第38話 ミケvs アラサー女 1

 ミケとサトミと並んで酒場からの呼び出しを待っていると向こうのアラサー女が何やら二階席に向かって叫んだ。英語だというのはわかったが意味までわからなかった。爺さんが訳して大声で叫ぶ。オペラもどきおじさんが答えた。俺の語学力では細かいニュアンスはわからないが。何やら少し待ってろみたいな意味に思えた。


「なあ、何言ってるんだ? あいつ」

 

 ミケの集中を妨げるのは憚れサトミに尋ねた。


「武器として使わなければ道具を使っていいのか確認してる。食卓を運び込みたいんだと」


「いや食卓って言っても武器以外に使い道なんてあるのか?」


 俺の頭にプロレスを見ていた時のことが思い出される。実況席の机に頭を打ち付けられたプロレスラーは額から流血していた。


「ああ、舞台にするんだろう」


「舞台?」


「食卓の上で戦うことにしてミケの退路を断つきだ。猫族は一般的に他の種族より身軽だからな。場所を限定しようとする判断は理にかなっている。それにその方が観客からはよく見える」


「そっか。それで酒場も乗ってきそうなのか?」


「ああ。きっとこの提案には乗ってくる」


「じゃあそんなの断っちまおう。動き回って隙を見て一撃離脱を繰り返したほうが有利なんだろ?」


「いや、ミケに判断を任せよう」


「ただ一発でもあの女の攻撃をミケが食らったらやばいんじゃないか? それにつかまって床にたたきつけられたりしたら……」


 俺は二人の体格差を思って言った。小柄で華奢なミケと比べるとマントの上からでもわかるアラサー女のムッチリ感はまるで真っ赤で辛い唐辛子のように灼ける様な激しい痛みを呼び起こす危険なもののように思えてきた。


 するとオペラもどきおじさんの声が響いた。

「おじさま。やっぱり言ったとおりだ。道具の使用は認められた。見てみろ、食卓を運んできてるぞ」


「大丈夫か? ミケ。なんなら俺が交渉して食卓を使わせないぞ?」


 俺だって社会に出てそれなりに交渉事はしてきたつもりだ。それにおそらく若い男との戦いで勝てないだろう俺は何らかの形で役に立ちたいという気持ちがある。予防線を張るようで気が引けるところもあるがそれがミケの役に立つならそれでいい、と自分を納得させることに抵抗を感じるほどはもう若くはない。


 ミケは表情から力を抜いて言った。


「やるよ、あたし。きっかけはおじさまが馬鹿にされたからだけどね。これはあたしの戦いでもあるから」


「どうしてそんなに?」


「あたしは一人で逃がしてもらえたんだ。怖くて戦えなかったからしょうがないとも思うけどあのときからあたしは自分が少し嫌いになっちゃったんだ」


「いや、それこそ自分を大切にしたほうがいいんじゃないか? お前を逃がしてくれた人の気持ちを思えばさ」


「その通りだとも思うよ。でもね」


「なんだ」


「ときどき苦しいの。自分を痛めつけたくなる時がある。そんな気持ちから解放されて気兼ねなく悲しみたい」


 俺は言葉が出てこなかった。ミケは続けて言った。


「あたしが自分を嫌いになりながら生きていくこともみんな望んでいないでしょ?」


「まあ……そうだな」


「だいじょーぶ。あたしは勝とうとまでは思ってないから無理しないよ。ただ挑戦だけはしたい。それだけ」


「わかった……」


 これ以上俺に言えることはなかった。見てみるといつの間にか食卓が人の輪の中央に置かれていた。飾り気のない無骨な食卓だった。大きさは日本のファミレスなんかで見る一般的な大きさだ。確かにこれなら逃げ回ったりはできなさそうだ。


 ヘヴィネタ姐さんが叫んだ。



 ミケはマントを脱ぐと俺に手渡した。ミケは皮でできた鎧というかコルセットとというか身体にピタッと張り付く防具とピタッとしたズボンにひざ下に脛とふくらはぎをを守る皮のプロテクターを付けている。詳しく聞いたことはないが森で生まれ育ったミケだ。きっと蛇とかそういった野生生物から身を守るもので決して人間同士の戦いでの防具としは期待ができそうにない。


 アラサー女もマントを脱いだ。むっちりした太ももが見えたことに納得した。女の姿はラグビーのユニフォームに見えた。文字通り厚手の横縞地でできた長袖の襟付きのラガーシャツ。


 ラガーシャツが大きくてまた下あたりまで隠している。おそらく短パンぐらいは履いているのだろうが、アパートに泊まりに来た彼女が「へえやっぱり大きいね」なんて言いながら自分のシャツやトレーナーを着てくれるという、かつて俺がよく見ておた白昼夢の中で好きな女子にさせていた姿の一つだ。


 だが、俺ももういい年齢のおっさんだ。現実を見た。女の太ももから脛やふくらはぎにかけてテーピングがぐるぐると巻かれている。さきほどマントの裾の隙間からちらりと見えていたものは生の太ももではなく白いテーピングだった、というわけだ……


 くそったれ! どうりで自棄に白いなとは思ったんだっ!


 認めたくないものだな。太ももとテーピングの区別もつかない程に性欲に支配されていることを。自分の注意不足なくせに腹が立つ。


 俺はまるで素人だと思って視聴していた動画の出演者がプロだった知ったときのような怒りを感じた。言葉にするとこれだ。


「素人専門事務所所属している点でっ。それって素人じゃありませんよねぇっ! 」コメントを残してやりたい衝動にかられた、


 くっそ、素直に、え? こ、こんな娘(こ)が過激すぎぃ…… とか思って信じて一人で夢見て頑張った俺がバカみたいっ! こんなん、頭に血が上って賢者モードなんかどこかに吹き飛ぶわっ!


 事実は変わらないのに解釈一つでこうも感情が揺さぶられるのはなぜなんだ?


 その問いの答えはいまだ見つけられずにいる。


 一人薄暗い部屋で思ったことを思い出した……


 俺の思い出こんなんばっかりだっ!畜生、こんな記憶を上書きしてやる。いやな記憶のもととなった事実もも時を経て別の角度から客観視すれば別の解釈ができるはずっ。


 こうなったらあの女が本意気で、いや~ん、と辱めることに全力を注いてやるっ!


 思わずミケに言った。


「あの、太ももに巻かれているのはテーピングって言って怪我を防ぐためにあえて関節の動きを制限するためのものなんだ。」


「にゃるほどね」


「つまり、それが奴の弱点。もしお前の爪で切り取ろうとするだけで意識せざる負えないかもな。それに、あの女の着ているラガーシャツといって丈夫だ。筋骨隆々の男たちが引っ張り合ってもなかなか切れるもんじゃない。もし爪や腕があの服にひっかかると動きが制限されるかもしれない。



「ありがと。おじさま。まあ、そんなこと思いもよらなかったけど参考にするよ」


 ククク…… 俺もいい年齢のおっさんだ。これくらいの言い換え、解釈のミスリードなど朝飯前よ……若干早口だったことは否めないが。


「ミケ。私からもいいか」


「うん」


「自分より背が高い相手に頭上から腕をのばだれて背中あたりで服を絞るようにつかまれると動きを制限されて厄介だ。さっきからヤジがうるさいが冷静にな」


「うん、ひどいこと言うよね。みんな。でも大丈夫。ありがとう。二人とも」


 すでに食卓のうえに立ち上がりこちらを不敵な笑みを浮かべてこちらを見ているアラサー女。ほほに指を三本あてがっていた。食卓の上に向かうミケの小さな背中。頼もしく見えた。そして髪の毛は逆立っているのかわずかではあるが膨らんでいるように見えた。


その後ろ姿。猫というより獅子のたてがみ…… を連想したいところだったが外はねというのか毛先を外側にカールさせた髪型を彷彿させてくれるだけだった。

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