第45話 夜更け過ぎて夜明けまで 4
さて、もうちょっと独りで頑張ると言ってもどうするか、だ。
このまま恐竜みたいなあいつと追いかけっこしていても埒が明かない。あいつを倒すのは俺一人じゃ無理だろう。そして、できる限りほかの奴らを巻き込みたくない。
1、奴を川に帰らせる。
2、冒険者ギルドに駆け込んで事情を伝える。
俺の仕事終わり。
護岸整備されていてそこから落ちたら垂直な壁を登らないといけないようなところから川に落ちてもらう必要があるな。川と言っても二百メートルくらいの幅はあるから時間は稼げるだろう。
思いつく場所があった。まっすぐに道が続いていていきなりストンと川に落ちてしまうよな場所。
道幅もチキン野郎が通る広さは十分にある。両脇には石造りの建物が建っている。屋根伝いに移動するには都合がいい。
そこまで俺をおとりにしつつ、川に落ちるぎりぎりの場所で待ち受けてあいつがとびかかってきたら竹を使って躱す。俺にかわされた奴は勢いあまって川に落ちる。
う~ん。パーペキだ。
次は手持ちのカードの確認だ。
ナオミが用意してくれた包を広げる。高下駄が目についた。
おじさまは「竹の歯付き高下駄」を手に入れた。
これで月面を歩く宇宙飛行士のように跳ねたり、反動を利用してアスリートが三段跳びでホップステップジャンプするように歩幅を大きくしてすばやく移動できる。
ナオミが用意した草履から履き替えた。高下駄に柔道着と言う七十年代の青春ドラマの主人公のような姿になった。その手のドラマは熱血な主人公が多かったと何かで聞いた覚えがある。
ほかには竹を切り出したものいくつかと刀のように形が加工されたもの。そして麻をより合わせて作った紐。
紐を適当な竹につなげてみた。麻ひもが太く長くなることをイメージして振ってみる。
バチィーーーン。
いい音が響いた。
おじさまは「麻の鞭」を手に入れた!
ってことで次に籠から取り出した器を見ながら麻ひもが器を巻きつくことをイメージする。うまくいった。そして竹を竿に見立て、手ごろな建物の壁、観音扉の雨戸に狙いを定めて釣り人のように振ってみた。
ドンっ。
シンプルかつ太い音とともに器は観音扉の少し左下にぶつかって壁に何の痕跡も残すことなく砕けて散った。
あんな生物にダメージは与えられそうもない。ムチ兼投てき武器として柔軟に使っていこう。
できることならチキン野郎の鼻っ面にこれをぶら下げて、ニンジンをぶら下げられた馬みたいに誘導できれば楽なんだがな。そううまくはいかないだろう。奴が俺を倒そうと口を開けたところにぶち込むしかねえ。
さて様子を確認するか。
立ち上がった時だった。
とっとっとっとっと……
軽い足音が聞こえてくる。その足音とは裏腹にあの巨体が近づてきていた。慌てて移動を始める。ナオミの施術で体の硬さが取れている。そこに高下駄が加わった。まるで忍者のように屋根の上を移動できるようになった。おかげで危ない想いをすることなくチキン野郎の死角に回り込めた。
奴の様子を確認する。奴は立ち止まると首をキョロキョロとさせた。俺が器を壁にぶつけたあたりだ。器を投げた音を聞かれたか? 俺の想像を超えて耳がいいようだ。
奴は器用に前足を壁につけた。そこで気が付いた。奴の前足は翼になっているらしい。その翼は飛ぶには小さいように見えた。ただの飾りのように思える。
見ているるうちに思い出したことがあった。女性歌手だ。歌の途中で両腕を上げていく振り付けだった。その衣装は両腕にたっぷりと布地が使われおりまるで翼のように広がっていた。
その歌の歌詞まで思い出してげんなりする。
あの女も俺の上で瞼の裏にあの男の夢を見ていたのだろうか……
あ~あ、なんかやる気しない。
あの女のせいだからねっ!
……冗談めかして思っても俺はいまだに忘れられないでいる。
真実と向き合うこともなくあの女とあの女の娘とマイホームを守るために自分の気持ちを押し殺してきた。
正直に言えばあの女と夜を過ごすときでさえ言いなりになっていた。マグロみたいに大人しくあいつが俺を捌くのを待っていた。
正直に言えば仕事で疲れているのに週一ペースで帰省して徹夜で夜泣きの相手をさせられ碌に寝ることもなく夜行バスに遅れないように慌ただしく単身赴任先に帰る暮らしにうんざりしていた。
正直に言えば新築のマイホームではなく借家か中古住宅で十分だと思っていた。
だが惚れた女に愛されたかった。
いや違うな、惚れた女を笑顔にできる男でいたかったのかもしれない。
家族の希望を叶えて生きていくのがちゃんとした男だと思っていた。
何かの物語のようにそんなものを目指す明確なきっかけがあったわけじゃない。
母親に経済的な苦労をかけていた父親を軽蔑していたことは自覚している。
男は強く優しく美しくなるべし、そのためにはこれを買うべしという情報を垂れ流すブラウン管を親の顔よりも見てきた。
自分の本音から目をそらして、マスコミの情報に踊らされている俺は周囲の人間からはさぞ与しやすい相手だっただろう。
そして俺は元いた世界に帰る場所がなくなった。自分の命ですら失ったっていいと思っていた。セクハラされている女子社員を守るために暴力をふるったときは、守るものが無い人間の強さを得たとも思っていた。
何かの縁で異世界に来ることにはなった。こちらでは帰る場所など作らず、人間関係も築かないことに決めていた。
死なれたら困る、守りたくなる、そんな人間を作らずにいればいつだって気楽に気軽に悔いなく死ねると思っていた。そして、誰かを失っても傷つかないと思っていた。
だが無理だ。知り合っちまった。深くかかわっちまった。
マイもサトミもミケもミシェルもナオミもいる。サトミは俺が帰ってくることを待っている。俺はあいつらの笑顔が見たい。騙されたり裏切られたりすることもあるかもしれない。
俺は性懲りもなく深く傷つくだろう。
だがそれは俺が自分の気持ちに素直に生きた結果だ。
俺の本当の人生だ。自分の気持ちを殺してやり過ごしてきた時間とはわけが違う。
気合を入れなおしてチキン野郎を観察する。
奴は顔を壁に近づけた。
ふんふんふん。
鼻息が荒い。
何か探してるのか?
すると奴は舌を出し、壁を舐めだした。そこは俺が勇者教の器をぶつけたところだった。
奴は俺じゃなくて勇者教の器を狙っている?
試しに俺は麻のムチを使って器を奴の前に放り投げて見た。奴は地面に落ちる前に飛びついた。
奴は首を振った。目があった。その瞳。俺の背中の器を狙ってる?
あるぇー?
酒場では一切魔法を使ってなかったのにナオミはどうして俺が高下駄を使うって知ってたのかなぁー?
疑念が疑念を呼んだ。
ナオミや酒場の強力な魔法使いたちに対処させればよくないですかぁ?
そう思った。
「くそったれっ!」
それでも一人でこの籠を背負って奴を川までおびき出す決意が変わらぬ自分に嫌気が差した。
俺は奴に背中を向けて、ゴング代わりに竹で籠を一発叩いた。
思ったようないい音はしない。
それでも駆け出すきっかけには十分だった。
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