第46話 夜更け過ぎて夜明けまで 5
俺は時に月面を跳ねる宇宙飛行士のように石畳を蹴り、時に忍者のように屋根を渡り、猛獣使いよろしく鞭を使って餌を巻きチキン野郎を誘ってきた。
俺の考えたやり方はチキン野郎を誘導していくのにうまくいっていた。だが少しでも気を抜くと危険だ。チキン野郎との距離をキープするのはもちろんのこと雨で濡れた石畳が意外とすべる。
それにしても雨上がりで洗い流された誰も見当たらない街は俺だけのものという気がして気分がよい。
夜明け前、薄暗い静寂の中、余計なものが目に入らず聞こえてこず、匂いも立ち込めない清廉な空気を切り裂き前進してくことの気持よさに自分がすでに英雄にでもなった様な高揚感に酔いしれそうだ。
頬をなでる風やジャンプして落ちるときの内臓がひゅっと上のほうに上がる感覚、所謂ちんさむや自分の呼吸の音や遠くに見える山々の群青の稜線などを目に移していくうちに全身に血が巡り体が喜びを感じていく。
特にスポーツに親しんできたわけではないが身体を動かすことで得られる五感への刺激が快楽につながっていることを知った。
頭にも血が回っていく。いろんな思い出が頭に浮かんでは消えていく。
異世界に転移したてのころ糞尿汲み取り人の仕事しか得られなかったときは最悪だと感じていた。れでも仕事だと必死で道を覚えたことがこんなところで役に立っている。意味が無いと思っていたことに意味があったと実感できることは嬉しいものだ。
子供のころに意味が無いと思って止めてしまったゲームを思い出す。駄菓子屋で格安でプレイできた。
髭とオーバーオールの配管工のゲームだ。八ビットで作られた画面の中で暗くて狭い代り映えのしない下水管の中で亀やら蟹やらハエなんかを踏んづけて蹴とばしていた。
すべて蹴り飛ばしてもまたすぐ次の配管工に転移させらてより早くより耐久力のある生物を蹴り飛ばすことになった。配管の中で多少小銭を拾えたとしてもそれでなにを手に入れればいいのだろう。どうせまた別の配管に送り込まれるだけなのに。
そんなことを思った。
ところが彼はある日を境に地上で活躍するようになる。
金貨を集めて気ままにキノコをキメて「ヒャッハー」とか言いながらときに生き物を踏んづけ、時に火の玉を投げつけながら攫われた姫を助けに行くようになった。
楽しそうだった。
コマーシャルで見ただけだった。親はゲーム機を俺に買い与えてくれなかった。大人になったら好きにしていいから今は勉強しなさいとよく言われた。大人になってから買った。夢中にはなれなかった。うまくいかない現実からゲームに逃げ込んでいたのを自覚していた。
だがこんな恐竜と一人で渡りあえるならもっとうまくやれるんじゃないか?
例えば俺が世界を征服すれば、マイやサトミやミケの願いを叶えられるんじゃないか?
ナオミの協力を得れば貴族の情報を手に入れてことを有利に運べるんじゃないか?
それに制服する過程で仲間も得られるだろう。孤独も癒されるに違いない。
俺だって楽しく生きたかった。いやまだ間に合う。せっかく異世界までやってこれるという幸運を生かさないのは逆に罪なんじゃないか。
そうだ。俺はなにをつまらないことを言っていたんだ。誰ともかかわらず気楽に死んでいきたいだなんて。
敵を蹴散らし、欲しいものを手に入れて周囲の人間から称賛される。そんな暮らしをするんだ。こちらで知り合った女たちの顔が浮かぶ。あいつらだって結果として守ることができたから俺と認めてくれたんだ。こうやって女たちに認めてもらえるには俺が役に立つことを証明し続けるしかないっ。
そうだ、あのチキン野郎を川に誘導するんじゃなくて倒してやろうかな。なんだかんだであのデカブツゴブリンだって倒せたんだし。あいつを殺してフライドチキンにでもして配ってやったら勇者教が配った蟹のスープなんて目じゃないだろう。
それを足がかりにマーロンの英雄となって、そこからテンブリ島を、異世界を統一したらそれこそ世界の覇者だ。世界の英雄だ。なんの後ろ盾もないが魔法がある世界だ。俺の知識を使って、魔法を活かしていない奴らを戦力化できるんじゃないか?
疑問は疑問を生みそれは一つのアイディアを呼び起こした。
異世界を征服できたなら俺がいた世界も制服できるんじゃないか?
そのときあの女はどんな顔するだろう?
方今転換するために地面に着地した。
「あ……」
やばい、すべった! やばい、やばい!どんどん体が傾いていく。踏ん張れっ! こんな石畳でコケたら動きが鈍くなる。そうなったらおしまいだっ!
竹を伸ばして地面を蹴って飛べっ!
ズルッ。カランカランカラン。
しまったっ! 手を放しちまった! 竹、竹、竹ぇっ。くそっ! あきらめろっ。奴にすぐに追いつかれるぞっ!
雨でぬれた石畳。滑りやすいのは知っていた。さっきまで慎重に竹をつく場所を見極めていた。身体を動かせ。どうせ痛みは後からだ。アドレナリンが出ているんだ。今は早く態勢を……
ヒュンっ。
風を切る音が聞こえたと思った沖には俺は壁に叩きつけられていた。
「カハッ」
あ…… このままじゃ無防備に落ち……る。
どさっ。
「いってぇっなぁっ!」
足を痛めた。動けない。俺は片足を抱え転がる。だが気づく。奴の腕が振り上げられていた。立ち上がろうとした。くそったれ、しかも高下駄だった。踏ん張りがきかないっ! あ、そうだ、ムチだムチ。どこかに引っかけて…… って引っかけられそうなところが見あたらえねえよっ!
「ドゴオォッ」
そんな音ともに噴煙があがった。なんだなんだ? なにが起きた?
奴は翼を仰ぎはじめた。噴煙が消えていく。
そんなこといまはいい。早く、遠くの屋根の上へ。
片膝をつき片足の高下駄を伸ばそうと試みた。
「しなってんじゃねえよっ! 硬く長く伸びろよ。早くっ!」
明後日の方向に振れた身体は俺の予想のつかない方向へ運ばれた。だが屋根の上だ。やっと一息つけそうだ。
ふと、屋根の上を滑るように移動しながら近づいてくる奴に気が付いた。何かスケートボードのようなモノに乗っているようだ。やがてそいつは俺の目の前で仁王立ちした。
見上げたそのシルエットは金棒を担いだ大きな鬼にしか見えなかった。怪盗の様な仮面をつけ顔はわからない。そして、男は俺を立たせてくれた。そして仮面を外す。
その顔は俺がいかさまで倒した貴族、フリップ卿だった。驚いてなにも言えずにいた俺に彼は微笑みかける。
怒ってないのか。
彼の本音は知らないが彼だってこの危機にここにいるんだ。共闘はできるだろう。誓うために握手をしようと手を差し出した。彼は手袋を外す。
意外といいやつかも。そう思った。
ゆっくりと両手を広げて微笑むと彼は俺の顔に手袋を投げつけた。
そして彼は片膝をつき金棒の様なものをバズーカ砲のように担いだ。何やら叫ぶ。ヒュンという音ともにそこから何か飛び出していった。そいつはチキン野郎の顔をかすめまた別の建物を打ち砕いた。
パニックに落ちたのかチキン野郎はあたりかまわず全力で駆け出し始めた。しかも繁華街の方角だ。
くそったれ。あのバカ、何を邪魔してくれてんだっ! あいつがチキン野郎を倒して手柄にしたいんなら俺は絶対にチキン野郎を逃がしてやる。
そう決意した時には足の痛みは引いていた。
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