きみは、ついぞ僕の眼をみてくれやしなかった

 家に帰ると数少ないきみの荷物が消えていた。

 ずいぶん前から予兆はあった。そもそもきみは人間と暮らすことに向いていない。夜の街でふらふらと何をしているかも知れないし、大学へ向かう僕と入れ違うように帰ってきたきみからは、獣の匂いがした。夜露に濡れた森を駆け抜ける、黒い獣のそれだ。僕がどこへ行っていたのか聞いてもきみは、ついぞ僕の眼を見てくれやしなかった。

「佐々見へ。おれは人ではありません。嘘をついてごめん」

 きみの声が聞こえる。幻聴ではない。玄関に置かれた画用紙に、子供の落書きみたいなカセットデッキが描かれていた。きみがゴミ捨て場から拾い、好んで使っていたデッキのスイッチを入れると、メッセージが吹き込まれていた。きみは字が書けなくなっていた。

「どんどん獣になる時間が長くなってる。お前からいい匂いがする。お前といるのがこわい」

 森の匂いが蘇った。再生を停止してアパートを出る。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る