第19話

「浅倉、これから遊ばね?」

「ごめん、来週まで忙しくて」


 友達からの遊びの誘いを断って即行帰宅してはせっせと描き進めていた。

 帰宅してから寝るまで夕飯と風呂以外はずっと描いていた。はやく終わらせてこの気持ちを伝えたい、その一心で夢中で描いていた。


 次の日は編集者気取りの茉白ちゃんのお兄さんがうちに来て漫画を読んでいた。


 一度貸してからというもの、少女漫画にどっぷりハマってしまったらしい。

 俺としては友達が共通の趣味を持つのは嬉しい限りだけど、隣で泣かれると気が散る。


「遊園地行った日、茉白にちゃんと聞けたか?」

「大事に思ってるから漫画見たいってさ」

「それでそんなに頑張ってると」


 どうやら一度二徹して保健室に運ばれた前科があるので心配して家を訪れている節もあるらしい。今のところ徹夜まではしてないし体調的にもなんら問題はないんだけれど。


「今どんな感じ?」


 読んでいた漫画を閉じて俺の後ろからタブレットの中を覗き込む。


「あれ、絵柄前と違ってない?」

「そんなつもりないけど」


 一週間前に描いていた頁と見比べてみるとたしかに変わっていた。ペースを早めたわけでも手を抜いたわけでも、ましてや描き方を変えたつもりだって一切ない。


 それに冬真は『違う絵柄』という言葉で濁したけど、明らかに絵のレベルが下がっている。まるで別人が真似して描いたような酷い出来だ。


 どうして今まで気付かなったんだよ、何頁分この絵柄のまま描いてしまったんだ。

 こんなんじゃ茉白ちゃんに見せられない、描き直さないと。


「冬真、ちょっと集中したいから今日は帰って。漫画なら持ってっていいから」

「わかったけど、くれぐれも無理しないように」

「うん。また心配かけるわけにはいかないからね」


 そうだ、ちゃんと意識して描けばいつも通りに描けるはずなんだ。

 どうしてだ、手は動くのに何もかも決定的に違う。


「くっそっ……! なんでだよ!」


 苛立ちに任せて机にぶつけた拳がじりじりと痛む。とにかくはやく戻さないと俺には時間がないんだよ。


「結翔、ご飯よ」

「要らない」

「もう作っちゃったんだから食べなさいよ」

「要らないってば……!」


 部屋の中は俺の怒鳴り声が木霊して、外からは階段を降りていく音が聞こえる。


「はぁ……。なに母さんに当たってんだろ」


 納得がいかないからって机や人に当たるとか俺らしくもない。


 俺が茉白ちゃんの為に漫画を描こうとしてるみたいに、母さんだってわざわざ俺らの為に作ってくれてるんだよな。ちゃんと後で謝らないと。


 それから夜遅くまで絵を描き続けていた。何枚描いても前のようには書けなくて苛立ちが増すばかりだった。


「冬真、不安なときってどうしてる?」

「聞かない方がいいと思うけど」

「なるほど……じゃあやめとくね」


 一度冬真の自虐を目の当たりにしている上に、冬真本人に直接忠告されては続きは聞けない。


 冬真は俺のことをポジティブだって言ってくれるけど、本当は全然そんなことなくて、寧ろネガティブな自分が嫌で表面だけ偽って繕ってるだけなんだ。


 だから本質的には俺も冬真も似た者同士だと思う、腹の中ではどす黒くて汚いことばっか考えてて嫌悪感に潰されそうになりながら生きてる。


「柏木は辛いときどうしてる?」

「考える必要のない嫌なことは考えないようにしてる」

「それは賢いね」


 考えなくてもいいことをシャットアウトできるのは人生を格段に生きやすくする処世術だ。


 柏木のことはあまり知らないけど、きっと俺よりもずっと生きづらい人生だったはずだ。


 今だって付けてる眼帯も趣味だなんてことはないだろうし。ただそれを詮索する勇気は俺にはないし、柏木だって知られたくはないと思う。


 それに俺はそんなに器用じゃないから今だって漫画のことで頭がいっぱいになってるし、約束破って茉白ちゃんのこと失望させたらどうしようかとか考えてる。


 色々恵まれてる自覚はあるけど考え方一つでここまで生きにくくできるのもまた才能なのかもしれない。


「ただいま」

「おかえり」


 家に帰ると兄貴だけが既に帰っていて、ソファに寄りかかってスマホを弄っていた。別に全く話さないわけじゃないし、嫌いなわけじゃない。

 ただ互いに無干渉なだけだ。


「元気ないけどなんかあったか?」

「兄貴には関係ないことだよ」


 久しぶりに挨拶以外の話をした。きっと俺の様子を見て心配してくれてただけなのに冷たい言葉を吐いて自室に逃げた。


 兄貴は俺に無関心だと思っていた。だから目の前でどんな顔してようが何も言ってこない、だから少し気を許していた面もあった。


 それなのに急に心配されるとかえって接しにくいし居心地が悪い。


「やっぱスランプなのかな」


 一日経てば状況も変わるだろうと踏んで少しだけ期待していた。結果は相変わらずで苛立ちが募る。


 ただ苛立ちをペンに乗せてもいい絵にはならないし、この状態で闇雲に描いていれば治るわけでもないことは知っている。


「あんまし良さそうなのないな」


 ネットで調べたスランプを抜け出す方法を見ながらそんな言葉を吐き出した。

 食欲もないし他にすることもない、かと言って眠いわけでもない


「飯、今日は食えよ」

「ごめん、食欲ないんだ」


 母さんの代わりに兄貴が料理を運んできた。やたら気を使われて気味が悪い。


「感想適当に考えといて」


 それだけ言うと急に俺の前で箸を持って飯を食べ始めた。

 驚いて何も言えなかった、わざわざ俺の部屋まで来て要らないと言った途端ここで食べ始めるなんてどういうつもりだ。


「兄貴はもう夕飯食べたんだよね?」

「食べたぞ。それで何か感想は思い付いたか?」


 わずか数分で食べ終わると今度は俺に尋ねてきた。

 そこでようやく理解した、俺がちゃんと食べたと見せかける為にわざわざ俺の分まで食べてくれたんだ。


 自分の分食べた後にもう一人前食べるとか無理しちゃって。俺の兄貴ってこんなに優しかったっけか。


「美味しかった。それとありがとう」

「伝えとく。まだお前が食べ切るには早いだろうからもう少しだけここに居る」


 申し訳なさが残る中、律儀に五分待って部屋を出て行った。

 俺はその後、机の前に立っても描く気にもなれず夜風にあたって気分転換でもしようと思い家を出た。


 行く宛てもなく家の近くを徘徊していると、突然ポケットが震える。

 手を突っ込んで中にあるスマホを取り出すと茉白ちゃんからのメッセージが届いていた。


『今電話できる?』

『大丈夫だよ』


 向こうから通話に誘ってくるなんて珍しい。俺が返信するとすぐに電話がかかってきた。


『ごめんね? 急に電話したいとか言って』


「いいけど今日はどうしたの?」


『あーえっとね……。声が聞きたくなったから?』


「嘘が下手だね」


 バレバレの嘘を付いて誤魔化そうとしているのが見え見えだけど、多分恐らく十中八九冬真の入れ知恵だ。


 それでも落ち込んでいるときに好きな子からこんな台詞を言われたら嬉しくないはずはない。


「今俺スランプみたいでさ、全然上手く描けないんだ」


『ちゃんと伝えてくれて嬉しい。本当はすぐにでも読みたいけど待ってるよ』


「約束は守るよ、じゃないと格好つかないから」


『じゃああたしは引き続き大人しく楽しみに待ってるね』


 こんな大見得を切ってしまった以上、後には引き下がれない。でもなんだか茉白ちゃんと話していると自信と力が湧いてくるんだ。


 ネガティブな部分が彼女と話しているときだけは忘れられるような気がする。


「じゃあそろそろ切るね。おやすみ茉白ちゃん」


『またね、おやすみなさい』


 通話が切れたのを確認するとスマホをポケットに突っ込んで足早に歩を進めて家に帰ってきた。


「母さん、昨日はせっかく作ってくれたのに食べなくてごめん。今日のご飯美味しかったよ」

「何言ってんのよ、食べてない癖に」

「悪い、普通にバレた」


 驚きのあまり空いた口が塞がるまでに時間がかかったが、母さんは温め直してもう一度用意してくれた。


 茉白ちゃんと話したおかげだと思うのは都合がいいかもしれないが、何故か食欲が戻ってちゃんと食事が喉を通った。


「ごちそうさま、美味しかったよ」


 手を合わせて席を立つと今度は兄貴の前に移動して肩を叩く。肩叩きではなく、付いて来て欲しいという意思表示だ。


 兄貴はそれを察して俺の後を着いてきた。そのまま部屋の中に入れてタブレットとパソコンのの電源を入れた。


「今まで知られたくなくて言ってこなかったけど、俺少女漫画描いてるんだ」

「ならどうして今は言ってくれたんだ?」


 画面には目もくれず、俺の目だけをただじっと伺っていた。俺は生きにくい考え方をする癖に都合のいい生き方をしてきた。


 たった一人の血を分けた兄貴に自分の趣味を否定されるのが怖かった。お前には出来やしないって否定されるのが怖かった。


「兄貴はずっと俺に興味がないと思ってたから。でも最近なんかすごく優しくて温かくて、凄い都合いいし今更だけど俺のこと知って欲しくなったんだよ」

「避けられてる自覚があったから無干渉でいた。でもずっとお前のことは気にしてた、だからやっと心を開いてくれたみたいで嬉しい」


 ただ不器用で言葉足らずな兄貴を冷たい人だと勘違いして先に距離を置いたのは俺の方だ。そんな俺の為にわざわざ関わらないでいてくれて、それでも内心気にしててくれて。

それで何年もそのまま我慢してたのかよ。


「自分勝手な理屈ばっか捏ねて兄貴にばっかり辛い思いさせて知ろうともしなかった」

「いいんだ、俺はお前のたった一人の兄貴なんだから。感謝も謝罪も要らない。無茶でも我慢でもさせればいい」


 一体この人はどこまでお人好しなんだろうか。

 こんなに優しくて頼れる兄貴がいたのに自己否定と自己憐憫の繰り返してどっちが不器用か分かったもんじゃないな。


 本題に入らないのかと促されて話を始める。


「今、好きな子が居るんだ。その子に見せる為に漫画を描いてたのに突然今までみたいに描けなくなって何度描き直してもダメで。でも約束の日までに絶対に終わらせないといけない。だからスランプを脱する方法を一緒に考えて欲しい」


「単純な話だ。元々描くのが楽しくてやっていたんだろ? それが今はその子に見せることばかり考えて描いている。その子の為に描くのはいいが、お前自身が楽しんでいないからだよ」

「そうかもしれないね」


 何を理解に苦しんでいるんだと言わんばかりに迷いのない答えだった。


 たしかに俺はあの日遊園地に行った日から何かにつけて、茉白ちゃんの為、茉白ちゃんの為って口にして無理やり作業していたような気がする。


 でもなんで殆ど喋ってこなかった俺のことを瞬時に見抜けるんだよ、本当に俺のこと気にしててくれたんだね。


「少し待ってて」

「分かった」


 楽しみながら、言われた言葉を意識してペンを走らせる。物語の登場人物に俺と茉白ちゃんを当てはめる。


 俺がこんなこと言うときどんな気持ちなのかとか、茉白ちゃんならどんな表情でなんて返すんだろうかとか。


 自然と腕とペンが動いて絵ができていく、表情が、キャラが生きていく。


「兄貴、前みたいに描けたよ」

「役に立てて何より。また何かあれば頼れ、それと無理はするなよ」

「もう約束の日まで時間ないから無理はするよ。兄貴も協力してね」

「結翔が頑張ってるうちは何でもしてやる」


 言質をとる必要もないくらい素直で真っ直ぐな言葉だった。


 今日を含めてあと四日間、描き直す分も入れると量はわりと残っているが、多少無理をしてでもやりきれるくらいに今は描くことが楽しい。

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