばかりの閃光が辺りを支配した。
次の瞬間には空気が粉々に砕かれた轟音とそれとは別の壮絶な破壊音がすべてを包容するが如く鳴り響き、収まった時には――
「では、本日はさようなら。そして我がダンジョンのまたのご利用をお待ちしてます」
―― ボス部屋にいた人物はこのダンジョンの主を除き、塵ひとつ残さず一掃されていたのだった。
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