5 とうに壊れた翼
身体は少しでも動かそうとすると、そこかしこから軋む音が出る。
その様はまるで錆びついたからくり人形そのもの。
夜が終わりを悔やむようにしてやがて立ち上る朝日に怯えて霞んでいく。海岸に近づくたびに風は過ぎた冬を思い出させるようにして零れ舞う。
そういえば。彼女は疑問に思っていた。なぜいつも決まってここに帰ってくるのか。
乱雑な間隔で並べられた岩造りの防波堤。先に映る海だけが広がるここに、一体何の思い入れがあったのか。
思い出そうとすると、その傷跡だらけの体が酷く痛むように感じる。
それだからいつも記憶に身を委ねることはしなかった。
元々この体に黒き翼の力はない。多大なる執着心の元、何とか拒絶反応を抑えてきたが、恐らくあと一夜で活動も限界を迎えることであろう。
二度目の死の予感。余計にあの青年を殺し損ねたことが悔やまれた。
あれの魂があれば今頃に我が望みは叶い、希求としていた友の復活も叶ったからだ。
「……友?」
――見えない所にある毛玉で編み物を作り続けているように、終わりの遠い行為をしているような感覚。
輝き過ぎて色さえ曖昧な星にいつの間にかこの手を伸ばしていた。
暗い荒野の中で確かに聞こえる彼女たちの声。
「彼女たち……?」
鈍い頭痛が走る。記憶と意思に相違が見られた。
持っていない。と、ずっと思っていたそれに重さを感じる。柔らかくそして淡い。
華やぐ彩りが暗さしか知らなかった空に咲くようにして昇りゆく。
「『クインエス・カナ・ユークラック』。私は何者だ?」
身体は半壊し、精神はとうに擦り切っている。
だのに鳴り止まない確かな疑問。焼き付くように傷ついた体に纏わりつくそれに、しかし次第に不愉快さを感じる。
「良い名前だな、クインエス。それがお前の名前か」
ふと投げかけられた声。黒ずくめの彼女――クインエスは声の方に振り向く。
「君は……」
「やっと見つけたぜ、辻斬り。しかし、よりにもよって廻る最後にいるとか勘弁しろよな」
そこにいたのは先刻殺し損ねた青年――ドルラーズ。そして隣には彼と同い年くらいの少女一人もいた。
「へぇ、これが例の辻斬りちゃん。一見して普通の女の子って感じだけどね」
「油断するなよエイラ」
二人の会話にしかしクインエスは耳を傾けない。
「どうやら君に対する殺気が足りなかったようだ。見逃したことはあっても、その相手にこうして追跡されたのは長い時の中で多分、初めてだ」
言いつつ、クインエスがその手に出現させたのは黒羽がびしりと生い茂る刀。
「仲間を付き従えて数の有利でも取ったつもりか? 愚策だな。私にとって君たちは自らに命を捧げる愉快で滑稽なニエそのものよ」
クインエスはその背中に翼を付き従える。
夜をも隠す暗い翼。歪なそれは懐くようにして背中に広がる。
『黒翼族』の象徴であるその二対の翼。しかし今日だけは、まるで今までずっとそうだったようにして、この翼に親近感を得られなかった。
忘れようとする記憶が千切れて舞う羽と共に強く語りかけてくる。
「嗚呼、五月蠅い……」
その色も匂いも共に感じてきたことも、もう何も分からない。
「私は誰だ?」
夜に尋ねる。その先、星よりも遠くに隠された彼女たちに。
しかし、返事はない。黒き翼の民『黒翼族』。
その王『黒翼王ジオラシェル』に力を与えられ、復活の為に暗躍する『クインエス・カナ・ユークラック』。
「ドルドー、大丈夫かしら? 何か苦しんでいるみたいだけど」
「……分からん。だが、気を抜けばこちらがやられるだけだ」
届く二人の人間の声。しかし、それは
「平和は剣によって作られる。さあ聞かせよう。歪んだ鏡のように砕け散ったこの世界に、いつかもらった希望の声を」
夜より暗い羽の生い茂る翼を大きく広げる。遥かに昇り始めた朝日ごと覆い隠すようにして、漆黒の辻斬りクインエスは曰く歪んだこの世界に言の葉を咲き散らした。
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