第7話

 長い、本当に長い時間だった気がする。受話器越しに聞こえる雑音が酷く耳障りで、遠くから響く上長の声が待ち遠しかった。

 果たしてどれくらい待っただろうか。体感でいえば幾日も待ち呆けていたような気がしたが、実際には短針が何度か回った程度だと思う。五分、六分といったところか。しかし、その数分が僕にとっての分水領であるわけだから悠長にしていられるわけもなく、暗闇の中で生き死にを巡る思案を繰り返し、気が付けば雨に当たったように肌が濡れていた。喉の渇きを覚えるも一滴の水すら身に入らない気がした。極限の中で僕は、動くことすら恐れ固まっていたのだった。


「お待たせ」


 上長の声が戻ると、砂でも呑んだようなしゃがれた返事をした。口を開けると声帯が開き、何かが剥がれて体内に落ちていく感覚があった。


「君ね、正規での雇用は無理だけれども、知り合いに派遣で使ってくれるところがあるから、そこへ行きなさい」


 望んでいたものとは些か異なっていた。僕は、「ウチに戻ってくるかい? あの男なら解雇したから心配は無用だよ」と、都合の良い話が舞い込むものだと思っていた。考えなくともそんな事あるはずないのに、僕は全てがまた元通りになるのではないかという希望に縋ってしまっていた。自分の足で歩けない弱い人間の発想だった。



「どうするね」



 口籠もり、一と時悩む。本来であれば即答の後に感謝を述べねばならない内容であるだろうが、僕は二の足を踏み、唇を閉じていた。一歩を踏み出す恐ろしさと煩わしさが、僕から真っ当な思考を停滞させたのだった。



「やめておくかい?」



 堪りかねたのか、上長が僕の答えを望む。どうしようか。どうすればいいのだろうか。誰かに決めてもらいたいのに、誰もいない。心細さが心臓を締め付ける。先まで長いと思っていたが時間が一瞬で過ぎていく。いっそ断ってしまおうか。そこまで迷い、怖気に迫られたが、結局僕は「お願いします」と伝えた。上長は「そうかい」と言って、何日の何時頃に電話をやるよう伝えるから出るようにと僕に釘を刺して電話を切り、また無音となった。胸は依然苦しく……

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