冒険者「鬱なんです」獣人「躁なんですね」
体調が悪い日のリュカは一日中寝台の上に横たわって、食事や排泄はどうしているのかと心配になるほど微動にせず、ただ部屋に籠り続けていた。
セムカカはそんな彼を心配してあれこれと世話を焼くのだけど、当のリュカは呼びかけにも答えず虚空を見つめ続けるか、布団を頭から被って短いうめき声で返答をするばかり。それでも彼女は、日に一度、必ずリュカの様子を見にやってくるのだった。
死人のような状況は一週間ほど続くのだが、ある朝、リュカはセムカカより早く起き出して、溜まっていた洗い物や部屋の掃除を済ませ、コーヒーだの朝食だのを用意してセムカカを迎える。
この時の彼はいつもより溌溂として活動的だ。無精髭を剃って、いつもよりよく話し、日がな中薪割りだの買い出しだのに赴く。塞ぎこんでいる彼とはまるで別人のように陽気で快活なふるまいをするようになる。
けれど、やっぱりセムカカはそんなリュカのことを心配しているのだった。嵐が近づきつつある初夏のこと、前触れもなく出かけたリュカは暗くなっても帰ってこず、明朝、暴風と大雨で荒れる海岸の淵にまたぼんやりと立ちすくんでいたことがある。
そのようなことが何度かあり、彼が活動的になるたび、セムカカは苦心して彼を探し、連れて帰るのだった。その時のリュカは、昼間とは打って変わって魂が抜けたように放心している。
それでも、泣いて縋り付くセムカカを弱々しく抱きとめるのだった。
調子が悪い時も良すぎる時もこんな有様なので、リュカはもちろんまともな仕事についていない。多少調子のいい日に、住み込みの冒険者ギルドを手伝うくらいだ。
だが、そういうときのリュカはいたって冷静かつ知的、物静かで親身という、それまでと全く違う風貌を見せる。このときのリュカは頭もキレるので頼りになり、セムカカがリュカを見限っていないのは、まさにこうした理由だった。
蛮地生まれの獣人セムカカは学がなく、文字も読めなければ指を使った計算すらままならない。そんな彼女が奴隷商の元を逃れて街で生きるためには冒険者にならざるをえなかった。だが、等級が上がり、未開拓のダンジョンを攻略する依頼に取り組んだ時、彼女はその学のなさから罠にかかり、左腕を永久に失うことになった。
その時彼女の命を救ったのが同じ隊にいたリュカである。そのころから彼はムラっ気が強くて隊の中でも浮いていたのだが、こうして有事に陥った際に一番冷静で的確な判断を下した。他の二人が名誉欲から続行を宣言する中で、リュカはセムカカの安全のために撤退すると譲らなかった。
リュカとセムカカは隊から除名された。二人の出自(元奴隷と精神的にアレな人)を知るギルドが、冒険者を続けられなくなったことを鑑みて従業員として雇用してくれることになり、等級に応じた保険やら蓄えていた財産やらを使ってこうして暮らしているという次第である。
セムカカが甲斐甲斐しくリュカの世話を焼くのは、彼が獣人であることになんの頓着もせず接したことと、腕を失って日常生活に難儀する彼女に辛抱強く付き合ってくれた恩に由来する。
ちなみに、二人を切り捨ててて探索を強行した残る二人は無事死亡した。リュカとセムカカは、半年が経った今でも毎週の墓参りを欠かしていない。
ところで、リュカはセムカカを「師匠」と、セムカカはリュカを「先生」と呼んでいる。リュカは武器の扱いをセムカカに習い、セムカカはリュカから算術や読み書きを教わっているからだ。
教育を受けるためには王侯貴族、または豪商や大地主のような金持ちでもない限り難しいというのに、どういうわけかリュカは非常に学識に秀でていた。四則演算や読み書きはもちろん「疲労困憊には糖蜜が効く」「熱にやられたときには水だけでなく塩も与えよ」といった医術の類すらも、限定的ながら知っていた。
こうした学識は魔法とセットであるのが常なはずだが、なぜか魔法の類が一切使えないというのも、彼の謎を深めていた。ともあれ、彼の知識はギルドを通じて広まり、巷の風説「『双子座』に賢人あり」の賢人とはリュカのことを指す。
ちなみに『双子座』とは彼らが働く冒険者ギルドの名である。
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