第49話 ベルゼブブの食気

「ラララ~~♪ ランララ~~♪」


 岩壁に囲まれた渓谷を、鼻歌を歌いながら歩く女がいた。

 恰幅のいい体系。

 大きな赤のワンピースの上に、真っ白なエプロンを付けている。

 頭には赤い頭巾を被っている。

 格好は赤ずきん。見た目は……言うなれば"お母さん"?

 いや、どちらかと言うと"母ちゃん"だ。

 えらく上機嫌のように見えるが、これがスタンダードだ。


 だがこの女性、人間ではない。

 まず見た目からして違う。

 一言で表すなら、二足歩行をするイヌ。オオカミ女。そんな感じ。

 手と足は人の骨格と同じようだが、皮膚はフサフサの毛で覆われて、顔もイヌそのもの。


 そんな女性がなぜこんなところを歩いているのか。

 その目的は、彼女の目の前にある。


「あらあら、ようやく見つけた。探してたのよお!」


 破顔して喜ぶ女の前にいるのは、AAA級モンスター<ミノサイクロプス>。

 ミノタウロスとサイクロプスの混合種であり、その獰猛さと俊敏さはキング・オーガをはるかに凌ぐ。

 混合種ゆえにあまり見かけることは無いが、出会った冒険者が生きて帰った記録は特に少ない。


「フシュウウウウ!!」


 大きく鼻息を立てると、その怪物は女に容赦なく襲い掛かる。

 キング・オーガの二倍のスピードで移動し、三倍の暴力を振るった。



「あらまあ、生きのいいこと!」



 それはミノサイクロプスが最期に聞いた言葉だった。

 一瞬だけ見えたのは、女が五指を向けたことだけ。

 それが見えた途端、自分の身体は五つに切り裂かれていた。


「今日はあの子も喜ぶわあ!」


 五本の鋭利な爪から滴る血が、地面に弾ける。

 女の表情は、一ミクロも変わらず笑顔のままだった。



 ***



 渓谷の上にある木造の別荘。

 決して広いとは言えないが、不自由はない。

 ギーコ……ギーコ……と、古いロッキングチェアを揺らしているのは、真っ白な肌の少女。

 長い金髪、緑色の瞳、青いワンピース、そして手にはクマのぬいぐるみ。


「……………………」


 少女は虚空を見つめたまま、ただただ椅子を揺らすだけ。

 それを数時間も継続している。

 何が楽しいのかわからないが、少女は飽きずに毎日繰り返している。


「ただいまあ! ごめんねえ、待たせちゃってえ!」


 そこへ恰幅のいい女性が入ってくる。

 狩りのせいで着ていた白いエプロンは真っ赤に染まり、籠にはグロテスクに刻まれた食材ミノサイクロプスが入っている。


「……おかえり」


 少女は椅子を揺らすのをやめて振り返る。

 女性の姿を見ても、ピクリとも表情を変えずに帰りの挨拶をした。

 そんな少女をお構いなしに女性はそそくさとキッチンへと向かった。


「今日のごはんは、あなたの大好きなハンバーグだから楽しみに待っててねえ」


 女性がそう言うと、少女はそこで初めて、表情を変えた。


「……! はんばーぐ!」


 目をキラキラさせ、椅子から降りてテーブルに着いた。

 まだ時間がかかるのに気が早い。

 けれど少女にとっては退屈ではない。

 空腹時に料理ができるのを待つのも、少女にとっては食事の楽しみであった。



「ラランラ~~♪ ンラララ~~♪」


 鼻歌を歌いながら調理する犬頭の女性。

 ミノサイクロプスから血を抜き、皮を剝ぎとる。

 下処理を終えたら、肉を細かくミンチ状にする。

 卵、パン粉、牛乳等のつなぎと調味料を合わせてよくこねる。

 食べやすい大きさに整えると、それをフライパンで焼いた。

 それを繰り返して、ミノサイクロプス一頭全て焼き上げる。

 仕上げに特製のソースをかければ、絶品ハンバーグの完成だ。


「はあい。できたわよお!」


 皿に盛られたハンバーグから立ちのぼる湯気が鼻孔をくすぐる。

 肉の香りが脳を刺激し、胃袋はこれでもかと音を鳴らした。


「……わぁ~~~~!」


 先ほどまで無表情だったのが、別人のように目をキラキラさせ、口から涎が滝のように流れ出る。

 そんな少女の口をハンカチで拭く女性の顔は、さらに喜びを増す。


「さあどうぞ、召し上がれ!」


「……いただきます!」


 ナイフとフォークを手に取り、少女はハンバーグを一口。


「~~~~~~~っっ!!」


 手足をじたばたと動かし、頬が紅潮する。

 目は愁いを帯び、恍惚とした表情で天を向く。


「……おいしい~~~~~!!」


 そこから怒涛の勢いでハンバーグを貪った。

 リビングには、少女の声だけが響く。


 おかわり!

 おかわり!

 おかわり!

 おかわり!

 おかわり!

 おかわり!

 おかわり!

 おかわり!

 ・

 ・

 ・

 ・

 ・

 ・




 おかわり!





 ***




「……ごちそうさまぁ~~」


 百個以上のハンバーグは、ものの数分で無くなった。

 途中からナイフとフォークを使うのが面倒になり、素手で食べだしたせいで手も口もソースだらけだ。

 青いワンピースのウエスト部分は、妊娠したかのように膨れている。


「はあい、お粗末様あ」


 女性は少女の手と口を拭き奇麗にすると、キッチンでお湯を沸かし始める。


「食後の飲み物は何がいい――アリスちゃん?」


 名を呼ばれた少女――アリス・ワンダーランドは少し考えた後、

「……ここあ」と答えた。


「はいよ」と女性はカップを取り出し、準備を始めた。



 ***



 テーブルに置かれたココアの香りを楽しむアリス。

 女性も、少女と一緒にティータイムを楽しもうとした時だった。

 アリスと女性は小屋の外から気配を感じ取る。


「あらあら、ミノサイクロプスの群れかしら? 敵討ちみたいね」


 僅かな気配から種族を導き、微量に感じる殺気から目的を察した。

 やれやれ、と女性が席を立とうとする――が、それを止めたのは少女だ。


「……アリスがやるよ……アンブレラはまってて」


 アンブレラと呼ばれた女性は了承しつつ、一つだけ苦言する。


「もうアリスちゃんったら! わたしのことはママって呼んでって言ったじゃない!」


 プンプンっ! と鼻から息を吐くアンブレラに、アリスは少し恥ずかしがりながら、

「……ごめんなさい、ママ」と謝った。

 するとアンブレラはたちまち気をよくする。


「よろしい! いってらっしゃい、アリスちゃん」


 アリスは頷くと、壁に掛けてある"ノコギリ"を手に持ち、小屋の扉を開けた。



 目の前は真っ暗で何も見えない。

 しかし、複数のミノサイクロプスの視線を森の奥から感じた。

 AAAクラスのモンスターであれば、普通の冒険者なら一体だけでも絶体絶命のピンチであろう。

 しかし、アリスにとって、今の状況は大したピンチでもない。

 むしろ絶好だ。

 何せ目の前に――


 こんなに大量のがあるのだから。


「………………」



 少女は何も言わずに、恐れることなく突き進む。

 ただ、獲物を求めて奥へ奥へと歩を進める。


 気付けば沢山の木々と、怪物の群れに囲まれていた。



 ――時刻は夜


 ――今宵は新月


 照らすあかりは無い。


 真っ暗な闇の中で、少女の目だけが――怪しく光っていた。



「……狩るよ――暴食の魔剣ベルゼブブ



 その声に呼応するように、魔剣が胎動した。




 ***





 暗い暗い森の中。

 その中で、ポタリ……ポタリ……と血が滴る音が響く。

 ノコギリの形をした武器、暴食の魔剣ベルゼブブから滴る音。

 血の正体はもちろんミノサイクロプスだ。

 合計10体。

 一つの傷を負うこともなく、返り血で服も髪も真っ赤になった少女。


「……おなか、すいた」


 アリスは近くで転がっている死体に近づくと、目玉を一つ抉り出す。

 赤く染まる手など気にせず、少女はそれを口に入れた。


「……おいしい」


 飴のようにコロコロと口の中で遊ぶ。

 死体の上で体育座りをしながら味を楽しんでいると、突然頭に鈍痛が響く。

 頭をさするアリスの後ろで、アンブレラが腰に手を当てながら立っていた。


「もうアリスちゃん! 生で食べたらいけないって言ったでしょ!」


「……おいしいのに」


 残念そうに口からミノサイクロプスの目玉を出す。

 もっと味わいたかったが、これ以上怒られるのも嫌なので仕方ない。


「……でも、もうすこし優しくしてくれてもいいとおもう」


「これでも拳骨はセーブしてるさ」


「……魔王アンブレラ=サファイアは、もっとてかげんすべき」


「Sランク冒険者にはこれくらいが丁度いいの!」


 軽く言いあいになるが、最後は手をつないで、小屋へと戻っていく。

 その姿は魔王と冒険者というより、本当の母と娘のようだった。



 ***



 お風呂に入ったあと、二人でとあることについて話す。

 それは、同じSランクの話。


「……アキラがまけた?」


 表情は変わっていないが、内心では相当驚いている。

 その話は、アンブレラの眷属が聞いていた。


「ええ。自分から喧嘩を売って、負けて、謹慎をくらったらしいわよ」


「……………………プッ」


 見事に返り討ちにされたことが、アリスの無表情を崩した。

 だが、すぐに戻すとアリスは質問する。


「……どんな人なの? アキラをたおしたのは」


 実力に差はあれど、同じSランク冒険者。

 多少は気になるのがさがだ。

 アンブレラはティーカップに少し口を着けた後、質問に答えた。


「たしか……だるんだるんのシャツを着た、若い男性らしいわよ」


「……?」


「いや、らしいわよ?」


 あまりピンときていないアリス。

 だが、次の言葉がアリスの意識を変える。


「それと――クマを肩に乗せてるって」


「……っ! くま!」


 瞬間、アリスの口から大量の涎が垂れだした。

 目もギラギラになり、瞳孔が開く。


「……くま……たべたいっ!」


 娘の純粋な欲望を受けた母は、ニッコリと笑みを浮かべる。


「そう……クマが食べたいのね」


 するとアンブレラの身体に、狂気のオーラが纏われる。

 オーラにあてられ、近くにあったティーカップが弾け飛んだ。


「じゃあ――次の夕飯えさは決まりね」


 その言葉を聞いて、アリスは唇をつり上げた。

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