第48話 混戦 2

 朝日が空に顔を出し始めた。川面に煌きが生まれる。爽やかに船上を風が吹き抜ける。歌いたくなる気分だ。寒くなければ。 その上、黒い頭巾にマントの集団は不気味だった。


 鞭で縛った女の陰に隠れながら奴らの様子を観察した。頭巾がめくれている奴が数人いるがほとんどの奴が頭巾とマントで正体がうかがえない。


 こいつらは遠隔操作系の魔法使いで後方支援担当なのだろう。しかし油断はできない。それに俺がこの異世界の暴力レベルにはまだ慣れていないことも悟られてはまずい。ミケの二の舞になる。


 俺はマーチングバンドで使われる様な長い指揮棒を持った奴を交渉相手に定めた。ご挨拶代わりに麻の紐を伸ばして女の足を浮かせた。靴を脱がして足の裏をくすぐる。暴力的な手段を使うのは憚れた。恨みを買いたくないし第一因縁の無い相手に暴力を振るう気にはなれなかった。


「hのjげkぁlかjlsgkはお」


 現地の言葉で何やら軽やかで落ち着いた声がした。指揮棒をもっていた奴が頭巾を外して微笑んでいた。女だ。おっさんの俺からしたら若く見えるが落ち着きもある。年齢は読めなかった。化粧っけのない顔と知性を感じさせる瞳が印象的だ。


 現地の言葉で問うた。


「何が言いたい? お前」


「サイハーテ家の言葉で申し上げましょうか?」


 きれいな発音、言葉の日本語だった。


「ああ、そうしてくれ」


「わかりました。何なりと御用をお申し付けくださいな」


「フリップ卿への魔法の供給を止めろ」


  「あらあら。でも仕方がありませんね。ただその前にたったひとつだけお願いがございまして……」


「なんだ? 言ってみろ」


「まずはその濡れた服をお着替えさせていただけますか。大切なお客様にお風邪をひかせてしまってはあとでフリップに叱られます」


「そうしたいが生憎と手が離せないんでね」


 その手には乗るか。


 柔道着を脱ごうとしたら鞭から手を放してしまう。俺の魔法は何かに触れていないと発動させられない。鞭から手を放した瞬間にムチは元の状態に戻ろうとしてしまう。


 女は微笑むと言った。


「これは大変な失礼をしてしまいました。あなた様の魔法は接触型なのですね」


「さあね」


 こちらの情報を探ってやがる。知らせてたまるか。奴らを見渡す。ゴーグルっぽいものやヘッドホンみたいなものをつけてるってことは魔力で何らかの通信を行っているんだろう。でなければわざわざ五感のひとつを制限する理由が考えられない。


 それならこちらの情報をフリップに送ってるやつもいるに違いない。音声かテキストかわからないがみんなと違う様子を見せるやつがいたらそいつも黙らせなくては。


「あらあら、それでもお着替えはなさったほうがよろしいのでは?」


 言われなくてもわかってる。


「だが、断る。火をたけ。フリップ卿が戻ってくるまでずっといるからな」


「ええ、歓迎しますよ」


 女がそばのひときわ小柄な奴に何やら告げた。


「何を話してる?」


「ここで火は焚けないので着替えを持ってこさせます。お着替えも手伝わせましょうか?」


「いや、待て」


 俺は鞭の柄を片腕ずつ持ち替えながら籠を降ろした。開放感に包まれる。柔道着もとっとと脱ぎたい。


 柔道着の上着は帯で、ズボンも紐で止めている。帯を片手で引っ張ってみるが水を吸っているからか硬く縛られてしまいほどけそうにない。実際に脱ぐ気はないがズボンの紐も試したが無理そうだった。


「くそっ」


 苛立ちが声に出た。


「あらあら。濡れてほどけにくくなってるのですね。お手伝いさせましょうか」


 柔道着が木綿製なら魔法でほどけるかもしれない。だが、そちらに集中すると金管楽器の女への束縛が緩んでしまいそうだ。隙を見せたら何をされるかわからない。


 刃物で切っちまうという選択肢も頭に浮かぶがせっかく用意してくれたナオミに悪い。こっちじゃ柔道着とはいえ日本から持ち込まれたものは高級品だろう。


「おい、この中で一番小さい奴にこの服の帯をほどかせろ。いいか帯だけだぞ。何かそれ以外の動きをしやがったらこの女がどうなるか、最悪の事態を想像しろよ」


 いい脅し文句なんてもう頭に浮かばない、ならば奴らに想像させればいい。白熊を考えないでくださいとか何も考えないで下さいと言われたら絶対に白熊か巨大なマシュマロ怪獣か果物の入った美味いアイスをを想像しちまうはずだ。


 女は現地の言葉でそばにいるやつに向けて何かを言った。


「おい、今なんて言った?」


「これは失礼しました。あなたのご希望をこの子に申しつけました」


 そいつは頭巾を外した。まだ幼い顔が現れた。小学校三四年生くらいに見える少女だ。油断はならない。姿が見えない場所で遠隔操作の魔法を使われたら厄介だ。


「着替えは俺が魔法で取りに行く。場所を教えろ。お前はこっちに来い」


 俺はその子供を手招きした。


「船室の中の壁に我々同様のマントがかかってございます」


「そこの階段から降りたところだな」


「ええ」


 よし、柔道着の帯をほどかせたらその帯に魔力を送ってみよう。子供は背だ。竹の高下駄を履いている俺の前に立っても視界をさえぎらない。だが念には念を入れる。


「おい、こいつにひざまづかせろ」


 俺が言うと指揮者の女が現地の言葉で子供に言った。子供は一言答えると素直に両膝をついた。


 しゅるるる、ふぁさ……


 衣擦れの音がする。帯が外れたのを察して上着を脱ぎ棄てた。そして違和感に気が付いた。下を見る。見なくても予感はしてた。


 厚い面の皮に覆われた俺の本体が風の歌を聞いているっ!


 足枷のように足首にまとわりつくズボンと下着。そのまま引っ張られた。尻もちをつく。当然お股おっぴろげ。


「うわっ」


 あわてて両手で股間を隠す。やがて奴らのて笑い声が船上を包んだ。だが突如声があがった。ヘッドホンをしていた奴が神妙な面持ちで指揮者に何か告げている。


 すると指揮者の女は現地の言葉で威勢よく、二三の言葉を発する。三々五々に散らばるやつら。そしてそれぞれ持っている楽器を構えた。


「おい、お前ら、この女が……」


 言ってみた。俺の両手は股間しかつかんでいない。きょろきょろとあたりを見渡す、やがて川面を滑るように近づいてくる物体に気が付いた。勇者教のキルモンだ。進行方向に目をやるとマーロン橋が遠目に見える。そこにはチキン野郎が北マーロンに向かって駆けている。


 え?


 と、とにかく麻の鞭をさがさなきゃ。


 動けなかった。


 さっきの子供が俺の足元でズボンをつかんでいた。文字通り足かせだった。物理でも魔法でも振りほどけない。子供は笑顔で俺に籠を指さした。意味がわからず首を傾げた。


「いててててて」


 足首が締め付けられた。痛みから解放された。子供が再度籠を指さした。


「背負えってか?」


 俺は素肌に重たい籠を担いだ。子供はそこに柔道着の上着をねじ込んでくる。さらにひょいとそのかごに飛び乗った。重みで肩紐が素肌に食い込む。


 そして演奏が始まった。


それは聞いたことがあった。


朝焼けの中ヘリコプターの軍勢がジャングルを燃やす場面を想起させる壮大な音楽。


 縦に並んだキルモンが川面を滑るように船のすぐそばを追い抜いて行く。昨日の奴らはコックピットで奴らは風に髪を遊ばせながら船に向かって手を振っていた。


昨日の卑しい笑みとはかけ離れた笑顔だった。メスガキは手も振らずこちらを見ることもなかったが年齢相応な無邪気な笑顔で駆け抜けていった。


 状況を見守りながら、十五歳の夜には想像することもなかった中年の朝に、ちっぽけで意味のない無力な俺は永遠というものに閉じ込められた気がしてレゾンデートルもわからず両手に伝わる百円の価値も無いぬくもりだけを頼りに震えている。


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