武藤有希という少女Ⅱ


 食事を終えた僕は有希と葵と一緒に学校へ向かっていた。


 有希たちの通学手段は車が使われるようで、その車に僕が助手席、有希と葵が後部座席に乗り込み、前川の運転で向かっている。


 車はトヨタのセンチュリー。日本のビップの人たちが乗る高級車だ。


 そのセンチュリーが学校の上り坂をスルスルと登っていく。


 僕は助っ席の窓から外を覗いていた。


 外には暑そうに汗を拭いながら、坂道を自らの脚で登っていく生徒たちが見えた。その姿に僕も昨日まではあそこにいたんだよなと、改めて自分の環境の著しい変化を実感する。


 僕たちを乗せたセンチュリーは、家から15分くらいで校舎に到着した。


 センチュリーから降りると僕達3人は強い日差しと熱気に晒される。モワッとした空気は、3人の不快指数を瞬く間に押し上げた。


 降りた所で中等部に行く葵さんと別れ、僕たちは暑い外から逃れるため高校校舎の玄関へ向かった。




「武藤先輩!おはようございます。身体はもういいんですか?」


 下駄箱に入り、靴から上履きに履き替えていると後ろから声を掛けられる。


 有希は年下と思われるポニーテールの女生徒からあいさつを受けていた。


「おはよう結衣ちゃん。身体の方は昨日が嘘みたいにすっかり元気になっちゃった」


 有希は屈託のない笑顔で、結衣という少女にあいさつを返す。


「それはよかった!今日は同好会来れそうですか?」


「もちろん!ビシバシ行くから期待しててね」


「はい!お願いします!」


 結衣さんは明るく元気に返事を返す。その笑顔から、心の底から楽しみしてるのであろうことが僕からも伺えた。


「ところでそちらは……?」


 結衣さんは僕の方に視線を移し、有希に質問する。


「ああ、彼? 彼はアーサー。理由があって一緒に登校してきたの」


「い、一緒に登校!? 一体どんな理由があってそんなことに!?」


 "一緒に登校"という言葉に反応した結衣はずずいと有希に向かって詰問する。


 有希は少し困ったように笑い


「詳しい話は放課後に、ね?」


 とはぐらかすように結衣さんの質問をはぐらかす。


「も、もしかして彼氏さんですか!?」


 しかし、ボルテージの上がった結衣さんはグイグイと有希に迫る。


 有希はどうしようと言いたげな視線を飛ばして僕に判断を委ねる。


 僕はそれに任せてとウィンクを飛ばし、コホンと咳払いして一歩前に出る。そして─────



「僕は有希の白馬の王子様なんだ。今はまだ暫定彼氏だけど、いずれは結婚して有希を幸せにする男さ。以後よろしくね」

 


 うん! 完璧な挨拶だ!


 僕は有希の方にどうだい?と視線を送る。


 しかし、僕の視界に移ったのは顔を紅くしてプルプルしてる有希の姿だった。


「このアホー!」


 有希はウガーと擬音が出そうなほど怒鳴り散らした。


「白馬の王子様……結婚……」


 結衣さんは頬を紅潮させて両手で顔を覆う。

「待って、結衣ちゃん待って!理由があって一緒に住んでるだけで、まだそういうんじゃないから!」


 有希はそこまで言って「あっ」と自分が墓穴を掘ったと確信した。


「一緒に住んでる……」


 結衣さんはますます顔を赤くする。


 さらに最悪なことに、今の会話は周りの生徒にもばっちり聞こえていたらしく、周りからはガヤガヤと今の話について話しているのが聞こえてきた。


(うそ!?あの武藤が!?)

(いやいや、流石にあの転校生の嘘だろ)

(でも武藤さん否定してないし……)

(結婚するって許嫁とか!?)

(慌ててる武藤先輩かわいい!)


 多種多様な声が聞こえたが、その多くが驚愕という言葉で形容できる様相だった。


「と、とにかく詳しい話は後で!さ、アーサー早く!」


 有希は僕の手を引っ張ってズカズカとその場を後にした。





「ちょい!何さっきの発言!?誤魔化すどころか最悪な方向に悪化したんだけど!」


 有希は人気のない場所まで僕を引っ張り、さっきの発言を追求する。


「ダメだったかな?僕は嘘は言ってないよ?」


 僕はニコやかに両手を上げて釈明する。


 実際、僕の中ではすべて事実になる予定なのだから嘘は一切ついていないのだ。


「ああ、そうだね!アーサーは白馬の王子様になりたいんだもんね!そりゃあ堂々と言うよね!」


 有希は意味の分からない怒り方をする。僕はそんな有希に視線を合わせながら


「でも君だって、『まだ』って言ってたじゃないか。僕はあれが聞けてとても嬉しかったよ」


 僕は有希のさっきの発言について言及した。正直に言えば、あそこで有希にがっつり否定されてたらけっこうなダメージになってたと思うから、有希のその発言はめちゃくちゃ救われていたりする。


「うっ、うっ〜」


 なんと反応していいか分からなくなった有希は、唸りながらポコポコと僕の胸を叩く。何このかわいい生き物。破壊力がヤバい。


「ごめんごめん、悪かったって。だからそのかわいいのやめて」


 このまま続けられると暴走して、抱きついてしまいそうだ。


「かわいいとか言うな!もう、今から教室に行くのが億劫なんだぞ!」


「大丈夫さ。そういうときのために白馬の王子様がいるんだ。大船に乗った気でいてほしい」


 僕は有希にドヤ顔で軽く胸を叩いた。


「信用できるかー!」


 しかし、有希の反応は芳しくなかった。まあ、前科一犯だからこればかりは仕方ないね。





 僕と有希が教室に行くと、昨日と同種の視線が赤外線センサーのように浴びせかかった。


 そして、瞬く間にクラスメイトに取り囲まれる。


「おいアーサー。ちょっとこっちこい……」


 僕はというと、複数の男子生徒に肩を組まれ、男臭い空間へと連行されることになった。


 チラリと有希の方を見る。有希は主に、女生徒からの質問の渦に巻き込まれたようであった。


 高校生というのは往々にして恋愛脳である。男も女も自分の恋愛、他人の恋愛問わず興味津々な年頃だ。それは僕も例外ではない。そんな、思春期真っ盛りの高校生が、あの話を聞いていればこうなるのも頷けるというものである。


 しかし、中には興味深げな視線だけでなく明らかに怒気を孕んだ視線を浴びせる者もいた。しかも、男子生徒からだけでなく、女生徒からもそんな視線が感じられる。


 そして、その中でも特に強い怒気を放っていたのが、昨日僕の案内人を勤めてくれた真人だった。


 真人は信じられないと言いたげに拒絶反応を見せている。


「アーサー。お前、武藤と何があった?」


 昨日の軽活な口調とは打って変わって真剣な口調である。


「昨日、進人に襲われた時に助けてもらった。で、家がその時に壊れたから、しばらくの間彼女の家に住むことになったんだ」


 僕は、その異様な雰囲気に呑まれそうになりながらも、実際にあったことを歪曲することなく告げた。


 しかし、真人はその事実が気に食わない様子で


「お前、それがどんなに羨ましいことか分かってんのか?アイツは今までどんな男のアプローチも断ってきた女だぞ。それが、会ってその日に同棲なんて。いくらお前が不幸な目に会ったと言ったっ……て……」


 と途中まで抗議を言いかけたところで、何か分かったらしく黙り込んでしまった。僕はその反応を訝しく思いつつも、ショックを受けている様子から、この状況が、普段の有希からは想像もできないものなのだと理解した。


「それについては分からなくもない。頼んだらあっさり許されてびっくりしたぐらいだ」


 真人の意見には僕も同調してみる。常識的な観点から見れば、同い年の男子を同じ家に上げるのにもう少し躊躇いがあっても良かったと思わなくもない。


「いや、お前ならいい」


 しかし、真人は急に意見を大きく変えてきた。顔はどこか悔しげで、苦渋を飲み込んだようであるから、本意という訳では無い様子だが。


「どうしたんだ真人、らしくないぞ。ずっと前からいつか武藤を振り向かせるって言ってたお前が、そんな弱気を吐くなんて」


 他のクラスメイトも真人の言葉が意外らしく、真人の対して励ましの言葉を掛けている。


「別に諦めた訳じゃない。ただ、アーサーと武藤の関係を受け入れただけさ。……いいかアーサー。お前が有希に相応しくないと思ったらすぐに俺が有希を奪ってやるからな」


 真人は最初は渋々といった口調だったが、徐々に折り合いをつけれたのか堂々とした宣言になった。


「それなら心配無用だ。僕は有希の白馬の王子様。幸せにすれど、悲しませることはしない」


 真人が堂々と宣言するならと、僕も堂々と宣言する。


 僕の宣言を聞いた真人は、どういう心理か笑みを浮かべて


「ああ、そうでなくちゃ困るぜ。しっかり頼むぞ。白馬の王子様」


 と昨日のような軽活な口調で激励する。


「本当にいいのか?真人」


 クラスメイトの藤崎は真人の様子が信じられないといった様子だ。


「いいんだよ。コイツがいるなら俺は必要ねえ」


 真人は意味深な物言いに僕は引っ掛かるものを感じる。



 まさか────



「真人は、僕と有希の過去を知ってるのか?」


 僕は真人に尋ねる。その様子から、有希と僕の本当の出会いを知っているのではと推測したのだ。


「ああ、知ってる。何度も告った末に教えてもらった。その言い分だと、お前はもしかして忘れちまってるのか!?」


 真人は驚いた様子だ。僕が忘れてることがそんなにおかしい出来事が、僕と有希の間にあったって言うのか?


「そんなに可笑しなことなのか」


「いや、やっぱりそうでもないかもしれねぇ。いずれにせよ、お前が忘れてるんなら俺からは教えてやんねぇ」


 真人は少し考える仕草を取ったあと、挑戦的な口調で言った。


「どうして?」


「俺自身がそう判断した。それに、今のお前が知らないってことは、武藤も敢えて言わずにいるってことだろ?なら、俺も武藤の判断に従うさ」


 真人は鋭くも、有希の真意を見抜いたようだ。


 残念だ。真人から話を聞ければ大きな進展になると思ったのに。


「なあ、真人。それは俺たちにも教えられないことなのか?」


 クラスメイトの片森が尋ねる。


 真人はそれに「う〜ん」と唸りをあげながら


「別に知ってても構いやしないと思うが……けど、教えてやんね。俺は何度も告って有希から直接聴いたんだ。聴きたきゃ有希から直接聴けよ」


 とケラケラと笑って、片森を突き放すように言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る