第三話 地下室の淫行




「なんだよこれ……宿直室の下にこんな空間が……?」




 先に梯子を降りていたシーミアの、嬉しそうな顔が頭に浮かぶ。

 癪だが、今度ばかりは本当に大発見かもしれない。


「いつも宿直室って鍵がかかってるでしょ?でも最近保母さんが寝泊まりするようになってから、やっと潜入することができたんだ!」


 コイツ……マジで一回怒られろよ。


「何か新しい本がないかなーとか探ってたらさ!これ!見つけちゃってさ!でなんと降りてみたらこんなのがあったんだ!」



 梯子を降りると、一人分通れそうな短い回廊が続いていた。数十歩も歩かないところには、スライド式と思われるドアがあり、シーミアが目を輝かせて傍に立っていた。

 シーミアはこちらを確認すると、何も言わず先に部屋の中に入って行ってしまう。


(なんだよ……こんな場所十年間もいて知らなかったぞ…?レイラさんはこの空間のことを知っているのか?)



 ドアの前まで来たとき、ようやく自分がをしていることに気付いた。背筋に悪寒がはしり、首筋には玉露たまのような汗をかいていた。

 恐る恐るドアから覗いてみると、部屋の側面いっぱいに敷き詰められた本棚が姿を現す。夥しい量の本が蔵書されており、部屋の天井には空調が陰気な音を響かせていた。作業デスクのような机がドアを背後にして置いてあり、傍に回転イスが鈍い金属音を鳴らして回っている。人一人が寝そべることができようか、といった空間。

 マンガ本、歴史、科学、娯楽小説、先代文化史、渡来言語、様々な表紙が垣間見える。


「学校では見たことのないタイトルばかりだ……」

「でしょ!!色んな魚の図鑑もあるんだよ!!それに異国の風景の写真とか!ね!すごいでしょ!!」


 シーミアのリアクションを適当に無視し、試しに適当な本を選んでページをめくって見る。


『ボヴァリー夫人  一九九七年発行 二〇二二年十刷』


「しかもこれ……検閲の烙印が押されてないじゃないか!?」

 背表紙にあの「竹に雀」の紋印が見当たらない。仙台連合が発行する書籍物には必ず旧仙台藩の家紋の施された検閲印が押されていた。


 軽くはたいてやれば、埃が宙に舞う。

 子供たちに支給されるあの教科書や絵本でさえも、あの検閲印が押されているというのに?疑問に恐怖が結びつき、うまく考えることができない。



「シーミア……ここはなんかヤバいよ……早く離れたほうがいい……。」



レオの体は未分化の恐怖に支配されていた。脊髄から這い上がる未知のシグナル。ブルリと背中を震わし、頭に響く空調の不気味な機械音がレオの足を竦ませる。

尋常ではいられなかった。背徳心が楔となって臓に結び、鼓動を握る不可視の手が逸る呼吸を喘がせた。



諤々とするレオに対して、シーミアは相も変わらず本棚を物色していた。

シーミアの能天気さをレオは苛立ちを伴った注意で制し、早々にこの地下室からでることにした。

「うーん、今日はこのぐらいにしておく?」と去り際にシーミアが呟いた。

思いきりレオはシーミアの腹に肘打ちを喰らわせていた。












部屋に戻ったレオは自室のベットに潜り込みながらあの地下室について考えていた。

タオルケットを蹴飛ばしまくり、三々寝返りを打ちながらウンウンと頭を抱えた。

それでも答えは出ない。


(直接レイラさんに聞いてみるか……?いや、勝手に部屋に入った事はどうする?)


好奇心と羞恥心が押し問答を繰り返すこと幾ばくか、時計の針は既に消灯の時刻を指していた。


そして何気なく窓の外に目を向けた時、思いかけずレオは見覚えのあるシルエットを見つけた。

「あれは………ミケ?」







寄宿舎横の廃屋となった塀の上に、野良の猫と連れ添う三毛猫の姿があった。

レオは寝間着のまま外へ向かうと、ミケはこちらに気付きニャーと鳴いた。

彼女はどうやら外の世界で素敵なパートナーを見つけたらしい。

寄宿舎に戻りミルクと煮干しの出し殻を出してやると、夫婦仲良く寄ってきて餌を食べ始めた。


 (そうだ……レイラさんにも知らせないと……)


そうしてレオは宿直室に向かった。

――この仲睦まじい様子を伝えたいという、純粋な好意だったはずだ。






宿直室の鍵は開いていた。中には明かりが燈っていた。ただ、おかしいのは人の気配がしなかったことだった。

「レイラさーん…?居らっしゃいますかー…?」

ノックをしても返事がない。物音も聞こえてこない。試しにドアを覗く程度に開けてみる。

人の姿は無い。が、先程入った時には無かった、卓袱台に広げてられたノートの一面や飲みかけのコーヒーがあることから、レイラさんがこの部屋に居たことだけは窺い知ることができた。


思い切って部屋に入る。相変わらずレイラさんの気配は無い。

しかしレオは、僅かに漂った違和感の影を見落とさなかった。


(あの御座の不自然に空いた空間……レイラさん、そこにいるんですか?)


御座の下に隠された、不自然な正方形。

地下室へと影を伸ばす、意図不明の梯子。

今、この瞬間においてはレオは好奇心にその身を委ねていた。

その憧れを灯す恋情は、母親代わりだった女性の秘密を踏破しようと懸命に燃えていた。







静謐に沈む地下回廊を、忍び足で進む。

ドアの隙間から僅かな光が漏れ差し、光芒の如く一筋の線を描いている。

レオは自然と声を殺しながら歩いていた。

近づくにつれて向こうから甘い悲鳴をあげる女の声が聞こえてくる。

地下室のドア越しに婉然と零れる快楽の嬌声。


「………ふぁ………く……ン……ッ……!」


レオは再び我に立ち返る。

俺は今、をしようとしている。

扉の前で煩悶した。開ければ自分の何かが溢れて溺れてしまいそうになる。

しかしレオは早打つ鼓動を抑えてその扉を開けた。



「あぁ……!ン……くぁ……ァ…ッ……イキそう……」


飛び込んできたのは、レオの憧れていた女性の快感に溺れる姿だった。

服も大きくはだけ、その豊満な乳房を露わにして自慰行為に耽っている。

回転イスにもたれ、扇のようにその下肢を広げると、作業デスクの上に足を行儀悪く

載せて一心不乱に右手を動かしていた。

整然と並んだ本棚が囲む地下室の中で、薄暗いデスクライトが濡れた下腹部を妖しく照らす。腰を突き出すように姿勢を変え、傾れ込む快楽に身を委ねている。

恍惚とした表情で快感を貪る彼女の姿は、既にレオの知る牛島レイラではなかった。


レオは思わず目を逸らして叫んでいた。

涙が自然に溢れて、声にならない声で問いかける。


「レイラさん………どうして……?」


もう何が聞きたいのかも分からなかった。レオ自身もこの全身からこみ上げる性欲の隆起に身を焼かれていたのだ。それほどまでにこの空間は異様だった。誰もが熱に浮かされ、理性を見失っていた。


「レオ……君……?どうしてここに………?」


大きく胸で呼吸し、トロリとした目でこちらに振り返る。

その目は未だに獣の性欲を宿していた。

妖艶に濡れた唇が、言葉を紡いでレオを誘惑してくる。


「ねぇ…レオ君……お願い……一緒に……きて……?」


潤んだ瞳でレオを見つめると、机の引き出しから錠剤の詰まった瓶を取り出す。

手早く数粒を口に含んだかと思うと、その勢いでレオを床に押し倒した。


「レ、レイラさん…!?一体なんでこんなことを………ッ!ンぐっ!…」


困惑するレオの唇を強引に奪い、舌を絡めて錠剤を流し込む。

少年の口を蹂躙する弾状の快楽に、抵抗する余裕もなく嚥下する。


次の瞬間、レオの体を強い刺性の痛みが貫いた。

沸騰するかのように血流が脈動し、下腹部を中心に激流のような性欲が集まった。

脳の回路が電流のような快楽に焼き爛れ、五感すべてがモーターのように加速し始めた。


体が燃えるように熱くなるのが分かる。

細胞が破壊と再生をを繰り返し、内臓の内側から生まれ変わったかのような感覚に陥った――――――








この夜。

レオは牛島レイラと一つになった。

この瞬間までの過程をすべてを放棄し、底知れない快楽と共に堕ちた。

レオの胸に育った純粋な恋心は、完膚なきまでに踏みにじられた。

二人は狂ったように行為を重ねた。

それはあの日、あの流星が落ちてから、夜袢を過ごす男女の間で粛々と営まれてきた狂乱だった。

列島は、この淫獄の炎に焼かれて堕ちていったのだ。

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