第7話
「良かったら柏木のことも教えてくれない?」
「知られたくないから」
「俺は知りたい」
一ヶ月近く柏木の隣で昼飯を食べてきた。返事はそれなりに返ってくるようになったし、ある程度距離が縮んだ実感はあった。
でも自分の話は全くしてくれなくて、それがもどかしくてつい口に出してしまった。
話したくないことを黙ったままにしてるのは俺だって同じなのに。
「私はきっと嫌われるのが怖いんだよ」
「それはみんなだってそうだろ」
「……あなたにも嫌われたくないから教えたくない」
気持ちは分かる。嫌われたくなくて言わないのは俺もそうだから。
「それってさ、柏木の経験談?」
「……」
分かるからこそ柏木に問い詰めた。このまま行けば知りたかった情報が手に入るかもしれないと思ったから。
何も言わないのはきっとどちらを選んでも分かってしまうから。無言は肯定を意味しているんだろう。
ここで話を続ける俺はきっと優しくない。優しい俺はもう居ない。
「俺は柏木を嫌ったりしないよ」
嫌ったりしない。本心だけど、無責任な言葉だ。その先を聞いて判別がつくことなのに知りたいが為に繕う酷い言葉だ。
「先のことなんて分からないじゃん」
「無責任って分かってるよ。でも知りたいんだ」
分かった上で開き直るのは自分を正当化しようと思うから。
相手の言葉を認めた上で尚意志を貫くのは信頼させる為じゃない。
無理やりにでも知りたいと願うからだ。
「一瞬だけだから、ちゃんと見てて」
柏木はそう言っていつも付けていた眼帯を外した。
眼帯の下にあったのはもう片方の色と異なるオレンジ色の瞳だった。
「綺麗な目」
そんな言葉が自然と口から溢れた。
「——なんで色が見えないの」
柏木は両手を口にあてて目を見開いた。オレンジだったはずの瞳が水色になっていた。目を擦っても水色のままだった。今のは錯覚じゃなかったんだ。
「目の色が変わった」
「私の目は、どうかしてるんだよ」
柏木は眼帯を付け直して物憂げに俯いた。言ってしまったと言わんばかりに辛そうで、今にも崩れ落ちそうな程脆く俺の目に写った。
「見せてくれてありがとう」
泣きそうなぐらい震えた声で訴えかける彼女が可哀想だと思った。
それだけ見せたくなかったものを、こんな思いしてまで俺なんかに見せてくれたことがただ嬉しかったんだ。
「ばか……こんなの気味が悪いでしょ。嫌いになったでしょ?」
「見せてって頼んだのに嫌いになるのは無責任で一方的で最低だよ。というか綺麗だと思ったのは本心だ」
「受け入れてくれるんだね」
放課後柏木とカラオケに来た。歌いに来たわけじゃない、二人で話がしたかったから個室のあるカラオケを選んだだけだ。
「もう一回見せてくれないか」
「いいけど……」
柏木が眼帯を外す仕草が何故か愛おしく思えた。
「やっぱ綺麗だ」
「あっえっ……そう?」
また自然と口から溢れた。異性の容姿なんて面と向かって褒めるタイプじゃなかったのに。
それに柏木は何故か照れた様子で瞳だけ隠した。指の隙間から覗く瞳の色は黄色だった。
「どんな条件で色が変わってるかとか分かる?」
「私の感情に合わせて変わってる」
「じゃあ黄色はどういう感情?」
「……」
返事が返ってこなくなった。言ったら何を思っているのかある程度検討がついてしまうのでそれを嫌ったんだろう。
「他の人が何を思ってるのか、この瞳には色として映る」
「じゃあ俺もバレバレってわけか」
「……それが希瀬くんだけは映らなかった」
外しているうちはなるべく変なことを考えずに無心で過ごそうと思った矢先にそんなことを言われた。
もし変な色に映って柏木を傷付けたりでもしたらどうしようかと思っていただけに安心したのも事実だ。
「今までに俺みたいな例外は?」
「希瀬くんが初めて。だからこれを外して街を歩けば嫌悪や苛立ち、恐怖や悲しみ。嫌な色が視覚から脳に入って処理できなくなる。だからあなたに色が映らなかったのが嬉しかった」
あのとき交差点で倒れてたのはそういうことか。皆心の中に闇を抱えている。
笑顔で歩く人から嫌な色ばっかり飛び込んできたら、脳が処理しきれなくてパニックが起きるのも頷ける。
「色が変わるこの目が、好奇の目に晒されるのも嫌い。この目のせいにして人から避けてる私も嫌い。ずっと優しくしてくれてたあなたを突き放してばっかだった弱虫な私も大嫌い……」
優しくなんかしてない。優しいのはいつも俺以外だ、君が優しさと呼んでくれるのは自分の為のエゴを突き詰めて押し付けた紛いものだよ。
誰かの特別になっていい気になってるだけ。俺が柏木の特別になる権利なんてないって分かってるのに今だけはそれを望むことを許してしまいたくなる。
栞さんじゃない、別の女の子を救う特別になりたいと祈ってしまう。
『期待』してるんだ、俺じゃない他の誰かに。
「じゃあ俺の前でだけはたまにでいいから外してくれないか。柏木はあんまり喋らないから知りたくても何を思ってるか分からないんだ」
「うん……そうする」
受け入れられたんだ。綺麗なとこだけ見せて綺麗事言って近付いて、特別を望んだ癖に拒まれなかったことに安堵しない俺は一体なんなんだ。誰なんだ。
思ってること全部ちぐはぐで理解できやしない。
翌週の日曜日、俺は柏木と二人で出掛ける約束をして駅で待ちわせた。
突然柏木から映画館に行きたいと言われた。それも直接会って言われた。
どの面下げてって思うけど少し前ならありえなかったことだ。だからって訳じゃないけど柏木が喜んでくれるならそれで良かった。
「もう来てたんだ。ごめん、待たせちゃったかな」
「平気、それより迷惑じゃなかった?」
「俺は誘ってくれて嬉しかったけど」
「——ならもっと楽しそうにしてよ」
器用に取り繕ったはずの笑顔も柏木には見透かされていた。
「ごめんごめん。考えごとしてただけだから」
「それならいいけど」
人に気を使われるのは嫌いだ。家に帰るまではネガティブな考えは一切合切捨ててしまおう。柏木の為なんて大義名分がないとそんなことすらできない俺が惨めだった。
「ちょっと早いけど映画館入っとかないか」
「うん」
駅前は人の数が多く人疲れを恐れて映画館へ移動した。
移動して直ぐにチケット売り場へ直行した。
「見たい映画決まってるんだっけ?」
静かに首を縦に振って大きな看板に指をさした。テレビの広告で何度か目にしたことがあり、気になって評価を調べたことがある映画だった。
詳しいネタバレは知りたくなかったので星の数しか見ていなかったが、上映中の映画の評価として星2.8は芳しくない。
そんなことを伝えて雰囲気を損ねるのも気が引けるし、何より柏木が見たいと言っているのだからもとより見ない選択肢はない。
「柏木はポップコーンとか食べる?」
「食べたことない」
「じゃあ俺買うから一緒に食べてくれない? 一人じゃ量多くてさ」
「いいの?」
館内に入り、上映が始まるまでの時間を過ごす。確かな静寂の中で微かな話し声や雑音が混ざる。
「柏木って恋愛映画とか興味あったんだね」
「変かな?」
「いや、むしろ女子高生の趣向としては妥当じゃないかな」
「そういう希瀬くんはこれで良かったの?」
柏木に言われて一度ちゃんと考えてみる。今上映している中で言えば、消去法でいくとこれが一番興味があるが、やはり評価が低めなのが不安だ。
ただ当然見る人によって評価が変わる、だからこそ一度自分の目で確かめて見たい気もする。
というかこの手の恋愛映画はラブシーンが気まずい。それも男だけで見るならまだしも女子とはしんどい。
「思うところはあるけどこれで良かったと思いたいね」
柏木は何も言わずに微笑んだ。どんな意図があったかは俺の知るところではないけど、なんだか胸が切なくなった。
「ポップコーン食べる?」
「うん」
エンドロールが終わり、館内が明るくなり観客の感想が飛び交い始めた。
映画が始まってから終わるまでがとても短く感じた。個人的に2.8以上の面白さは見いだせたし、終盤の疾走感も悪くなかった。
上映中はスクリーンばかり気にして柏木の様子をあまり見れていなかったが、柏木は楽しんでくれたのだろうか。
「どうだった?」
「結構美味しかった……」
「いや、そっちじゃなくて」
柏木が申し訳なさそうに目を落とす先には容器の底が見え始めたポップコーンがあった。
うっかり口から結構食べたねとか漏らすとこだった。今の時点で相当恥ずかしそうにしてるし話題すり替えて気を紛らわせないと。
「映画、私は好きだった」
「そっか。俺も結構好きだった」
つまらないと思う人が多い中で柏木と俺が二人して楽しめたことが嬉しい。
きっと一人なら見ることはなかったし、自分の目で確かめることもできなかっただろうから誘ってくれた柏木に感謝したいと思う。
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