第9話

 建物の影で見えなくなったのを見て歩きだす。ネガティブな感情はすぐに人に伝染すると聞くけど、ポジティブな感情も同じように伝染するんだなと実感した。


 だって朝まであんなに苦しかった胸が今はこうも温かいんだから。


「おかえり冬真、ご飯は?」

「あーごめん。もう食ってきちゃった」

「先に言いなさいよ」


 家に帰り玄関のドアを開けると母さんがリビングから出てくる。

 時計を見ると針は八時半を回っていた。駅からどのくらいかかるのかは分からないが、無事家に帰れただろうか。


「母さん、裁縫道具とかフェルトってどこにある?」

「たしか茉白の部屋にあったと思うけど」

「そっか、ありがとう」


 足早に洗面所へ向かい、手洗いとうがいをして冷蔵庫を開けてお茶を一杯注いで一気に流し込む。

 喉が潤ったのを確認して階段を上って左の茉白の部屋をノックした。


「借りたいものがあるんだけどさ」

「いいよ。入って」

「それで借りたいものって?」

「裁縫道具とフェルト……」

 中に入ると早速一番聞かれたくなかった質問をされた。手先が器用じゃないのも裁縫が苦手なのも茉白は知っている。


 その上で自分から裁縫道具を借りに来るなんてそれ相応の理由があると言っているようなものだ。


「あたし代わりにやろっか?」

「自分でやりたいというか」

「なら教えてあげるからここでしよ? 今日あったこと聞かせてよ」


 今日あったことが現在の状況に直結するかと言われればしない。とはいえ柏木と二人で出かけたことは茉白には言っていない。


 かと言って色々と付き合って貰っている分黙っておくのも身勝手ではあるし、俺一人で裁縫が上手くいく気もしない。


「今日柏木と二人で遊んできたんだ」

「やっぱり? 楽しかった?」

「……ああ、楽しかったよ」


 落ち着いて考えた上で話を始めると、到底俺では分かるはずもない場所から裁縫道具とフェルトを取り出しはじめた。


「はい、これ持って。糸は流石に通せるよね」

「さすがにそこまで不器用じゃないぞ」


 その言葉が見事にフラグとなり、三分程経っても一向に通らないことに痺れを切らした茉白に針ごと奪い取られた。


「はい。できないならちゃんと頼ってね」

「すみません」


 ものの数秒で針に糸が通った状態で返され、追加で辱められて兄としての面目が立たない。


「フェルトで何がしたいの?」

「このぬいぐるみにフェルトで眼帯を作って付けたい」

「ならフェルト切らないとだよ」


 茉白に柏木の目の話はしていないし、柏木がいいと言うまで他の誰にも言うつもりはない。


 だから少しでも掘り下げられると返答に困ったが、幸い茉白が理由を聞くことはなかった。


 大人しく言われたようにフェルトを切り取る作業を続けて、今度は茉白の真似をして縫う作業に移った。


「今日冬真くんは柏木さんと何して遊んだんですかー?」


 黙々と手を動かしていると、急に茉白が覗き込むものだから驚いて顔を上げる。

 そう言えば手伝ってもらう代わりに今日の話を聞かせて。という条件だった。


「駅で待ち合わせをした」

「うんうん」

「映画館に行って映画を見て、ファミレスで夕飯を食べた後にゲーセンで遊んできた」

「だめだめ、そんなんじゃ伝わんない」


 当然それで済ませてくれるはずはなく、詳しい情報提供を求められた。

 デートと呼んでいいのかは知らないが、男女一対一でのお出かけの内容を事細かに実の妹に伝えるのはなかなかのメンタル強度が必要だ。


 とはいえ手元のぬいぐるみの進行度を見ると、とても俺一人じゃここまで出来ていないと悟り腹を括った。


「今日は柏木から誘われて、今恋愛モノの映画やってるだろ? それ見てきたんだ」

「向こうからって随分仲良くなったんだね。映画面白かった?」

「まあ、おかげさまで。ネットで見た評価のわりに面白かった。柏木も良かったって言ってたし」


 茉白は柏木の秘密について知らないので俺と柏木が急に仲良くなりだしたと思っている。


 そのせいで何か裏があるんじゃないかと、疑いの目を向けられているような気がする。


「あーあのさ。言いにくいけど縫い方途中から間違ってるよ」

「頼むからもっと早く言ってくれないかな」

「ごめんね? 話に夢中になってて言うタイミングが……」


 終わりかけていたように思えた縫い目も解き直しになり、振り出しに戻ってしまった。お詫びに途中まで縫おうかと問われたが、やっぱりどうしても例え出来が悪くても自分で完成させたかった。


「それで格好付けようと思ってやった台で俺が取れなくて柏木が二つ取っちゃってさ。だから一つ貰ったんだ」

「……そうなんだ」


 今日のことを話しながら気に入るまで何度も縫い直していると気付けば深夜一時を回り、茉白はそのまま机に寄りかかるようにして夢の世界へ落ちかけていた。


「こんな時間まで付き合わせてごめんな」


 茉白をベッドまで運び、裁縫道具だけ頂戴して部屋の電気を消して自分の部屋に戻り完成するまで縫い続けた。


「お疲れ様、冬真くん。行ってらっしゃい」


 朝目が覚めると寝不足でだるさの残る身体を無理やり動かして支度を済ませ、机の上にあった眼帯付きのぬいぐるみを鞄に付けて家を出た。


 茉白の温かい声に背中を押されて漕ぎ出した。風でなびくぬいぐるみに付けられた眼帯は何度も縫い直したわりにとても不格好で下手くそだった。


「冬真目の下のクマ凄いけど大丈夫か?」

「ああ、結翔か……。俺なら平気だから」

「いや全然平気そうに見えないけど。保健室連れてこうか?」

「ただの寝不足だからマジで大丈夫」


 調子の悪さは誤魔化せてもクマまでは誤魔化せず、案の定結翔に心配される始末。


 納得できるまで裁縫してて寝てないからベッド貸してください。なんてとてもじゃないが言えないので耐え抜くしかない。


 授業も四時間目に差し掛かった頃、気が付くと周囲から笑い声が聞こえ始める。

 目を開けると後ろには教師が立っており、軽く頭を教科書でつつかれた。


 早く終われと願い続けて時計とにらめっこしていたのでよく覚えているが、さっきと比べて二十分近く時間が過ぎている。


 おかげでだいぶ眠気の方はマシになったが今度は羞恥心が俺を襲った。

 授業終わりにクラスの生徒数名にからかわれながらいつものように弁当を持って柏木の元へ向かった。


「目の下すごいね」

「寝れなくてさ」

「希瀬くんもそれ付けてきてたんだ」

「柏木もか」


 ぬいぐるみをそっと鞄の影に隠す。よく見ると柏木の鞄にも俺のと全く同じ位置にぬいぐるみが付けられていて、傍から見たらお揃いのぬいぐるみを鞄に付けてるとかバカップルさながらじゃないか。


「お揃い……だね」

「だね」

「うん」


 それからは特に何かあるわけでもなく弁当を食べ始めた。ひたすら箸で摘んで口に運ぶ。その繰り返し。

 すると柏木は何を思ったのか、突然席二つ分程詰めて俺の真横に座った。


「希瀬くんのちゃんと見せて」

「あ、はい。どうぞ……」


 バレないように隠してはいたが、直接こう言われたんじゃ断れないので大人しく差し出した。自分があげたぬいぐるみに眼帯がつけてあったら何を思うだろうか。


 それを学校用の鞄に付けてあったらさすがに気持ち悪いだろうか。どんな顔されるんだろうか。


「これ、眼帯?」

「不器用なりに頑張ったつもりなんだけど」


 いや、何言ってんだよ。頑張ったからなんだよ。これじゃ認めてるのと同じだ。


「ふふ。それでクマできてるんだ」


 そう言って悪戯そうに淑やかに笑う。俺には感情の色なんて見えやしないけど、この笑みの中に嫌悪感は含まれていない気がする。


「これと私似てるかな?」


 顔の横にぬいぐるみを並べて柏木が笑う。すると柏木の鞄の中から何かが滑り落ちた。見るとそこには楽しげに笑う栞さんの姿が写った写真が出てきた。


「ただ君の周りには優しさで溢れていて欲しいから」


 いつもこうだ。忘れようと思うと突然あのときの記憶がフラッシュバックする。

 どれだけ柏木を大切にしようとしてもその度にあの人を思いだす。


「え、何……急に……」


 動揺する柏木に何も言わず、顔に手を置き眼帯を剥ぎ取った。他の生徒の目につく場所でこんなこと迷惑に決まっている。


 それでも俺は柏木は柏木以外の誰でもないと、その瞳を見て安心したかったんだ。


「ごめんね、突然こんなことして」

「今、何色?」

「薄い、水色」

「……」

「本当にごめん」


 昼休みが終わるまで柏木が言葉を返してくれることはなかった。

 水色がどんな感情なのか俺には分からない。


 でも一つ確かなのは俺が柏木の傍にいる資格なんてないこと。

 何が柏木の為だよ、本当のとこは俺が俺の隙間を埋めたくて利用してただけじゃないのか。

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