よっつめ

 その言葉を聞いたのはいつだったか。あまり覚えていない。

 覚えているのはその少女が酷く悲しそうな顔をしていたこと。小さく主張するように僕の服の裾を握っていたこと。そしてどこか震えたその言葉。ただそれだけ。

 覚えていないことの方が多いのに、記憶の中に残っているその情景は何かを訴えてくる。それが何なのかはよくわからないけれど。

「なあ」

 ふとした拍子に思考が飛んでいた僕を目の前の友人が引き止める。確か会話の途中だったはずだ。軽く謝ってから友人の話に時折相槌を打ちながら耳を傾けることにした。

 何気ない、大したことない話。今日の授業はどうだっただとか、ゲームのし過ぎで寝不足だだとか。そんな世間話に耳を傾けながら課題を終わらせていく。目の前の友人の手も動いているから本当にただの暇潰しなのだろう。だからこそ僕も適当に相槌を打てる。

 そうして課題が終わりに近づいた時。友人がふと声を上げる。少し無言になった後のことだったから何か言いたい世間話でもあるのだろうなと耳を傾けていればすぐに友人はこちらに話を振ってくる。ただその内容はどこか友人らしくない内容だった。

「なあ、渉。お前、柊木優香って子知ってるか?」

 ズキリと頭が痛む。だけど理由がわからなかったから、その痛みに対しては何の反応も示さずに答えた。

「柊木優香? 誰それ」

「だよなぁ。俺の友人にそういう名前の女の子がいるんだけど、その子がお前と会わせて欲しいって。なんかお前の昔の知り合いなんだとよ」

「……へえ?」

 先程思考を飛ばした時に考えた少女のことかと思ったが、そんなことは無いだろうと心の中で首を振る。

「会ってみるか?」

「……うーん、ちょっと気になるし。会ってみようかな」

「わかった」

 そう言うや否やスマホを取り出して何か操作をする友人に「今すぐは無理だよ?」と念の為伝える。そうすれば砕けた口調で返ってきた肯定の意にホッと息を吐き、あと少しで終わりそうな課題に手をつけた。

 数分スマホを操作していた彼は小さく確認の単語を呟いてからスマホをポケットの中に入れる。視線は課題に向いたまま「どうだった?」と聞けば「明後日会えるってよ」と返ってきた彼の言葉に大丈夫と頷いた。

「さっき聞いてたから大丈夫だと思ってたから入れちった。まあその様子からすると大丈夫なんだろうけどよ」

「うん、全然大丈夫だよ。その日何の用事もないし。課題もこれが最後だから、後は夏休み満喫するだけ」

「マジかー。俺、まだ何個か終わってない課題あんだよな……」

「じゃあお先に失礼します」

「はは、うらやましーっ」

 その後は代わり映えのない世間話をして、最後に柊木さんと会う時の待ち合わせ場所を聞いて終わった。連絡先は申し訳ないが当日でもいいかとの連絡が来ていたらしいので、大丈夫だと友人に伝えて帰ることにした。友人はいつも通りだったから、危ない人ではないだろう。そう考え、その日は眠りにつくことにした。

 次の日はバイトの日だったから粛々とこなして次の日。柊木さんと会う日になった。

 服は普段通りラフな格好にして待ち合わせ場所に向かうことにした。待ち合わせ場所は全国展開している喫茶店。どこかお洒落っ気のあるそこはいつもは行かない場所だが、きっと話をするにはうってつけなのだろう。そう算段をつけ歩いて向かう。駅近だからと伝えられたそこは正に駅から近くて、驚きながらも店内に入る。呪文のような商品名を伝えてお金を払ってから出来上がるのを待って受け取る。そうしてからどこに座ろうかと振り返れば、「荒木君」そう声が聞こえて思わず聞こえた方を見れば可愛らしいワンピースに身を包んだ女性の姿があった。

「……柊木さんですか?」

「そう、です。私が柊木優香です」

 コクコクと頷く彼女によかったと人知れず息を吐きながら彼女が座っていた席の目の前に座る。どうやら彼女は2人席を選んでいたようで、ちょうど正面に彼女の顔が来るようになっていた。

 飲み物を少し飲んでから置いて声をかける。

「ごめんなさい、待たせましたか?」

「いえいえ。全然待っていないです。さっき来たばかりなので!」

 そう控えめに声を出した彼女は少し俯きがちだ。緊張しているのだろうか。それでも僕を呼んだのは何故だろうか。少し謎に思った僕は問いかけることにした。

「えっと、今日はどんな用事が?」

 直球になってしまったが。

「あっと、青木君には伝えたんだけど、私、あなたのことを知っていて」

「うん」

「その知っていてって言うのが小さい頃の話なんだけど……」

 少し逡巡するように視線をうろつかせた。けれどすぐに意を決したように視線をこちらに定めてこう口にした。

「……えっと、単刀直入に言うね。荒木君は、私のこと覚えてる?」

 正直に首を横に振る。すると彼女は諦めることなく続いて言葉を発した。

「この勾玉、覚えていない?」

 彼女が鞄から出した物を机の上に置く。そうして見えた物に酷く頭が痛む。何かを思い出そうとするかのように思考が回って、ーーそうして見えた景色にハッと息を飲んだ。

 そこはどこかの家の部屋の中だった。否、どこの家か思い出した。幼少期に住んでいた家の子供部屋。そこで僕は例の少女と相対して、そしてーー

「大丈夫?」

 声が聞こえて現実に戻ってくる。目の前にいた柊木さんーー否、幼少期に出会ったことのある優香ちゃんは心配気な表情をしてこちらを伺っている。「大丈夫だよ」そう声をかけてから酷く喉が渇いたことに気がついて、買ってきた飲み物を手に取って喉を湿した。

「……思い出した?」

 今度は不安そうな表情をした彼女はこちらの顔を伺う。ただ静かに頷けば彼女は嬉しそうな、けれどどこか申し訳なさそうな表情をして声を出した。

「ありがとう。えっと、じゃあ改めて言うんだけど、」

 そう口に出すと逡巡するように言葉を止めて、そして言葉を発する。その言葉は既に知っているもので、それに対する返事もあの時にもう決まっていた。

「ーーあいして、ください」

「もちろん。僕でよければ」

 驚いたように目を見開いた彼女は、すぐに目の縁に涙を溜めて悲しそうに顔を歪める。そうやって口に出そうとした言葉を僕は人差し指で止めた。

「ダメだよ。僕は、望んでいるのだから」

 わかるように、そう言葉を途切らせてから紡げば彼女は涙を零してしまった。その涙を指ですくってから口にする。

「遅くなってしまってごめんね。僕が、髪の一本まで愛してあげる」


 静かに涙を零す彼女に、僕も静かに笑った。

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