恋をしようとしたら、僕はまず恋を知らなかった

 恋をしようとしたら、僕はまず恋を知らなかった。たしかに神澤リンドウのことを好ましく思っていたけれど、例えば隣家の犬や屋台で売っている飴細工にも同じように感じていた。この世には好意の形が多すぎる。

 恋は総じて苛烈なものだと聞く。炙るようであったり火の粉が舞うほどの勢いであったり、炎の形に違いはあれど身を焼かれるほどの幸と苦しみを味わうと、医院の裏庭で語ったのもまた神澤リンドウだった。今の僕は彼女にそこまでのものを持っていない。けれど、そのような恋をするなら神澤リンドウ以外は考えられない。

「苦しむことすら愛しいのよ」

 しかし神澤リンドウがそこまで想う相手は僕ではない。僕は彼女の脈を何度も測ってきた。大抵はいつも規則正しい。つまり僕の前で彼女はいつも平静だ。友人の豊栄スミレが見舞いにやってきた時を除いて。

 僕はカルテに数値を記入する。神崎リンドウが顔を上げる。病室の扉が開いて、春めいた風が足元から吹き込んできた。

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