20話『コージヤラーメン』
学校から帰ると、人影があった。
「お帰り、ルリヤ」
父さんだった。
「ただいま──今日、会議だったんじゃ」
俺が言うと、父さんは既にシワまみれの目元に、更にシワを寄せた。
「会議の主催の店長さんの娘さん、まだ幼稚園生なんだけどね、熱が出ちゃったらしくてね。お開きになったんだ」
「へえ」
「ちょっと前までは、仕事よりも家の事情を優先するなんて、と非難されたものだが。時代は変わったな。もちろん、いい方向に」
「うん」
父さんの話に耳を貸しつつ、俺は素早く、制服から部屋着へと着替える。
手を洗って、うがいをして、顔を洗って──父さんから名前を呼ばれた。
「ルリヤは? 」
「え? 」
「こんな時間まで外出なんて。珍しいじゃないか。何をしてたんだ? 」
タオルで水滴を拭き取りながら、俺は父さんの方へ振り返った。
父さんは何処か嬉しそうな、明るい表情をこちかに向けていた。
「部活を、してた」
「部活? ああ、言論部に入ったって言ってたな。どうだ? 楽しいか? 」
楽しいか、と聞かれて、俺は戸惑ってしまう。
「うん、まあ──……」
楽しい──? どうだろう。楽しい? 答えは出ず。
「ちょっと待ってて、すぐ夕飯にするから」
と、腕まくりをした時だった。
「ルリヤ。父さん、お前に付き合って欲しいところがあるんだ」
父さんに通せんぼされた。
「付き合って欲しいところ? 」
すぐにでも調理に取り掛かりたい俺は、父さんの行動に若干苛立って尋ねる。
「うん。ほら、最近、近所にできただろう、『コージヤラーメン』! 入ってみたいんだが、ひとりじゃ勇気が出なくてな。ルリヤがいてくれたら、心強いんだが。いいか? 」
嫌だ外食だなんて御免だね、と答えたかったが、見上げた父さんの目は、どこか悲しそうで、必死そうで、俺は首を横に振ることができなかった。
「──いいけど……」
*
モワっとした熱気が、扉を上げた俺の顔面に直撃した。むさくるしいスープの臭い、騒がしい客たちの会話、やかましい有線ラジオの音。俺は思わず顔をしかめる。だが、父さんは随分ご機嫌だ。
「結構混んでるんだなあ! ほら、ルリヤ、あそこの席が空いてる」
俺と父さんはカウンター席に並んで座り、揃って醤油ラーメンを注文した。この店の醤油ラーメンは、まるで豚骨だ。
俺らはしばらく無言で麺を啜り続けた。
はじめに口を開いたのは父さんだった。
「部活はいつも遅くまでやるのか? 」
「ううん、今日はたまたま。今度、市の大会があるんだけど、それに向けての準備が大変で、居残ってたんだ」
「大会なんてものがあるのか? 」
レンゲでスープを流し込んで、父さんが聞く。
「まあ、ビブリオバトルっていう本を紹介し合う大会んだけどね。ディベートの練習にもなるからって、出場することになったんだよ。部長が強引なヤツでさ。1年は強制参加なんだよ」
俺がムスッと答えると、父さんは「ははは」と愉快そうに笑った。
「ビブリオバトルか。初めて聞いたよ」
「俺も」
「でも、楽しそうじゃないか」
「そうかな」
俺が聞き返すと、父さんが穏やかにうなずいた。
「だって、ルリヤが居残りしてまで準備する大会だからな」
言われて、俺はまた、戸惑った。
「それは、さっきも言った通り、大会が、強制だから、仕方なく……」
「父さんは嬉しいよ」
「へ? 」
一度スープに落とした視線を上げると、父さんの笑顔があった。
「ルリヤがそうやって、子供らしくいてくれて。父さん、嬉しいよ」
「子供らしくって──」
「放課後の部活とか、夜遅くに帰ってきたり、同世代の子の悪口を言ったり──」
「俺は、俺は、部活なんかより本当は家に帰って家事したいし、同級生とどうでも良い話してるより料理作ってる方が何倍も楽しいし、ザイツに至っては事実なんだから、悪口には当たらないと思うけど」
「その、ザイツ──君? さん? 」
「君、だね」
「ザイツ君って人が、部長なのか、ルリヤをスカウトしてくれたっていう」
「うん。校門前で、大声でね」
俺の返事に、父さんはまた楽しそうな笑い声を上げた。
「いい先輩なんだな、ザイツ君は! 」
「いい先輩? 今の話聞いてどうしてその感想になんの」
だってさ、と父さん。
「ルリヤが同じ学校の子について、父さんに話してくれたことなんか、今までなかったからな。ルリヤにとって、ザイツ君は人に話したくなる程の感情を与えてくれる人だってことだろう? 大切にしなさい」
父さんはそこまで言うと、また黙って麺を啜り始めた。
その横顔は、スッキリと晴れていて、俺は首を横に振ることができなかった。
「まあ、うん──そうする」
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