第51話 イレーザという女
さて。どうあいつを嗤ってやるか、だ。どうせ俺に人殺しはできない。
棒状の木っ端を鞭で拾い独楽をを回す要領で回転させた。期待した火なんかつきやしない。たくさん燃えるものを投げつけて隙を作らせたかったが。
気を取り直して甲板に手をあてた。奴の股の下の板がめきめきと折れ、立ち上がり、奴の股間をヒット、チーン、と鎮魂(チンコン)の鐘が鳴り響く中、奴は股を抑えてアイタタタ……
完璧な計画だよね。
「硬(か)ったいなぁ……」
甲板の板はびくともしない。後ろから声がかかった。
「逃げてください」
イレーザの声だ。
「おい、大丈夫か?」
「ええ。私はあの男を道連れに逝きますからどうぞお逃げください」
言葉がなかった。
「彼がああやって尻尾を河につけて水を補充している今なら大丈夫です。さあ、早く」
だったら逃げるよりもしたいことがあった。唇を舐め息を吸って意を決した。
「俺も死のうとしたことがある」
イレーザは何も言わず俺の目を見た。
「よくある話だ。捧げて尽くしてきたものがある。いつか沈黙を破り何か答えてくれると信じ…… いや思い込んでいた。だが答えてもらえないことをわからされた」
「なるほど。で?」
「俺は自分が間抜けだっただけだが犬族や猫族ってだけで苦労させられるやつもいる」
イレーザは大きく息を吸うと何かを吐き出したいものをこらえるかのように顔をしかめた。
「勇者教の信者も信者というだけで歓迎されないことは多々あるのですよ」
俺は首をこくこくとうなずかせながら続けた。
「だろうな。俺の話に戻すが俺は自殺を止めてくれた人にひどいことを言った。言い返されたよ。『あのとき私は私のわがままを通しただけ。あなたもそうしたら』って」
イレーザのまっすぐな目に向けて言った。
「そういわれても、ここではないどこかに行きたい、そんなことしか思いつかなかった」
「そうですか。神なき世界の人らしいですね」
「ああ。自分が人生を決められるって勘違いしてたよ」
「すべては神の導きだと認めたのですか」
「いや。自分の意志じゃどうにもならないことがあることを認めたってだけでさ。聞きかじった世界や自分ってものの解釈を都合よくあてはめて」
「寄る辺ないですね」
「しかたないさ。信じるという才能に恵まれなかった」
「言いたいことはわかりましたわ。さあどうぞお逃げください」
「わかった」
俺はイレーザに手を差し出した。
「なんですの。この手は」
「お前を逃がす」
「結構です。私はあなたではないので」
「確かに。だから気の向くままにわがままに俺はお前だけを傷つける」
イレーザの目が見開かれた。
「あらあら。ひどい方ですね。では、さよなら」
イレーザは立ち上がる。その姿はまるで手に持つたんぽぽの綿毛を吹くような姿に見えた。ろうそくの灯の様な炎が数個連なってすごい勢いで飛んでいき甲板に火が付いた。だかあっさりとヘビ野郎の水にかき消された。
「なあ、あの見張り台みたいな高いところからばらまくみたいに撃ったほうがいいんじゃないか?」
「どうやってあそこまで?」
『だったら飛べばいいんじゃない?』
「あれ? なんだ? お前、今何か言ったか」
「そんな余裕があるように見えまして?」
イレーザはこちらを見ることもなくファイアーボールを飛ばしていた。だが結果は火を見るより明らかだ。すぐ消されていく。
「くっ」
イレーザは尚も続けようとしていた。だが奴の尻尾はこちらに狙いを定めた。何かできないかあたりを見渡すが朝の青い空しか目に入らない。麻の鞭を奴にめがけてふるった。すぐさま尻尾からの水流で弾かれた。
「くそっ」
『いいから飛んで』
はっきりと聞こえた。女の声だ。まさか、神の声? いやそんなこと気にしてる場合じゃない。ヘビ野郎はこちらに狙いを定めている。
「逃げなさいっ!」
叫ぶとイレーザはヘビ野郎めがけて駆けだした。
『飛びなさいっ!』
その言葉に押された。おれは鞭を振るってイレーザを拘束。そのまま四つん這いで船の縁を超えようと駆けだした。飛び越えられっこない。そんな高さだ。わかっていた。ただ何かしたかった。無意味でも無駄でも何もしないでいられなかった。
甲板を蹴った。空が見えた。あ、落ちる。そう思った。気が付くとヴィーンとうなる音。驚いた、俺たちはどんどんと上昇していく。声が出なかった。
イレーザも同様だった。ただイレーザが振り子のように揺れ始めた。苦しめたくない。俺は急いで麻の鞭に力を込めて俺の方に抱き寄せた。面と向かうのは照れくさかった。スカイダイビングのペアのように二人同じ方向を見て前後で重なるようにくっついた。そのままゆっくりと上昇していく。
風を切る音とヴィーンという騒音が耳をつき続ける。会話をするなら相当大声を張り上げなければならなそうだ。だが身体に響く声は良く聞こえた
『おじさまぁ、ナオミですぅ。驚かせちゃってごめんなさい。こっちは良く聞こえないから一方的に話しますよぉ』
ナオミはそう断りをいれると説明を始めた。もともと籠は複数のプロペラが現れ飛行を可能にさせる機能がついていた。動力は金属系の魔法だ。
方向転換はスノーボードのように行きたい方向に顔を向ければ自然と行けるそうだ。飛行時間はイレーザも抱えた今の状況だと三分くらいが限度だということだ。
そして籠の一部をこれまた魔法で振動させることでナオミの言葉を伝えることができる。俺の返事は籠を一回たたけばイエス、二回たたけばノーという形で行うことになった。
『おじさまが言ってたバンゲリ何とかってサイハーテの男の人が助けが欲しいサインだって聞いたことがあってぇ。ほかに、ドエライも~んとか』
はい。
なんとなくスマホに表示される「OK」とか「許可」という言葉を惰性で連打している気分になる。
『じゃあ、これで…… あ、そうそう、あたしがおじさまの一番ですよねぇ』
惰性でイエス。あ、いけね。ま、いっか。からかわれてるだけだ。誰かに聞かれたわけでもあるまい。
それよりイレーザの反応に気を取られる。興奮し大声で話してる。
「飛んでる…… 私たち飛んでる! ここから見るとまるで人がゴミのよう!」
イレーザは冷静さを取り戻すとヘビ男を攻撃させてと言ってきた。河を渡って逃走中の仲間たちが河を渡りきるまで時間を稼いでやりたいらしい。
言われてみるとどんな強力な魔法か知らないが、川幅が変わっており、露わになった川底を北岸に方に歩く何人もの人影が見えた。
ぬかるみに足を取られその速度は歩くより遅い。ヘビ男に狙われたら避けようがない
「仕掛ける前に一つよろしいですか?」
「ああ」
「勇者教が聖戦の中で打ち倒した敵の中には犬族や猫族の人もいました。恨まれていると思います」
「ああ」
「ではなぜ私を救おうとするのです?」
「敵の敵は味方。それだけだ」
あいつが俺の本体を嗤ったからだ、なんて言えない。
「わかりました。信じます」
動物は縄張りを主張することで余計な争いを避けると聞いたことがある。
よりよい縄張りをめり争ってもしょうがないと皮肉られても欲しいものは手に入れたい。それでいて傷つけあうくらいならいっそ欲望を手を放したい。
どっちかなんて選べない。
考えないで感じてみるか。瞼を閉じて深呼吸。
そして感じるイレーザの匂い、温もり、柔らかさ。
縄張りを拡大しようとうごめきだす俺の本体。
やむを得ず水魚のポーズ緊急避難。
スーパーノヴァは皮一重で回避された。
反省して、このランデブーの成功に全集中。
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