第55話 勇者の葛藤
橋の上で地面を見ていると掌にのりそうなくらいの青々とした蛙が視界に入った。河からは結構な高さがある。昔、何かで見たローマ水道とかを彷彿させる橋だ。長さも幅もあるが高さを想像すると身もすくむ。
よくもこんなところまで小さな体で昇ってきたもんだ。しばらく見ていたが俺の視線など意に介さず蛙は喉の下を膨らませたりしている。
わかっている。こんなことしているのは現実逃避だ。
本当は考えなきゃいけないことがいっぱいある。
なぜ俺は動けないでいる? なぜ俺はイレーザの言いつけを守っておとなしく背中を向けて座ってる? ここでイレーザがこの場を治めたら彼女の立場も格段によくなるだろう。群衆の前で裸で踊る辱めと引き換えにしてでも欲しいものなのかもしれない。
だがイレーザは泣いていたんだ。 大の大人が泣くほど嫌がっていることを無理に笑ってやろうっていうんだ。
それなのに俺は単にビビんて動けないんでいるんじゃないか?
セクハラされていた女子社員を守るときもソフィアをフリップ卿から助ける時も迷いはなかった。気が付いたら体が動いていた。
だが今はどうだ? それとも海外のニュースなんかで見たことがある暴動の映像を彷彿させる橋の南側で押し合いへし合いするほど集まっている住人たちにも酒場のテーブルをすべて空中に持ち上げ俺へ叩きつけようとしたサファイアの魔力にもビビってるんだ。
幸い今は橋の真ん中だ。ここはまだ住人からもサファイア達からも遠い場所にある。そばに行けば殺気立った空気と騒然とした喚き声がこの身を刺すだろう。素直に恐怖していることを認められる程には年齢を重ねた。
なのに、俺の胸は、いや胃腸なのかもしれないがまるで何かに掴まれ潰されようとするかのごとく痛むのに。
この、熱に身を焦がすような苦しみを味わうくらいならいっそ命がけで体を張った行動に出たほうが、たとえそれで命を落としたとしても気が楽だ、なんて思っていたのに……
サトミやミケという気の置けない仲間を得て生きることに執着し始めてしまったのかもしれない。
だがここでもしイレーザの身に何かあったら俺はこれから笑って生きていけるか?
イレーザはみんなを信じてると言ったが俺は群衆や集団になったら人間がは無茶をやることを知っている。誰かが口火を切ったらイレーザがどうなるかわからない。そうなってから助けることができたとしても彼女の心の傷はきっと癒えることはないだろう。
だがここでイレーザがこの場を治めたら彼女の立場も格段に……
堂々巡りだ。
こんなの哲学者でも賢者でもない俺が考えたってわかるわがないっ!
くそったれどうしたらいいんだ……
想わずイレーザのマントをで顔を覆った。イレーザの香りが残っている。彼女が生きている証だ。
ん? ……
賢者? ……
俺……
今、賢者モードじゃね?
すぅーっ ……
認めたくないものだな。加齢故に回復力が劣ってきていることを。
ん~ん。残り香って、キクぜっ!
さぁーてっと。
ムカつくやつ。
殴りに行っちゃいますか?
ブっ飛ばしちゃいますか?
サファイアの戦意喪失させちゃえばいいんだべ?
できるできる。
こちとら思春期女子の嫌いなものワースト1をゴキブリと争ってるだっせぇおっさんだってんだ。俺があの子にタッチダウンで流れが変わるぜ。
不思議なもので気持ちが高ぶってくるとイレーザの歌声もよく耳に入ってきた。ところどころだが意味もつかめた。歌はノリがいいといよりは厳かという感じでこんな橋の上よりも静謐で優しい光が差し込む場所が似合いそうだった。
聞こえた範囲の歌の意味はこんな感じだ。
勇者様お許しください。私たちの代わりに犠牲となった勇者さま。私はあなたの亡骸を涙で濡らすことしかできません。
歌っている姿をどうしても見たくなってしまった。一度は躊躇った。だが
俺は思わず振り向いた。
イレーザと目が合った。彼女の歌も舞いも止まってしまった。言葉を伝えられる、そんなことしか思えなかった。
「歌う女神さまだ」
自分の声を他人事のように聞いた。
どこかで遠吠えが聞こえた。
今度は連射される銃器の音。
歓声が上がった。地震かと思うほどに橋が揺れた。
近づいてくる大群。
俺は考えるのをやめた。籠を投げ捨て麻縄の先端を地面につけ念じる。
「硬くなって伸びろっ!」
俺は上方45度の角度で飛び出した。それでも舞い続けるイレーザの背後に立つ。マントで包むようにイレーザの身を隠す。気合のお姫様抱っこ。腰に来る。踏ん張った。
息が触れ合う距離で見つめあう。目を見開いて口をパクパクとさせているイレーザに行った。
「悪いな、俺はわがままに気の向くままにお前を傷つけることししたんだ」
「え?」
「全員俺が助けてやるからここから逃げろ」
「そんなことが?」
「もちろん。俺はお前の勇者だよ」
笑って見せた。さっきまでの葛藤に頭を抱えていたことから解放されていた。自然に笑えた。根拠もあてもなかった。言ってしまってからあたりを見渡した。
フリップがなだれ込んでくる住人たちに大声をあげているのに気が付いた。見てみると欄干の上をエアスケボーで滑りながら住人たちに止まるように言っているようだ。
俺は麻縄を奴に向けて飛ばした。フリップも状況は把握していたようだ。がっちりと縄を掴んでくれた。反転して俺たちを引っ張るように滑り続ける。魔力で縄を縮めていく。そして、振り返った奴に言った。簡単なテンブリ語だ
「俺が止めるっ! 彼女を安全な場所へ!」
真意を探るような目で俺を観るフリップ。イレーザは不安げに俺とフリップを見比べた。フリップが何か言った。俺には意味がわからなかった。イレーザが通訳してくれた。
「一時停戦ですって」
「ありがとう」
そして群衆とサファイアたちを見比べる。そして俺は固まってしまった。橋の上を馬に乗って駆けてくる一群がいた。どんどん近づいてくる。
その先頭の馬の騎手は俺に瓢箪銃を向けている。その姿どう見てもサトミにしか見えなかった……
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