第8話 過渡期
二人での甘い時間を過ごしたのも束の間、立夏の仕事は9月に入り急激に忙しさを増した。プログラムを開発する工程が終わり、結合テストという実際に作ったプログラムを動かして行く工程に入ったものの全く思い通りに動かないのだ。
「これ、単体テストしたって嘘だろ」
立夏の隣に座る一汰と手分けをして出来上がったプログラムの動作を確認していくのだが、一汰が唸りを上げるのも頷ける状況だった。
テストをしてプログラムの修正依頼を掛け、さらに再度テストをする。ひたすらその作業を繰り返してようやく少しプログラムが繋がって動くようになる。それを続けるしかなかったが、思っていた以上に時間を取られ、残業や休日出勤が続いていた。
流石に今月のキャンプは中止にしようと維花から言われたことが更に立夏に追い打ちを掛ける。
あの甘い夜を過ごして、一度は普通のデートを楽しんだが、それ以降は会社で会えてはいても触れ合えない日々が続いている。
今を乗り切れば大丈夫だからという維花の言葉は心強かったが、疲れは肉体だけではなく心も蝕む。
@yuika 維花さんに触れたいです。いっぱいいっぱい。
思わず会社のパソコンから送ったそのメッセージにはすぐに応答はなく、維花も忙しいのかとしょげていたが、その後残業時間帯にたまたま維花とトイレで顔を合わせる。
「お疲れ様です」
同僚同士のごく普通の挨拶を立夏は出すが、それを遮るように維花は立夏の手首を掴み個室に引き込む。
「ゆ、ゆいかさんっっ……」
何をするのだこの人はと、一瞬で立夏の顔はゆでだこ状態になる。
「ここでできることは限られてるけど、ちょっと甘えさせてあげようかなと思って」
悪戯っぽく言いながらも維花は立夏を自らに抱き寄せる。
「維花さんといちゃいちゃしたいです」
「それはわたしも思ってるから、もうちょっとだけ頑張ろう」
「私、全然駄目ですね」
「どうして?」
「頑張ったけど結局こうなっちゃったし……」
それは今のチーム内の現状を指していた。一汰と一緒に詳細設計、開発と必死にチームを引っ張ったつもりだったが、足りていない部分があったからこそ、今のトラブルがあるのだ。
「わたしはそうは思ってないけど。今の顧客チームの状況は寧ろ将来的には明るいと思ってるわ」
「どういうことですか?」
維花の言ってる意味がわからずに立夏が維花の顔を見上げると、不意打ちのキスが落ちる。
「維花さんっ……」
「だって立夏ちゃんがあまりにも可愛いから」
今まで会社でキスをしたことは流石になかった。でも、維花に触れられたことで立夏のストレスが軽くなった気がするから不思議だった。
「ウォータフォール開発のV字モデルって覚えてる?」
「はい」
それは研修の頃に習ったモデルで要件定義からリリースまでの工程をV字に並べたもので、同じ層にある設計工程とテスト工程が影響することを示している。
古い考えだが、大規模なシステム開発では今でもこのウォーターフォール型が採用されることが少なくなかった。
「顧客チームは立夏ちゃんたちの頑張りのお陰で、基本設計までにきちんと顧客の要求事項を詰め切って設計に落とし込んだとわたしは思ってるわ」
それは立夏たちを維花が導いてくれたからこその実績だが、憧れの先輩である維花にそう評価されることは素直に嬉しいことだった。
「はい」
「だから今って繋がる繋がらないの部分のバグがほとんどじゃないの?」
言われてみればそうであることに立夏は気づく。
「チームが大きければ大きいほど意思疎通って難しいの。だからバグが出るのは仕方ないわ。でも、上流工程をしっかりやり終えたならプログラムレベルのモグラ叩きさえやりきれば、後は上手く行くと思ってる。ちょっと今は辛いかもしれないけど、頑張って乗り切れば後は心配いらないから」
優しく微笑む人は本当に女神かもしれないと立夏は維花の体にしっかり抱きつく。
探り合うようなキスをして、離して、またキスをして。ようやく体を離す。
「ありがとうございます」
大丈夫だからと背を押されて、立夏は再び仕事に戻る。甘いかもしれないが、維花のお陰で乗り切れるパワーが沸いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます