第10話

 柏木が栞さんの写真を……。前々から面影を重ねてはいた。他人の空似だったらどれ程良かっただろうか。


 俺が報われないと思うのは、救いを求めるのはどれ程身勝手なことだろう。何が何だか分からないんだ。行動に自信を持てない。


 やることなすこと全部空回りだ、もう誰の為に何をしてるかすらも思い出せやしない。お前は誰を幸せにしたいんだよ。答えろよ。なんで分からないんだよ……。


 家に帰って手も洗わずにベッドに倒れ込んだ。眠いのもあったけれど、今はとにかく全部忘れてしまいたかった。全て忘れて一からやり直したかった。


 目が覚めたのは午前二時だった。腹が減ったと胃袋が泣いてぐずる声がする。喉の渇きを潤したくてリビングに降りた。


 電気も付けずに冷蔵庫の中身を漁って適当にあるものを貪った。


「うぁ……ぉえっ……」


 欲しいと願った癖に無理やり押し込んだら逆流した。拭くものを探して廊下に出ると眠たそうに目を擦りながら降りてくる茉白とすれ違った。


「びっくりした。茉白か」

「——冬真くんはさ、あたしを頼ってくれないんだね」

「お前には十分救われてるよ」

「言いたくないことは言わないでいい。都合よく利用してくれてもいい」


 茉白の言葉はいつものように優しいのに、どことなく怒気を孕んでいるような気がした。茉白には茉白なりの信念があるんだ。俺が茉白を大切に思うように茉白も俺のことが大切なのはちゃんと分かってる。


 逆の立場でもきっと君に頼って欲しいと願っただろう。でも今は俺のわがままを聞いて欲しい。


「俺の言葉は嘘くさく聞こえるけど、本心だよ。茉白のこと傷付けたくないし、苦しんで欲しくない。幸せでいて欲しいんだ」

「ならあたしは見て見ぬふりを続けるね。冬真くんなら一人でも頑張れるでしょ?」

「俺なりに頑張ってみる」

「えらいえらい。おやすみなさい」

「おやすみ、茉白」


 頑張れるかと聞かれて大丈夫とは言えなかった、自信がなかったから。でもその意思だけはあると伝えられる言葉を選んだことを、茉白は咎めようとはしなかった。


 ついさっきまで沈みきっていた心を笑えるくらいまで引っ張りあげてくれる。

 偉いのはどっちだよ、こんなよくできた妹世界中どこ探しても居ないよ。


 翌朝普通に登校した。昨日の段階では休むことも考えていたが、茉白にあんなこと言ってすぐに休みでもしたらまた心配かけさせてしまうから。


 しかし二組を訪れても柏木の姿はなく、欠席だと聞いた。昨日は俺のことで精一杯だったけど、柏木はきっと今も酷く傷付いてる。


 LINEで連絡を入れたが帰ってきたのは夜八時を過ぎた頃だった。

 今を逃したらまた数時間見てくれないと思って無許可で電話をかけた。


「急に電話なんかしてごめん。今から会いに行ってもいいか」


『うちの近くの公園』


「じゃあすぐ自転車で行くからもう少しだけ待っててくれないか」


『……好きにすれば。飽きたら帰るから』


「ありがとう」


 財布とスマホだけポケットに突っ込んで自転車に跨り、夜風を切って走り出す。

 詳しい住所は聞いたことがないけど、近くに何の店があるかとかは聞いたことがあった。


 だからスマホのマップを使って店の名前で検索して近隣の公園に向かって走れば辿り着ける。そのまま漕ぎ進めていくと公園の看板が見えた。


 息を切らしながら駆けだすと、寂しそうに虚ろな目をして一人ブランコを漕ぐ柏木を見つけた。


「柏木、待たせてごめん……!」

「私が好きで待ってただけ」


 こちらに気付くと目の色を取り戻し、ぷいとそっぽを向いた。


「……じゃあ待っててくれてありがとう。それから昨日は本当にごめん、身勝手な行動で君を傷付けた」

「別に怒ってないし傷付いてもない。ただ……びっくりしただけだよ。あなたがあんなに必死そうにしてたから」


 柏木の言う通り俺はあのとき必死だったんだと思う。栞さんじゃなくて柏木は柏木なんだと頭で理解していてもあの人の影がチラついて怖かったんだ。

 自分の気持ちが分からなくなるのを畏れたんだ。


「だからもう気にしないで」

「でも今日学校に来なかったじゃないか」

「合わせる顔がなかったから。何も言えなくなって昔の私に戻ったみたいで見られたくなかった」


 なんで必死だったのかは聞かないでいてくれるんだな。そんな状態まで追い込んでおいて俺は理由も言わずに謝るだけか……。

 つくづく自分の不甲斐なさと愚かさに嫌気がさすな。


 でもいつか決意ができたらきっと話すから、そのときまではどうか黙って傍にいさせて欲しいと願う。だからその為に答えて欲しい。


「昨日柏木の鞄から出てきた写真に写ってた人って誰?」

「……お姉ちゃん。私と違って明るくて優しくて愛想がある自慢の」

「写真持ち歩くなんて仲良いんだな」

「ううん、どっちかって言うと苦手かも……。鞄にいれてるのは憧れだったから」


 憧れで苦手、か。複雑な表現だけど、その言い方は何となく要領を得ているような気がした。


 俺の憧れと柏木の憧れではきっと意味に大きな違いがあるんだろうけど、図々しいけど、柏木が自分と一緒だと思い込みたかったから掘り下げたりはしなかった。


「お姉さんの名前聞いてもいいか」

「……柏木、栞」

「やっぱり。栞さんは昔お世話になった人なんだ。どうしても話がしたくて、二人で話す機会って作れないかな」


 思った通り、柏木のお姉さんが栞さんであるのは間違いなかった。『栞』、という名を口に出すのを渋ったような気がして話を続けるのが少し気まずかった。

 でもここで言わなければまた長いこと後悔する気がして言い切った。


「じゃあ、また連絡するね」

「ありがとう」


 嫌じゃないかと聞くのは野暮だと思ったから素直に感謝だけを伝えた。名前を呼ぶのも渋るくらいなら俺との架け橋になるのだって嫌じゃないはずがない。

 

 嫌だと確認した上で再度頼む勇気なんて俺は持ち合わせていないから。


「希瀬くんはいないの?」

「ああ、双子の妹がいるよ。俺なんかとは似ても似つかない可愛くて器用で気が使えて優しい妹。良かったら今度会ってみないか?」

「うん、会いたい」

「じゃあ伝えとくな」


 会わせてもらう代わりにってわけじゃないけど、何かして貰うだけの立場ではなくなったことに安心感を覚えた。自分から、それも茉白に会いたいと思ってくれたことが嬉しかったんだ。

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