第37話 サトミvs少年 2

一瞬の静寂。そのあとの大歓声。やはり観客たちは少年を応援している奴らが大半のようだ。


 少年のアピールに対してサトミはこれまた野球好きのギャングのようにキュートでありながらどこか狂気を感じさせる恐ろしさが差し込まれた笑顔で両手をあげて首を横に振った。


 やめておけ、ということなのだろう。


 だが少年は強がった。まあ、気持ちはわかる。公衆の面前で年上のきれいなお姉さんに一発でリングに沈められたら一生の心の傷だ。せめてなんらかの爪痕を残したかったのだろう。サトミに対して口の前で牙に見立てて指を並べた。


 それからは一瞬だった。サトミはタックルの要領で少年に飛びかかるとあっというまに恥ずかし固めに少年を捕らえた。しかもズボンもパンツもするすると脱がせてしまい少年のなまっ白(ちろ)い尻が

 丸出しにされる。さらにサトミは圧迫でもするのか自分の尻を少年の横っ面におしつけ、つぶしていく。


 こちらからは表情は見えないが苦しいのだろう。少年はもがいているのか腕をしきりに振っている。その腕が動いていなければ戦闘不能と判断されたかもしれない。向こうのアラサー女が二階席に向かってなにやら喚いている。それを受けたのかオペラもどきおじさんの声が響いた。ミケが訳してくれた。


「あの子の腕が動いているから戦闘不能とはみなさない、あの人たちが止めに入ればそこで少年の負けだって」


 そういう趣味なら別だが、公衆の面前で顔面を女の尻に敷かれて生尻をさらされているんだ。本来なら助けに行きたいだろうに少年の戦意が衰えていないなら判断に困るだろう。ここから逆転の一手があるかもしれないしこうしている間に回復を待っているのかもしれない、という希望を込めた期待が止めに入る足をすくめさせるのは理解できる。


  どこかの神話でこの世のすべての災厄が封印されていたとされるパンドラの箱から最後に出てきたのは希望という概念だったという話を思い出した。


 ここで少年自身が雪辱を晴らさなければ一生の深手になるかもしれない。


 サトミはアラサー女たちに向かって中指を立てた。それからぺろりと鼻をなめると大きく一発少年の尻を叩いた。それからゆっくりぺちぺちと尻を叩きはじめる。四ビート、八ビート、十六ビート。乗ってきたのか尻を叩く音が響く。どこからからギターみたいな弦楽器の音色が奏でられる。やがてやがてヘヴィメタ姉さんがシャウトする。


 やじ馬たちは興奮したのか野次馬同士で身体をぶつけ合い始めた。それはやがてう大きな渦となり俺たちの周りをぐるぐると回り始めた。


 少年の尻を打つサトミの顔は汗と恍惚にまみれ紅に染まっていく。俺とミケは顔を見合わせた。お互いに笑顔だ。勝利を確信した。


「すごいね。みんな気持ちがひとつになってる」


「ああ、音楽に国境はないんだな。あいつ、酒場を玩具(トーイ)にしやがった。最高だぜ」


  やがて力を出し尽くしたサトミはまるで二時間のライブで全力を出し尽くしたヘヴィメタバンドのドラマーのようにふらふらと立ち上がるこちらへ来て俺の胸で倒れこんでしまった。勝者の凱旋。見事な勝利だ。


 鐘が鳴った。試合終了だ。


 オペラおじさんお声が響いた。


「やったな。サトミの勝ちだ。今夜のギグは伝説になるぜ」


「ありがとう。もうサイコ~。今はただこうさせて」


 サトミは俺の胸に顔をうずめ体重を預けてきた。


 その横で浮かない顔でミケ言う


「ううん、負けだって。お店の人言ってた」


「えっ? なぜだ?」


「うちらが助けたってことになっちゃった。あの子は立ってるし……」


「えぇぇー? サトミくん、今日の試合は負けちゃったのかい?」


 俺はまるで海の名前一家に婿入りした男のように声を挙げて驚いた。言われてみてみると少年は立ち上がっていた。ズボンもはきなおしたのだろう。顔を真っ赤にして瞳を潤ませ鼻血をたらしながらファイティングポーズを取っている。


 ダメージはないのか?


 確かに落ち着いて考えてみればあの小僧にしてみれば綺麗なお姉さんに顔面騎……じゃなかった顔を尻に敷かれて、ハードロック一曲分の間、自分のケツを叩かれていただけだ。恥辱に堪え切れればそれほどダメージはなかったのかもしれない。サトミがその気になればケツ圧による顔面へのダメージを与えられたかもしれないが手加減してやってたのかもしれない。


 それにサトミは普段からああいう恥ずかし固めはやってきたのだろうがここまで長い間尻を叩き続けたことは無いに違いない。きっと初めてのライブで気持ちが走りすぎてしまったんだ。


 そ…… そんなのあの小僧にしてみたらただのラッキースケベじゃないかっ!


 って、大真面目に解説するこっちゃないと思うが負けてしまった事実はでかい。あの少年のケツドラムも噂にはなるだろう。しかしそれでも勝利したと言われれば受け取り側の印象も変わってくる。さすがに一勝もできないのはまずい。ミケに期待するのは酷だ。俺がやらなきゃならなくなっちまった。


 だがこれがもしあの少年の本当の狙いがこうであったら……あの、セイ! フットボールという発言も意味不明すぎる。


 くそったれ! 玩具(トーイ)にされていたのは俺たちのほうだ。


 俺が悔しさに顔をしかめているとヘヴィネタ姉さんのシャウトが響きわたった。ミケが言う。


「次はあたしだね」


「いいのか? 俺が行こう。二敗で負け確定になっちまうがミケに怪我されるよりはマシだ」


「済まない。ミケ。私が我を忘れてしまったばっかりに……」


「気にしないで。それにあたしはまだ勝つつもりでいるからね」


「え? 無理するなよ?」


「うん、ほら、相手はあの女の人だからさ。勝ち目はあるかも」


「そうか。でも爪も武器だから使えないんだろう」


「ううん、体の一部だから大丈夫だよ。いちいち訳さなかったけどお店の人言ってたよ」


俺は少し考えて言った。


「そうか。あまりいい言い方じゃないが言うよ。顔に傷つけちゃいなよ。体じゃ甘いよ。体じゃ」


人を傷つけるというミケの心のハードルを少しでも軽くしてやりたかった。それに向こうの若い男もそういうことサトミと闘っていた少年に言っていたというし。汚れ役、なんて大層なものじゃないがミケには悔のないように闘ってほしかった。


「まあ……できたらね」


 そんな俺たちを見ながらアラサー女はマントに体を覆いながら不敵な笑みを浮かべていた。だが隣で俺は氷のような笑顔を顔に張り付けてコーホーコーホー言いだしたミケを頼もしく感じていた。


追記

いろいろ立て込んでいて次の手記を書けるのは二~三週間くらいかかっちまうかもしれねえ。もし楽しみにしてくれている人がいたら先に謝っておくぜ。ごめんな。

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