二ノ縁・始まりはいつも、だいたいこんな感じ(下)

この世界の暦で、九五四年、肆ノ月。


雲一つない青空の下、満開の桜が咲き誇る木々の下で、


「……う~ん……ん?え?」


杏樹あんじゅなつめは、困惑していた。


「あれ?わたし……なんで?……どうして?」


石垣の段で、体勢を崩し、落下した。

……そこまでは記憶があるが、そこから、今この瞬間までの記憶が、すっぽりと抜け落ちていた。


「……落ちたんだよね?わたし。なのに、なんで無傷……?」


疑問を口にしながら、なつめは、本当にどこもケガをしていないか、確認していった。


頭、顔、胴体、両手と、ケガがないことを確認し、最後に、両足を確認しようとしたとき


「え?……あ、あ……あれ?」


そのときになって、ようやく、それに気づいた。


青空の下の、桜の木々の下にいる、杏樹なつめ。

そのさらに下に、人間がいることに。


なつめの下に、クッションになるように、一緒に落ちていった少年がいることに。


「って、えぇえ!?ちょっと……ちょっと、きみ、大丈夫……!?」


「だい……じょう、ぶ……」


あまりの異常事態に、パニック寸前の、なつめだったが、自分の下から、弱々しいながらも返答があったことと、


「……って言いたいけど、全然大丈夫じゃない。重い。重いんだ……」


続いて聞こえてきた少年の言葉に、すっかり冷静さを取り戻した。別に、元からそこまで冷静ではなかったが。



「上に乗っかってるのは、悪いと思ってるけど……女の子に向かって、お、重いとか……失礼だよぉ……」


「いや、そうは言うけど、実際重いぞ? 女子とはいえ、高校生の体重が、思いっきり乗っかってるんだぞ? 実際、結構重いんだぞ?」


「重い重い連呼するなぁ……!」



デリカシーのない少年と、重い重いと言われた少女のやり取りは、しばらく続いたが、


「……まぁ、とりあえず、お互いに無事で良かったな」


「そうだね……あらためて、ありがとうね。助けてくれて」


最終的には、丸く収まった。



「どういたしまして。……っていうか、本当に運が良かったよな……」


自分たちのクッション代わりになってくれた、茂みや、柔らかい芝生を、少年は優しくなでた。

なつめは、そんな少年に同意しつつも、気になって仕方がなかったことを聞いた。


「それで、学校には入り込めたけど……これからどうするの……?」


その前に、と前置きしてから、少年もまた、言いたくて仕方なかったことを言った。


「とりあえず、下りようか。……オレの上からさ」


今の今まで、ずっと、少年の上に乗ったまま、やり取りをしていたという事実を認識し……、

なつめは顔を真っ赤に染めながら、少年の上から飛び下りた。


「あ……えっと、その……。なんかもう、ホントいろいろゴメンナサイねぇ!?」



「もう、別にいいって。……正直、悪い気はしなかったし」


少年が最後にポツリと漏らした言葉は、突然響いた大きな音に、かき消された。

それが、普段であれば、1時間目の授業の終わりを告げるチャイムであることなど、2人は当然、知る由もなかった。


「ん……?」

「……さ、さて、これからどうするか……ってことだけど」


少年は、ゆっくりと起き上がりながら、照れているのを悟られないように、話題を戻した。

そして、自分を期待と不安の入り混じった表情で見つめている少女に向け、


「乗り込もう。……堂々とな!」

「…………」

期待も不安も吹き飛ばし、一気に真顔に戻るような発言をした。


「乗り込もう!……堂々とな!」

「いや、聞こえてないわけじゃないよ? ……いや、さっきも言ってたけどさ、堂々と……ってさ」

「あぁ。堂々と行く! それだけだ!」

「そう言いつつもさ、実は何か考えがあると思うじゃん? ……思うんだよ? ……思ったんだよ、わたしはね?」

分かりやすいほどに落胆した様子の、なつめに向け、少年は、


「オレ、正直、考えるのは得意じゃないからさ……。でもさ、オレが……オレたちが、今動き出すための方法ってさ」

少し、ばつが悪そうにしながらも、たしかな意思をもって、語りかけた。

「“動くこと”しかないんだと思うんだ。……とにかく、進むことしか」

「…………」

「だからさ、動き出そう。……今ここで、一緒にさ」


少年は、目の前にいる、座り込んでいる少女へと、笑顔で手を差し出し、

「……うん!」

少女は、目の前にいる、進むために立ち上がった少年の手を、しっかりと掴み、自らも立ち上がった。


「さっきも言ったけどさ、堂々と……ってのが無理なら、オレの後ろにでも隠れてていいぞ?」

「もう隠れてるよぉ……。お言葉に甘えて」

先ほどまでと同じように、迷わずに少年の後ろに隠れる、なつめ。

ただ、先ほどまでとは違い、その手は少年の制服の裾を、弱々しく掴んでいた。


それからしばらく、2人で校内を歩き、体育館に通じる廊下を横切ったときに

「ん?……君たち、何をしているんだ?」

突然、1人の男性に声をかけられた。

状況的にみて、学園の教職員であろうことは容易に想像できたし、実際、男性の首にかかっている名札に、そう書かれていた。


「見ない顔だな……。ひょっとして、新入生か?……いや、でも、それなら、何故ここに?」

疑問符を浮かべまくる男性を前に、なつめは、小さく震えながら、少年の後ろに隠れた。


そして、男性と、なつめの間に立つ少年は、ゆっくりと息を吸い込み、しっかりと言い放った。

「遅刻しましたっ!!」

「は?」


それから、なつめと少年の2人は、1時間ほど、新入生向けの簡易的な説明を受け、その後、ほんの少しだけ、お説教を受けた。

合計、3時間ほど拘束された2人は、久方ぶりの自由をかみしめながら、ふと、校内の広場や、校門のあたりに目をやった。


「お、やってるやってる!」

「入学式だもんね。どこもこうだよねぇ……」

そこには、2種類の群れが混同していた。

新入生たちの群れと、その新入生たちを、取って食ってしまいそうな勢いの、各部活動の勧誘の群れ。


「どこにでもあるような風景だけどさ、これって、今この瞬間の、ここにしかないんだよな……」

どこか切なさを感じさせるような、少年の表情を、

「…………?」

なつめは、返す言葉が思いつかず、ただ横目で見ることしかできなかった。


しばらく、無言のまま、2人並んで歩いていたが、

「あ、そういえば、なんだけどさ……」

なつめが、ふと気づいた。今更だけど……と前置きして、


「名前……。きみの名前、なんていうの……?」

隣に立つ少年へと、問うた。


問われた少年は、一度きょとんとした顔になり、

「あれ?まだ名乗ってなかったっけ……?こりゃ失礼した」

そして、すぐに、なつめの前に立ち、向かい合いながら、笑顔で答えた。

「オレは、祝詞のりと尾乃道おのみち祝詞のりとだ」



なつめは、急に自分の前に立った少年に、少し驚いて、一瞬固まった。しかし、

「これもきっと、何かの縁ってやつだ。……よろしくな、杏樹あんじゅ

少年……祝詞が、笑顔で右手を差し出してきたのを見て、

「……うん!改めて、よろしくお願いします。……尾乃道くん!」

同じように、笑顔で右手を差し出し、握手を交わした。


その握手に込められていたのは、感謝の気持ちと、これから始まる日々への期待。それから……



***





「ついに……ついに来たか!」

1人の少年と、1人の少女が、握手を交わした時、その様子を、遠くから眺める人間がいた。屋上に立つ、3人の人間が。

真幌沢学園の制服に身を包んだ、2人の少女と、1人の少年が。


「ついに来たか!可愛い後輩たちが……!」

そのうちの1人、勝気そうな印象の、眼鏡をかけた女子が、どう猛な笑みを浮かべ、

「わたくし達も、ついに先輩ですか……。先輩……、きゃはは!良い響きですわね」

別の1人、お嬢様のような印象の女子が、心からの喜び表し、

「…………」

3人の中で、唯一の男子が、ただただ無言で、何か考えているのか、いないのか、分からない表情で、たたずんでいた。


「……ところで、部長さん?」

「ん?なに?」

「わざわざ屋上に上った意味、あるのでしょうか……? 部室からでも見えましたわよね?」

「意味? 無いわよ、そんなの」

「………」

「………」


春の暖かい風が、学園を吹き抜けた。



『始まりはいつも、だいたいこんな感じ。』  ―完―

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