武藤有希という少女
かくして、僕は有希の家で居候することになった。
それからと言うもの物ごとはトントン拍子に進んでいった。
僕が寝かされていた部屋はそのまま僕の部屋となり、元々僕の家にあった荷物はその日のうちに運び込まれた。
さらに家具・家電なども僕の要望に沿ったものを用意してあるとのこと。僕はそのあまりの手際の良さにこうなることが分かっていたのかと錯覚してしまうほどだ。
この用意をしてくれたのは執事の前川さんとメイドの椿さんらしい。挨拶の後の夕食で教えてくれた。
部屋の準備が成される間に、僕は有希と家の設備を見て回っていた。家の設備はどれもこれも高級なモノが使われており、いずれも素晴らしいの一言だった。
その中でも特にお風呂が素晴らしく露天風呂にサウナ、ジェットバスなど、およそ一般家庭ではお目にかかれない物がたくさん設置されていた。有希曰く『プールの代わり』とのことだ。
その後に家の外観についても見て回った。美修院高校が貴族の屋敷といった趣だったのに対して、こちらは白亜の城とでもいうべき趣の屋敷だった。これは有希のお義父さんがお義母さんと結婚した際に、彼女に相応しい家にしようとリフォームした結果、この外観になったそうだ。
そして庭には多種多様な花が綺麗にガーデニングされており、その周りを綺麗に紅葉した桜紅葉が覆っていた。
さらに、この家の地下室にも足を運んだ。
中に入ると医療器具のようなモノが大量に配備されており、病院の集中治療室を思わせるような施設になっていた。
明美さんはどうやら白衣に違わぬ研究者のようで、日夜ここで研究をしているらしい。
なんの研究をしているか尋ねた所『多種多様に、赴くままになんでもやっている』と返答が帰ってきた。
また、明美さんは武藤家のお抱えドクターでもあり医療にも精通している。僕の体調を初対面で断言できたのはそういうことのようだった。
その後、僕の荷物の運び込まれた部屋へと戻るとその部屋は既に見事なまでに片付けられていた。しかも配置まで僕の望んだイメージまんまである。この手際の良さといい要望への応答度といい、これは一体どういう原理なのだろうか?
僕は部屋の前で立っていた前川さんに声をかける。
「何かをご不満な点がごさいましたか?」
「いえ、完璧な仕事です。だから聞きたいんです。一体どうやってここまでの速さで仕事をしたのですか?」
「ふふっ。それはひとえに愛ですよ。旦那様」
前川さんはそれだけ言うと踵を返して部屋から去っていった。
愛……か。確かにそれなら納得できる。かのアインシュタインも娘さんへの手紙に『愛は無敵の力を持っている』と言っていたのだ。なにより、今日はその愛の力があったから僕は死なずに済んだわけだし。
僕は有希たちが設えた部屋に戻ると有希に寝かしてもらったベットに改めて横たわる。
「今日は色々なことがあったなぁ……」
僕は今日の、正確には数時間前のことを思い出す。いきなり現れた吸血鬼にお姫様との出会い、そして居候生活とものの数時間で目まぐるしく僕の日常は変化した。
「それにしても、有希との出会いっていつなんだろう?」
僕は何度か海馬の海に潜ってはいるが全くといっていいほど思い当たる記憶が見当たらなかった。まるで、都合が悪いから消されてしまっているような感覚さえ覚える。
僕の当面の目標は有希との本当の出会いを思い出すことだ。それが有希から提示された条件でもある。
「そのためにも、まずは有希について理解を深めないとね」
僕は明日からやるべきことを頭の中で思い浮かべる。まずやるべきと判断されるのは有希について理解を深めることだった。これは有希との過去を思い出す上でも重要なのことだけど、それだけじゃなく、恋人として距離を縮めていく上でも欠かせないことだった。
「まあ、有希に限って相性が悪いということはないだろうけど」
僕は自信満々だった。根拠はないが大丈夫な気がずっとしている。有希を始めて見たときの『この人だ!』っていう確信が今も余韻として残っていた。
「よし、明日からは有希についての情報収集だな」
僕はそう決心すると瞼を閉じる。実を言えば、目覚めてからずっとヘトヘトだったのだ。有希と出会ってテンションがおかしくなったから気づかなかったが、こと落ち着いてくると一気に疲れがぶり返してきた。
そうして僕は心地よいベットの上で微睡みに沈んだ。
きっと、今日は紅い瞳の少女の夢を見ることはないだろう。
そして次の日のこと。
「おっはようございま〜す!ご主人様!」
僕の朝はメイドのハイテンションな声と共に始まった。
「おはよう。朝からテンション高いですね」
僕は椿さんに挨拶を返す。そのニュアンスに若干の呆れが入っているのはご容赦いただきたい所だ。
「そりゃあ推しに恋人ができた記念すべき日だからね! テンションだって高くなるってもんでしょ!」
現在時刻は朝の6時半。僕は朝に強い方とは言え初っ端からこのテンションは中々に重たかった。
「正確に言えばそれは昨日じゃないかな?」
僕は指摘する。そもそもまだ恋人になったわけでもないが響きが良いのでそこはスルーした。
「細かいことは気にしない!」
椿さんはビシッと指を指して僕の指摘を跳ね除ける。
「それで? わざわざ朝起こしに来た理由はなんですか?」
僕は勝手に起こしに来たことに抗議のニュアンスも込めて尋ねる。本来、僕が目覚まし時計で設定していた起床時間は7時だった。
「決まってるじゃない! 有希の部屋に行くのよ!」
僕は椿の発言に思わず「はい?」と声が出る。
「ごめんなさい。どうしてそうなるのかまったく分かりません」
要領を得ない僕に椿さんはやれやれとポーズを取る。
「まったくアンタってばとろいわねぇ。せっかく同じ家に暮らしてるんだから、ここは一つ目覚めのキッスでもかますのが礼儀ってもんでしょ」
!?
僕はその言葉に一気に意識が覚醒した。
「アナタはいったい何を言ってるんですか! そんなのセクハラじゃないですか!」
僕は有希との関係を築き始めたばかりなのにいきなり壊すようなことはしたくない。仮にするとしても、寝込みを襲うようなマネは騎士の名に恥じる行為だ。到底受け入れられない!
「あんた優男に見えて頭固いわねぇ。いい? アンタは有希と好き合ってるんでしょ? なら、ほんの少しオイタしたって有希なら許してくれるわよ!」
それに対して椿さんは大丈夫と自信満々に太鼓判を押す。
「でもそれは……」
僕は渋る。これで乗り気になれるほど僕は手慣れてはいない。
すると、椿さんは「仕方ないわね」と言って僕の耳元に顔を近づけてきた!
「えっ、ちょっと!」
免疫のない僕は女性が至近距離に近づいてきたことに動揺する。
「それに、もしかしたら有希のあられもない姿が見れるかもしれないわよ……」
椿は僕にささやくように耳打ちする。『有希のあられもない姿』というのは僕としても魅力的だ。それを見れるならばする価値はあるかもしれない。いや、だが、しかし……
「そ、それでもまだするべきでは……」
僕の自制心は有希のあられもない姿に対しても耐え凌いで見せた。
そんな僕の態度に椿さんはチッと軽く舌打ちをして
「ええいこのウブガキが!」
「えっ、ちょっと待って!」
椿さんは僕の腕を強引に引っ張って有希の部屋へと連れ出した。
そうして、連れ出された僕は椿さんと共に有希の部屋の前に立っていた。
有希
ドアに掛けられた木の板にはシンプルにそう書かれていた。
僕は心臓をバクバクと高鳴らせている。緊張度で言えば、既に昨日の吸血鬼との一件に匹敵するほどにまで高まっていた。
こ、ここから先に有希のあられもない姿が……
その姿を想像して思わず生唾を飲み込む。
「さ、開けるわよ」
「っ……」
僕は息を飲み、ドアの先に目を凝らす。そこには
「おはよう」
ばっちり制服に着替えた有希がいい笑顔で待っていた。
僕と椿さんはその笑顔に身の毛がよだつ。有希の表情は笑ってはいるものの、感情的には怒っているのが手に取るように分かったからだ。
「さて、ノックもなしに入ってきた不法侵入者たちの言い分を聞かせて貰おうかな」
有希はますますいい笑顔になる。それに比例して僕と椿の顔はみるみるうちに青ざめていく。
「あ、いや、これは……」
僕はしどろもどろになってまともに返答できない。有希の笑顔は昨日の吸血鬼の不敵な笑みより遥かに死の危険性を感じさせていた。
「ね、ねぇ有希。今からパジャマに着替えて二度寝する気はない?」
椿さんは青ざめながらも未だに諦めていないようだ。
「椿。私があなた達が何をしようとしたか分からないと思ってるの?」
有希は椿さんを見据える。その顔は相変わらず笑ってはいるものの目がまったく笑っていなかった。
椿さんは有希の言葉に「うっ、うっ」とジリジリと有希に追い詰められ、そして
「すんませんした!」
椿さんはばっと勢いよく土下座を敢行した。
現在、有希の部屋に侵入を試みた僕と椿さんは有希の部屋で正座をさせられていた。
「さて、改めて何をしに来たのか。椿から聞かせて貰おうかしら」
有希はさっきまでの笑顔の代わりに怒った顔で椿さんに説明を求めていた。
「いや〜、ほらせっかく新しい同居人が増えたわけですし何かしらイベントの一つでも起こして見たいなぁと思いまして」
「ふーんなるほど。それでアーサーをここまで連れて来たと」
「イエス・マム。その通りでございます」
椿さんは先ほどまでの勢いは何処へやら、すっかり萎縮してしまっている。その姿は丸まった猫のように見えた。
「で、アーサーはそれに乗っかった。そういう訳ね」
「う、うん。そういうことになります」
有希は僕に目を向ける。僕は有希の目を直視できなかった。自分もほんのちょっぴり期待していた手前、有希の不興を買う結果になってしまったことに罪悪感があった。
「朝から2人ともはしゃぎすぎ。こういうのはさ、もう少し親密度が上がってから起こるでしょ? ……まったく、2人のせいで早起きしなきゃいけなかったじゃない」
有希は軽く欠伸をかきながら
「それで、何か言うことはないわけ?」
紅く輝くその目で僕たちを睨みつけた。
「す、すみませんでした……」
こうして、僕と椿さんの朝は謝罪から始まった。
僕と椿さんが有希に怒られたあと、朝食の時間になった。
朝食は住人全員で食べることになっているようで、お義母さん、有希、葵さんの武藤家の住人にさらに居候の明美さん、執事の前川さん、メイドの椿さんも席についていた。
出された食事は洋風のフレンチでパン、サラダ、スクランブルエッグ、淹れたてのコーヒーとそのどれもが絶品だった。あまりの美味しさに、僕は朝からガッツリとおかわりをしてしまった。
「これスゴく美味しい。前川さんが作ったんですか?」
「これを作ったのは私よ。料理の腕にはちょっとばかし自信があるのよねぇ」
僕の問いに対して答えを返したのは、さっきまで一緒にふざけていた椿さんだった。
「椿ちゃんは洋風の料理作らせたら右に出るものはいないからね。私も初めて食べたときはあまりの美味しさにびっくりしたもの」
椿さんの料理について亜美さんが絶賛する。それに追々して有希や葵さんも頷いた。
しかし、僕は少し複雑な気持ちになった。さっきまで一緒に有希の部屋で正座していた椿さんが、実はこんなに優秀だということを素直に受け入れられなかったのだ。
「だが、性格のせいで大幅にマイナスになっているがな。君はもう少し慎みを持てば男も引く手あまただろうに」
そんな僕の気持ちを汲んでか知らずか明美は椿の欠点を指摘する。
「年がら年中下着女には言われたくないってぇの。あなた、最低でも食事中は後一枚は上下に来た方が良いわよ。年頃のアーサーには目の毒じゃない?」
椿さんは負けじと明美さんの欠点を指摘し反論する。確かに、僕としては明美さんを直視することは難しかった。
「それに関しては椿も明美も似たようなもんじゃね?」
葵さんは、明美さんだけでなく椿さんの格好についてもピシャリと言い放った。明美のインパクトに隠れているけど、椿さんのメイド服も露出が多めで僕はふとした瞬間に目を逸らす必要があった。
「分かってないわねぇ葵ちゃん。メイドには露出が付きものよ。露出のないメイドなんてメイドじゃないわ」
椿さんは胸を張って自論を述べる。葵さんは、その動きで強調された豊満な胸をジト目で見ながら
「はあ、羨まし。俺にもそのくらいのスタイルがあればなぁ」
葵さんは自分の胸を見ながら愚痴る。
「葵はまだ成長期なんだから、今は気にしないの。たくさん食べてればすぐにいいスタイルになれるわよ。母さんが保証するわ」
お義母さんは優しい笑みを浮かべて葵の成長を約束する。実際お義母さんの胸は、服の上からでもそこそこ以上あることが見て取れる。しかし、葵さんは有希の方を見ながら
「そうだと良いんだけどね。有希ねぇ見てると期待が持てないというか」
葵さんは有希の胸を凝視する。服の上から見た有希の胸はお世辞にも大きいとは言えず、僕の目からも膨らみは確認できなかった。
「あんた、実際に私の胸なんて見たことないでしょ」
有希は自分の胸を隠しながら葵さんに反論する。
「そうやって意地張るところが怪しいんだよ。少なくともこっから見たらぺったんこじゃん」
「私は隠してるんですぅ。知りたかったらお風呂場に突撃でもしてくるんだな」
「そう言って本当にやろうとすれば全力で逃げる癖に…… はぁ、母さんの巨乳遺伝子が遺伝してることを祈ろう」
葵はくたびれた様子でため息混じりに言った。
「葵、胸があっても肩こるだけよ。ほどほどぐらいがちょうどいいわ」
「そうだな。肩は凝りやすいし動くと痛いしで意外と不便なものだ。胸を大きくするよりも君の好きな人を貧乳好きにする方が遥かに易しいだろう」
「そうそう。葵ちゃん今度さり気なく聞いてみなさいな。もちろん感想は聞かせてね」
明美さんと椿さんは先ほどまでの罵りあいはどこへやら、胸について結託したかのように論理を展開して葵さんを励ます。
「嫌味か! あとさりげなく何言ってんの!?」
しかし、胸のサイズを気にしている葵にとって励ましは逆効果だったようだ。ついでと言わんばかりに振られる無茶ぶりにもツッコミを入れる。
その後も、ワイのワイのと胸の話題に盛り上がる女性陣。
自分の居場所に困った僕は執事の前川の席まで行き
「これ、いつもこんな感じなんですか?」
と耳打ちで経験豊富そうな前川に意見を求めた。
「ええまあ。いずれ慣れるでしょう。私は慣れました」
前川は淡々と告げる。その仕草は気にしてないというより「無」に敢えてしているといった様子だった。
前川さんも苦労したんだな……
僕はため息をつき有希の方を見る。
有希の実際の胸のサイズは分からない。けど、免疫のない僕にとっては有希の露出の少ない服装と控えめな胸のサイズは、とても見やすくありありがたかった。
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