白百合、蒼空に舞う

崖だった。マツリちゃんに手を引かれ、何とか険しい山道を登ってきた先に広がる眼前の光景。崖。断崖絶壁。申し訳程度の転落防止のロープ。

「…死ぬ気?」

「んなわけねーだろバカ」

べちんと頭をはたかれる。痛い。

「ええ…死ぬ以外にこんなとこ来ることある?」

「あるから来てんだろ」

「あっ、ちょ、それ以上行ったら危ないよ!」

「大丈夫だよ。落ちやしない」

「そんなん言ってる人が一番危ないんだよ!?」

危険行為で怪我をする人の決まり文句を口にしながら、マツリちゃんはどんどん崖に近付いて行く。落下防止ロープギリギリまで近付いていくのを慌てる僕を横目に彼は投げた。

ずっと手に持っていた白百合を投げた。

それは花瓶に刺さっていた白百合で、マツリちゃんがここに来るまでずっと手放さなかったもの。いじめの象徴。

崖の下に投げ入れられた白百合はその瞬間に吹いた風に吹き上げられ、高く高く舞う。

白百合が蒼空に舞う。

マツリちゃんがそれを見つめる。

なにかのモチーフになりそうなそれはそれは美しい光景だった。

青が綺麗だ。ここ、景色がとてもいいんだってその時僕はようやく気がついた。

風はついでにマツリちゃんのスカートもめくっていった。今度こそパンツが見えた。男物のボクサータイプだった。


それを見た瞬間、僕は全身の血が沸騰したかと思った。

「あは、サク見たかよ今の。きれーだったなぁ」

マツリちゃんは満面の笑みを浮かべていた。今の光景が余程お気に召したらしい。僕は全然笑えなかった。寧ろ…

「は?なんで泣いてんの?」

「怒れよ!!!!!!!」

僕は怒っていた。怒っていたから泣きながら叫んでいた。

「はあ?何にだよ?」

意味がわかりませんという顔をするマツリちゃんに僕の怒りは増長される。

「全部にだよ!!マツリちゃんは男の子なのに、そういう服、別に着たいわけじゃないし髪だって長いと邪魔だから短くしたいって思ってんのにそれを無視するお母さんとかさぁ!そんなマツリちゃんのせいでもなんでもないことを悪いみたいに言っていじめてくる馬鹿なクラスメイトとかあんまりつつくとめんどくさいことになるから無視決め込んでる先生たちとかさぁ!」

なんでマツリちゃんは今日、机をひっくり返したんだろう。マツリちゃんは小学生の頃からひとつも変わってないのはこの短い旅路でよく分かった。マツリちゃんは相変わらず男らしいし唯我独尊だし怒りっぽいし自分勝手だからいつ机をひっくり返してもおかしくなかったのに、ひっくり返してもよかったのに。

それがよりにもよって今日だから僕は怒っていた。

「いじめられてる幼なじみ、見ないふりする僕とかさぁ…怒る相手なんていっぱいいるでしょ…なんで自分のために怒んないの?」

マツリちゃんが困ったように笑う。

「いや、怒っただろ。ほら、教室で机をひっくり返してやった」

「それは!」

花瓶が置かれていた。綺麗な白い百合が挿さっていた。

「僕のためだろ!!」

いじめられっ子の机の上に。僕の机の上に置かれていた。

あの白百合は僕へのいじめの象徴だった。

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