第49話 小屋の中

「VAN・GERING・b…… 板蹴倫具塀……」


声が聞こえた気がした。聞き取りにくい。まるでマイクに口をつけてこもって聞き取れない声のようだ。聞き取れた言葉に無理やり意味をはめ込んで理解しなくてはならないもどかしさ。イライラした。


「いい加減に……」


ぶるっと体が大きく震える。さっむい。どうやら、うたたね寝しちまったようだ。首を伸ばしてあたりを見渡す。演奏をしている奴らしか目に入らない。ところどろ大きな爆発音や何か大きな音が時折聞こえてくる。物騒な空気は感じる。


エアコンの効いた部屋で日本のテレビ局がBGMともに流す悲劇のニュースショーを見ていた感覚とは違う。だが俺にはどうすることもできない。足首を拘束するズボンを見る。ところどころ茶色く染まっていた。まるで漏らしたみたいだ。


「いい加減にしろ~いズボン…… なんてな……」


浮かび上がる記憶があった。


小学校に入学したてのころ、近所のに住む同い年の女子と下校していた。鼻をつく臭いにきがついた。女子が泣きだした。振り返ってみると足元のアスファルトには粘土のようにところどころに落ちているものがあった。


何か言わなきゃと思った。汚いと思った。逃げたかった。気が付かないふりをした。そのまま一緒に帰った。会話はなかった。


夜になって仕事から帰ってきた母親にどうすべきだったか尋ねてみた、


「そう言えばあんた産んだ時いっぱい漏らしちゃったっけ」


他に何を言われたのかは覚えていない。


そんな繊細だった俺も今じゃ人前で全裸(まっぱ)の変なおっさん。もう、こんなことの繰り返しで俺の俺による俺のための俺のゲシュタルト崩壊ですわ。


一所懸命って素敵と信じてちっちゃな根性身に付けて

人生頑張った結果がこれもんだもん。


物思いにふけっていると子供が籠から降りて俺の顔を覗き込んできていることに気が付いた。子供は甲板にある小屋みたいな場所を指さした。


「行けってか?」


結局そのまま子供のあとをついて小屋まで入った。壁際にはベンチと棚が備え付けられていて棚の上には壺が並んでいた。風にさらされなくなっただけで随分と暖かく感じる。


「少しお話よろしいですか」


「うわっ」


後ろから聞こえた上品な声に驚き振り返る。指揮者の女が立っていた。


「あ、ああ。指揮はいいのか?」


「ええ。代わりはいますから。立ち話もなんですしどうぞおかけください。籠はこちらでお預かりしますわ」


壁際のベンチを勧められた。俺は籠を抱えて持つことにして腰を降ろした。


「気づかいはありがたいが借りものでね。忘れると大変だ」


「なるほど。ではこのままお話を始めても?」


「好きにしてくれ」


女が何やら言うと子供は俺の隣に座り籠に手を触れた。女が対面のペンチに座ると俺は切り出した。


「で、どうしたら帰らせてもらえる?」


「まあまあ、そう慌てなくても。私はイレーザ、その子はトルンと申します。お見知りおきを」


「わかった。俺のことはおじさまと呼んでくれ」


「ではおじさま、単刀直入に申しますわ。私たち連帯勇者教はサイハーテ家の方とのこのご縁。大切にしたいと思っていますのよ」


「ん? なんだ? 連帯勇者教って」


「わたくしたち勇者教は大きく二つ…… 最近台頭してきた派も含めると三つに分かれているのです。


「へえ」


「歴代の勇者様ご一行が残した記録の解釈違いで。「はい」と「いいえ」しかお言葉を残されなかった勇者様もいらっしゃいまして」


「なるほど。他は?」


「元祖勇者教や真勇者教と申しますわ」


「へえ。ひとくくりにはできないんだな」


オープンスケベとむっつりスケベみたいなもんか。スマホを見てると何かしらの解釈違いで論破しあってる奴らをみかけるが。


正直、宗教の話はピンとこない。それに詳しく聞くなら勇者教以外の第三者から聞いたほうが偏りがないだろう。


「告白するが俺にサイハーテ家を動かすのは無理だ」


マイや他に職人や商人ギルドにいる日本人の顔が頭に浮かんだが言う気になれない。


「あら、そうですか。残念ですわ」


「だが協力はする。勘違いしちっちまっただけなんだ、謝る。すまなかった」


「いいんですよ、過ちは誰にもあります」


「ただ聞かせてくれ。あのでっかい生き物はなんだ? 何が起きてるんだ?」


「ええ、あれはずっと南の大陸にすむティラドゥという大鳥ですわ。昔から戦争にも用いられるような危険な生き物です」


「そうか。で? 誰があんな生き物をこのマーロンに?」


「わかりませんわ。ただ私たちはティラドゥの大量発生の報を受けて直ちに駆除を申し出ましただけでから」


嘘か本当かなんて俺には見抜けない。信じる信じないは別にしてできるだけ情報を集めておきたいだけだ。


「大量ってあれ一頭じゃないのか?」


「ええ。ですので王都からも緊急で軍が派兵されているそうですわ」


「大変だ。仲間のところに行かないと……」


「お仲間はどちらに」


「南マーロンだ、酒場と各ギルドにいる」


「それならご安心を。南に現れたのは一頭のみ、あとは北ですから」


「そうか……」


北の奴らには悪いが知り合いでもない誰かの不幸に本気で悲しめるような人間じゃない。


「ではこちらも単刀直入に」


「そうぞ」


「神様は信じます?」


「信じるときもあれば信じない時もある。すまない、いい加減で」


「いいえ。いろいろな方がいますもの。次ですがこことは別の世界が存在することは?」


「信じるも何も俺はそこから来たけど。じゃなくて、地獄とか天国とかそういう話か?」


「いえ、生きた人間の世界の話ですわ。ちなみに、おじさまの世界では借金に利子が発生します?」


「それって当たり前じゃないのか?」


「まあまあ。ではステイツとかイングランドという場所はございまして?」


「ある。国家の名前だよ」


「なるほど。そちらの世界では生き物をつくるようなこともできるとか……」


「詳しくは無いが、いろんな研究がされているのは知っている」


「まるで神の御業ですね」


「まあね、ただ魔法はないぜ。それにこっちの世界の人々のほうが自分らしさを持っている気がする」


「こちらのほうが良いと?」


「わからない。あっちはみんな気が付かないまま金持ちや権力者の奴隷にされちまうんだ。まあ、簡単に殺されたりしないからその点ではこっちよりはいいんだろうけど、自殺するやつも沢山いるよ」


「そうですか……」


そしてイレーザが何か告げるとトルンは小屋を出て行った。


沈黙が漂う。俺があいまいな笑顔をうかべたときだった。イレーザはふところから短剣を取り出して自分ののどに向けた。


「やめろっ!」


あわててとびかかる。くんずほぐれつのあとにやっと短剣を取り上げた。細い体なのに力強い。かなり手間取った。壁にぶつかり壺が落ちてきた。俺の頭でもろくも割れた。中の液体を浴びた。何やらヌルヌルする。


イレーザは床に突っ伏しさめざめと泣いていた。わけがわからなかった。かける言葉もない。ここまで強い感情を見せられることはなかなかない。慣れていなかった。


しばらくそうしていた。すると突然船が大きく揺れた。轟音と共に怒号と悲鳴が船内から沸き起こる。形相を変えたイレーザの後に続いて小屋を出ていく。足首のズボンを取っ払った。籠を背負う。船が激しく揺れる。


這うように小屋から顔をのぞかせた。火の手が上がっている。船から河に飛び降りる者たちが続出する。そして船は素人の俺にも一目でわかるほどに傾いていた。


「どうなっちゃってんだよ……」


俺の言葉はむなしく消えていった。

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