まほろばみかん
IV×XIII
一ノ縁・始まりはいつも、だいたいこんな感じ。(上)
『桜の木の下には死体が埋まっている』という話を、小説やらドラマやらで見た覚えがある。
内心、「さすがにそれはないだろう」と思っていた。
そう、思っていた……。
実際に自分が“そうなる”までは。
***
この世界の暦で、九五四年の
満開の桜が咲き誇り、桜吹雪が舞う、柔らかな日差しの中を……
「うわぁああ!? 遅れる遅れるぅう!!」
1人の少年が、駆け抜けていく。
まだ新品と思しき制服に身を包んだ、長いアホ毛が伸びた茶髪の少年が、
「まさか、こんな日に限って…寝坊するなんてっ!!?」
今時、珍しいほどのお約束のセリフを並べて、駆け抜けていく。
食パンをくわえていれば、完璧だった。
脇目も振らずに駆ける、少年の視線の先、その先には――、
「よりによって、入学式の日に!!?」
今、少年の左胸の位置で、その存在を誇示している記章と同じデザインの旗が、大きく掲げられた建物――、
『
「でも、まだだ……、まだ間に合うっ!」
“九五四年度・入学式”と書かれた立札の前で、一旦立ち止まり、呼吸を整える少年。
「よし……っ! 行――」
いざ、全力疾走で、一気に駆け抜け……なかった。
「ん? なんだ?」
少年が出鼻をくじかれた理由は2つ。
1つ目は、
「何だろう? いい匂い」
どこからともなく、みかんのような香りが、ふわりと漂ってきたから。
しかし、それだけならば、少年はまた、すぐに走り出していただろう。
それをせず、完全に足を止めてしまったのは、
「……って、何あれ?」
「ヤバいよぉおお……。入学式でしょ? 知らない人だらけでしょ? うまく話せるかな? なじめるかな? あぁあヤバヤバ、緊張止まんないよぉお……」
道端でうずくまり、ものすごい速さで、何かブツブツ言っている少女が視界に入ったから。これが、2つ目の理由。
「めっちゃ心臓バクバクいってるんだけど!? これ大丈夫なの!? 死ぬ? 死ぬの? 死んじゃうの? これ絶対死ぬやつぅうう!?」
「いや、それだけ元気なら、大丈夫だろう」
世間一般で言うところの“ヤベぇやつ”にあたるであろう少女に話しかけている余裕など、少年にはないはずだった。しかし、
「っていうか、真幌沢の……同じ学校の人ですよね? どうしたんですか?」
少女の服装を見て、その左胸の位置にある記章を見て、声をかけずにはいられなかった。
「ひぃやっ!? なんですか? 誰ですか? ふふふ不審者ですか!?」
「それなら、オレの目の前にいる」
「……え、わたし!? 失敬な!? ただ、通学路の隅っこで、うずくまりながら、ブツブツつぶやいていただけで……不審者だコレ」
「自覚あるのかよ」
人間の言葉が通じることに、内心安堵しつつ、少年はできるだけ冷静に対応した。
「そもそも、あなた誰です? 真幌沢の生徒なのは分かりますけど……まぁ、だから、声かけたんですけど」
生徒じゃなければ、最悪、通報してたけどな。少年は思ったが、口には出さなかった。
「わたしは、
「え? 新入生だったのか? オレと同じ」
杏樹 なつめと名乗った、肩まで伸ばした薄い栗色の髪に橙オレンジメッシュを入れた少女が、自分と同じ新入生であったと知り、少年は一瞬だけ、気が楽になった。なったが、
「……あ!? ヤベぇ! 入学式!! 遅刻だっ!?」
一瞬だけだった。
先ほどまで、なぜ自分が全力疾走していたかを思い出した少年は、足を止めたことを、激しく後悔した。
「あ!? そうじゃん、遅刻じゃん!? ヤバいよこれホントに……死ぬ? 死ぬの? 死んじゃうの……?」
「死んでる暇なんかねぇ! とにかく行くぞ!!」
しかし、その後悔もまた、一瞬だけだった。
「行くぞって……今から行ったって、絶対間に合わないよぉ……」
「間に合わないなら、もう、それでもいい。でも、とにかく行かないことには、何も始まらないだろう?」
「そりゃあ、そうだけども……」
「考える前に走れ!だ。ほら、行くぞ!」
「えぇえええ!? ちょっと待ってぇえええ!?」
杏樹なつめと名乗った少女の手を……、厳密には、左手首あたりの位置を、右手で軽く掴み、少年は歩きだした。
走り出したのではなく、歩きだした。
「って、走らないの!? 流れ的に、走るとこじゃないの!? ここ」
至極当然な、なつめの問いに、少年もまた、至極当然といった態度で答える。
「走ったところで、遅刻確定なんだし、ここはゆっくり、堂々と行こう」
「堂々と、って……一番苦手な言葉だぁ……」
ぐずりながらも、他にどうしようもないことが分かっているからか、堂々という言葉が似合わない少女は、少年と共に歩き出し、
「どうしても無理なら、オレの後ろにでも隠れていればいい」
「え? いいの?……じゃあ、お言葉に甘えて」
そして、一切悩まず、隠れるように、少年の後ろに回った。
「まぁ、そう怖がらなくても大丈夫だろうよ。よほど想定外のことが起こらない限り」
「そ、そうだよね。よほど想定外のことが起こらない限り……。ははは……」
力なく笑う、なつめを背後に連れながら、少年は歩みを進めた。しばらく進んだ。そして、止まった。
「うわっ!? き、急に立ち止まって、どうしたの……?」
完全に少年の背後に回っていた、なつめが、少年に追突しかけ、同じように立ち止まった。
そして、少年と同じく、“それ”を見た。
「え……ウソでしょぉ……?」
1人の少年と1人の少女の視線の先。計4つの瞳が見つめる先にあったのは、真幌沢学園の入り口にあたる、校門。
学校なのだから、校門があるのは当たり前。
それがすでに、完全に閉じられていたが、状況的に、さして不自然ではない。
だが……、
「あー、起こったな。想定外のこと……」
その門が、高さ5メートルほどあり、人が通れるほどの幅の隙間がなく、さらに、周囲を高い石垣に囲まれているとあっては、話は別だ。
「終わった。わたしの……わたしたちの、学園生活……。まだ始まってすらいなかったのに……」
「…………」
膝をつき、項垂うなだれる、なつめ。
項垂れていたから、見えていなかった。
自分の前に立つ少年が、ゆっくりと息を吸い込み、瞳を閉じるのを。
下を向いていたから、見えていなかった。
数秒、間をおいた後、その瞳が大きく開かれ、決意と楽しみが入り混じったような、不思議な表情へと変わっていくのを。
「こんな壁、どうしようもないよぉ……。もう、帰るしか――」
「壁じゃない」
なつめの言葉を遮るかたちで、少年がポツリと一言。
自分を怪訝そうに見つめる少女に向け、不思議な表情の少年は続ける。
「あれは壁じゃない。門だ」
「えっと……そう、だね……?」
単純に、訂正のための言葉だと思い、首を傾げたまま、なつめはとりあえず同意。
そんな、なつめの瞳を、しっかりと見つめ、少年は言葉を紡ぐ。
「門ってことはさ、その向こうには、必ず何かがあるってことだろう?」
「それは……そうだね……?」
少年の瞳に映りこんだ自分の姿を認識して、頬を赤く染める、なつめ。
そんな、乙女な心情などお構いなしに、たった一言、少年は問いかけた。
「あの門の向こうには、何がある?」
「……? 何って、そんなの……学校?」
なつめは、いまだに、少年の発言の意図が理解できずにいた。さらに――、
「そう、学校だ。学園だ。オレたちが、これから3年間過ごす、学び舎で……“まほろば”なんだ」
「…………!」
少年の、どこか楽しそうな、しかし、どこか作り笑いのような笑顔を見て、数秒間、思考を奪われた。
何を考え、何を言えばいいのかも分からず、ただただ少年に視線を送ることしかできなくなっていた少女に、少年は無言で頷き、校門へ向け、ゆっくりと歩みを進めた。
そして、門と石垣の間あたりの位置に立ち、空を見上げ
「この門を越えるだけで……たったそれだけで、立てるんだ。学園ここに」
なつめに……というか、どこか自分に言い聞かせるように、少年は呟いた。そして――、
「よし、登るぞ!」
なつめへと振り向き、声高らかに宣言した。
「登る……って、え? まさか……門を?」
少年は、無言で頷いてから
「他に方法なさそうだからな」
さも当然そうに、言い放った。
なつめは、考え、思考し、思案し、数秒後、口を開いた。
「……できれば、やりたくない。っていうか、普段だったら、絶対絶対やらない……けど」
意を決したように、今度は、少年の瞳を、その中に映った、自分自身の姿を、しっかりと見据え、
「きみが、一緒に行ってくれるなら、やってみる……やってみるよ」
どこか頼りなさげながらも、確かに言い切った。
だが、直後に、
「あ、でも……登るなら、その……きみから先に行って、ほしい……かな……?」
どこもかしこも頼りなさげに、提案してきた。
「え? いいけど……なんで?」
本気で理由が分かっていない様子の少年の問いに、頬どころか、顔中を赤く染めながら、なつめは答える。
「いや……だって、ほら、わたし……スカートだし……だから……」
「…………」
スカートをはいた女子生徒と、スラックスをはいた男子生徒の間に、数秒の沈黙が流れた。
しばらく、少年は想像し、空想し、妄想した。そして、それらを振り払うように、口を開いた。
「わ、分かった! じゃあ……オレから先に行くぜ!!」
「う、うん……」
少年は、門を登り始めた。門と石垣の境のあたりを、石垣を足場として、登り始めた。
途中、4回ほど足を滑らせかけ、6回ほど門や石垣に体をぶつけ、13回ほど落ちかけ、少年は、なんとか登り切った。
「た、たいしたことなかったな……」
震えた声で、ボロボロに疲弊しきった少年が、門の上に立ったのを見て、なつめもまた、動き出した。
「や、やるって言ったからには、やらなきゃだよね………。うぅ……」
登り始めた、気弱そうな少女を、少年は心配そうに見つめていた。……が、
「ん? 速えぇ!?」
自分の2倍……いや、3倍は早く門を登る、なつめの姿に、少年は瞳を大きく見開いた。
結局、なつめは、途中で2回ほど後ろを見て、誰かに見られていないか確認し、
3回ほど風に揺れるスカートを抑え、1回も足を滑らせたり、落ちそうになることなく、少年の半分ほどの時間で登り切った。
「ふぅ……。こ、怖かったぁ……」
「…………」
少年が、まるで、別の星の生き物でも見るかのような目で、なつめを見ていたが、本人は気づいていなかった。
「えっと……登ったはいいけど、これからどうするの……?」
「ん? あぁ……この石垣の上を歩いていけば、そのうち、下に降りられる場所が見つかるはずだから、そこから降りる」
確証はないんだね……。なつめは思ったが、ここまで来たら、最後まで付いて行くしかないだろうとも思い、何も言わなかった。
それからしばらく、2人は歩いた。そして、なつめの不安とは裏腹に、それはすぐに見つかった。
それは、大きな階段のようになっている場所で、段の下のほうは茂みになっていて、その下の地面は、芝生だった。
「すごいすごい! これで降りられるよぉ!」
心底嬉しそうに、喜びの表情を浮かべる、なつめだったが
「……本当にあったんだ」
少年がポツリと漏らした言葉に、真顔になった。
なつめは、今度は、さすがに何か言おうとして
「え……っ!?」
できなかった。
不意に体勢が崩れ、重力に従い、その体が、ゆっくりと地面に向かって落ち始めた。
「!?っ……おい!!」
直後に、少年も状況を理解し、落ち行く少女に駆け寄り
「う、うわぁああああああああ!?」
「杏樹ぅうううううっ!!」
空中で抱くような体勢になりながら、2人一緒に落下していった。
2人が落下するまで、時間にして、5秒もかかっていなかった。
だが、少年が体感していた時間は、その何十倍も長かった。
「あ、これ、さっきのいい匂いだ。……そっか、この子からしてたんだ。……みかんの匂いか?これは」
スローモーションで流れる時間の中、その腕の中に少女を抱いた少年の思考は、驚くほど冷静だった。
「そういや、大きな事故に遭った人は、事故の瞬間、時間が止まったような感覚になるって、聞いたことあるな……。そうか、これがそうなのか」
そして、冷静に考えた結果、一つの行動を起こした。
「オレが助かるか、助からないかは分からないけど……せめて」
腕の中の少女を……自分に強く抱き着いている、なつめの顔を覗き込み、
「この子だけは、助けよう。……絶対に」
落下の際、自分が下になるように、可能な限り身をひねった。そして……
「がっ……っ!?」
「おわぁああ!?」
スローモーションは、突然終わった。
(下)へつづく……。
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