囚われの目隠し王子
ふさふさしっぽ
第1話
王宮の外れにある地下へと続く階段。午後の勉強を終えた僕は、いつものようにその階段を降りて行く。自身のブーツの固い音を聞きながら、二十段ほど狭い階段を降りると、一つの、小さいながら頑丈な扉が見えてくる。
僕はノックをしてから、中に向かって問いかける。
「兄上、いらっしゃいますか。ルシアーノです」
「いるよ。お入り」
すぐに落ち着いた、柔らかい声が中から返って来た。僕はそっと、小ぶりなくせに重々しい扉を開ける。ランタンを片手に持っているから、落とさないように慎重に。ギィ、と軋む扉のその音は、いつ聞いても漏れ出た悲鳴みたいだ。
部屋の中は埃っぽかった。薄暗い中、ランタンをかざすと、テーブルの上に読みかけの本が広げられていた。
「兄上?」
室内は本棚だらけだ。本棚全てに本がぎっちりとしまわれている。しまいきれずに床に積んであるものもある。やがて僕は、部屋の奥にランタンの明かりがふよふよと浮いているのを見つける。
「兄上、そこにいらっしゃるのですね」
僕の兄……ルート王国第二王子ロベルトは、ランタンで本の背表紙を照らしながら、答えた。
「すまない、ルシアーノ。以前買った本を探していてね。多分この辺りなんだけど。今読んでいる本と関連があるはずなんだ」
「手伝います」
「いや、いいよ。午後の勉強は終わったんだろう? ちょっと休憩にしようか」
そう言って兄上は、魔法道具であるポットからお湯を注ぎ、紅茶を入れてくれた。それと同時に僕は懐から、持参した焼き菓子を取り出す。
「いつも有難う、ルシアーノ」
部屋にひとつだけある小さなテーブルに、飾り気のない椅子が二脚。僕と兄上でいつものように、向き合って座った。
兄上は読み止しの本に栞を挟んで横に置くと、焼き菓子を手に取って、味わうように咀嚼した。長い前髪に隠れてどんな表情をしているのかは分からないけれど、喜んでくれている、と僕は思う。
焼き菓子だけじゃない。兄上は、僕がこうして数日に一度、この部屋を訪れることを楽しみにしてくれている。うぬぼれていると言えば、そうなのかもしれないけれど、僕はそう感じている。
「今日読んだ本のお話を、聞かせて下さい兄上」
僕はせがむように言った。
テーブルの上に並べて置かれた、二つのランタンに照らされる兄上の顔は、まるで幽鬼のようにぞっとするほど白かった。やがて形のいい唇からふっと小さく息を漏らすと、やれやれ、というように笑った。その笑い方が、僕は好きだった。
「ルシアーノ、お前はもう十四だっていうのに、おれのおはなしなんて聞きたいのか? 自分で読めるだろうに」
「兄上はお話がとても上手ですから。それに兄上のお声はとても聴いていて気持ちがいいですから。聞きたいのです」
本心だった。
「何度でも、何度でも、聞きたいのです」
僕は疲れていた。ルート王国の第三王子に生まれて十四年、どうしても、王族の暮らしになじめなかった。
王である父上は悪しき政治をする悪王、という名目で、前王である叔父を追放して王になっている。
叔父に仕えていた者たちは面白くない。僕が物心ついたときから王室内はピリピリしていて、険悪な雰囲気だった。
王太子である僕の一番上の兄、カルロスは、僕にほとんど関心がない。一回りも年が離れているし、妙な威圧感があって、僕にとってはただ怖い存在だった。
それに……それに、いつもヒステリックな母上。あの甲高い叫び声を聞くたびに、僕は、頭がおかしくなりそうになる。
ロベルト兄上の落ち着いた優しい声とは正反対だ。
そりゃあそうだよね。ロベルト兄上は母上とは血がつながっていないのだから。
父上が王宮に仕える、別の女性との間にもうけた子供……それがロベルト兄上だった。
♦
日が沈む頃そよと吹く風のように心地よくて、ミルクがほんのり香る紅茶みたいに優しい兄上の声。
兄上が、今日も僕が好みそうな物語を紡いでくれる。
時折その長い前髪からのぞく炎のような赤い目が、兄上を苦しませていると知りながら、僕はとっても綺麗だと思っている。
白く、細い兄上の中で、赤く燃える二つの目。隠してしまうなんて、もったいない。
唯一ロベルト兄上だけが受け継いだ、父上の目の色。代々、王の目の色。
僕とカルロス兄上はダークブラウンの目をしている。母上と同じだ。母上は、ロベルト兄上に「その目で見るな」と、ことあるごとにヒステリックに叫ぶので、ロベルト兄上は前髪を切らず、いつも母上の前では俯いていた。
ロベルト兄上の母君は、ロベルト兄上を産んで、すぐに亡くなってしまったという。それからは表向き、ロベルト兄上は父上と母上の実子と言うことになっているけれど、本当は違うということを、王宮内ではほとんどの者が知っている。
母上の態度でまるわかりだし、父上は知らんぷりだし、そういう噂は瞬く間に広まるものらしい。
「おっと、もうこんな時間か。ルシアーノ、そろそろ戻ったほうがいい」
兄上が懐中時計をランタンにかざしながら言った。
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