第18話 これって事件ですよね?(1)
展示物は、アトリエにはいって左右の壁際に並んでいる。奥の壁は床に接して小窓が切ってある。ひとつの小窓は幅一メートルくらい。すこしの間隔をあけて、壁の端から端まで並んでいる。小窓の枠にはガラスではなくアルミがはまっていて、閉めたら明かりが通らない。部屋側に格子が取りつけられていて、学校の体育館みたいだ。明かりのためか、通風のためか、いま小窓は全開になっている。奥の壁に絵がかけてあるけど、手前にオブジェ的なものは置いていない。オブジェ的なものは左右の壁際だけだ。
窓はほかに、天窓がついていた。この階は最上階ということだ。天窓からの採光はかなり明るい。倒れている人を神々しく見せる演出みたいだ。倒れている人は、そういうオブジェなんじゃないかという雰囲気を漂わせている。そのおかげなのか、死体を目の前にするのは二度目だけれど、今度は血がブルーシートにまで流れ落ちている割には、冷静にみられる。すこし距離があるおかげかもしれない。
久保田さんは、どういう用意だろうか、ゴム手袋をはめて、倒れている人の首に手をのばしている。もう一人かたわらにいて、膝に手をついて久保田さんの様子をのぞきこんでいる。久保田さんが顔をあげ、なにか言葉をかわす。もう一人の人がポケットからケータイをとりだしてこちらを向いた。
「警察を呼びます。ほかのひとはダブってしまうので連絡を控えてください」
警察ということは、もう死んでいるということだ。胸から血を流しているんだから、殺人ではないか。
「それから、ドアのまえを空けてください。現場保存のためにドアを閉めます」
沙莉は一歩さがる。後ろの人にぶつかってしまった。振り返ってすみませんと謝ったら、後ろから肩を抱かれて、そのまま人の群れの中を進まされることになった。混雑を抜け、真理ちゃんの目の前だ。
「サリー、ラッキーだねー」
肩を抱いていたのは久保田さんだ。
「久保田さん、あの人もう亡くなってたんですか」
首をひねって久保田さんに顔を向ける。
「えーと、生きてなかった。一緒にいた人、ここの展示の責任者です。あれは教授だって言ってました」
死んでたって、なんでいわないかなー。ひねくれてる。普通に正直な人より刺激があって、そんなところも久保田さんの魅力ではあるんだけど。
「なに、人死んでたのー?教授が?」
「しっ」
久保田さんが人差し指で真理ちゃんの唇を押える。沙莉はスネを蹴った。久保田さんはスネを抱えて片足でピョンピョン跳ねる。
「大きな騒ぎにしたくないみたいです。このまま展示を続けたいという意向らしくて。シャベらないでくれって頼まれたんです」
「でも、警察くるんですよね?」
「それでも、できるだけ早く展示再開したいらしい」
「あの、久保田さん」
後ろから声をかけてきたのは、さっき久保田さんと一緒にアトリエにはいっていた人だ。久保田さんはスネを抱えたまま。
「はい、どうしました」
「すこしお時間いただけますか。お話したいんですけど」
「かまいませんよ。大丈夫ですか?ここを離れて」
「すこしの間です。それに他のものがいるので」
「じゃあ、相内さんは石塚さんと一緒に先に行っててください。終わったら電話をかけます」
「うー、誰に恨みごとをいえばいいですか」
「ホテルにもどったら聞いてあげます」
「約束ですよ。命より重い」
「それは怖いな。指くらいで勘弁してください」
沙莉は久保田さんと指切りした。久保田さんは大学関係者の人に連れていかれてしまった。スネがまだ痛むらしく、不自然な歩き方をしていた。真理ちゃんと顔を見合わせる。ため息をつかずにいられない。
「久保田さんて、巻き込まれ体質なんだねー」
「そんなことないと思うけど」
「いや、きっとそうだよー。サリーにつきまとわれてる時点でっ」
「ヒドイ。つきまとってなんて、いるかもしれないけど」
久保田さんはどう思っているのだろうか。でも、出かけた先で事件に巻き込まれるなんて名探偵みたい。さすが久保田さん。やっぱり巻き込まれ体質か。
「そういう星のもとに生まれたと思って諦めるか」
「諦めるのはサリーじゃなくて久保田さんだけどねー」
「一緒にいるわたしもだよ」
真理ちゃんは肩をすくめた。
「でもさ、人が胸から血だして死んでたってことは、殺人事件でしょ?もっと大騒ぎになってもいいんじゃない?久保田さん目撃者なのに警察くるまでここにいなくていいのかなー」
「久保田さんがついてったんだから大丈夫」
「すごい。信じてるんだね」
「久保田さんは自分を疑う人だよ?わたしが久保田さんを疑うより確かなんだよ。だから、久保田さんのだした結論は信じていいんだ」
「そっか。じゃあ、行こっかー」
「ちょっと待って」
「なにー、どうしたのー?」
「警察くるっていってたでしょう?ちょっと見て行こうよ」
「警察見たって面白くないよー」
「でも、ドラマなんかで刑事が来て、規制線を越えていって、ご苦労とかやるでしょう?ここで待ってれば、その規制線を張るところとかドラマの下準備みたいのが見られるんじゃない?」
「ドラマのスタッフにでもなりたいの?下準備見てどうするのー」
「そういうわけじゃないんだけどね」
「ミーハーだねー」
「それは、そうだね」
なかなか見られる場面ではないと思うと、つい気になってしまうのだ。真理ちゃんと廊下の窓際に立って、閉じられたままのドアを眺める。ほかにも何組か、野次馬らしき人たちが廊下でたむろしている。
「ねえ、次さー。なにか食べようよー。小腹がすいたー」
「うん、そうだね。きっと久保田さんも話が終わって帰ってくるね」
「すごい、いつでも久保田さんのこと考えてるんだねー。わたし忘れてたー」
「うん、忘れていいよ。わたしだけが覚えていれば」
「かなり独占欲強かったんだねー。サリー」
「そうかも。ライバルがいるから余計かな」
「ライバル?三角関係だー」
「ちょっとだけね」
「ちょっとってどういうのー。どんな人ー。知ってるのー?」
「久保田さんの職場の水族館でイルカのトレーナーやってる人。しかも同期」
「先越されてるねー。大変だー」
「うん。仲いいみたい。でも、男女の仲の良さって感じでもないんだ。友達みたいな」
「ふーん」
「だからね、わたしはガンバって女の子アピールしてるの」
「あざとーい」
「キレイごとじゃないよ、男の人を仕留めるのは」
「仕留めちゃうんだー。久保田さん大丈夫かな」
「大丈夫だよ。全然張り合いがないの。のれんに腕おしってやつ」
「糠にくぎー。ホモなんじゃなーい?」
「ちょっと疑ったことあるんだけど、彼女がいたことあるみたいなんだよね」
「男の彼女だったりして」
「うそ、それは考えなかった。だから彼女いない歴とか教えてくれないのかな」
「あっやしーい」
久保田さんホモ疑惑が浮上したところに警察の制服を着た人がやってきた。大学の学生と思われる人と一緒に歩いてくる。学生が鍵を開けてドアをスライドさせる。動作が止まった。しばらくの静止のあと、ふたりとも展示室へはいっていった。いまドアは閉まっている。
「マリー、いま死体あった?」
「どこに?わたしには見えなかったよー」
「アトリエの真ん中に。デーンと男の人が倒れてたの」
「うーん、短い時間だったけど、床の真ん中にそんなのあったら見逃さないよねー。こっからだからよく見えなかったのかな」
「まさか、久保田さん?」
「久保田さんがどうしたのー?」
「最後にアトリエを出たの、久保田さんだったよね」
「わたしには見えなかったけどー。責任者っていう人じゃない?ドア閉めたり、鍵かけたりしたんでしょ?もし久保田さんだとどうなるのー」
「また手品とか」
「久保田さん手品できるのー?見たーい」
「手品っていっても、普通のじゃなくて、名探偵的な」
「名探偵!そんなの現実にいるのー?あれだ、金田一」
「古谷一行?もっとカッコいいやつ。福山雅治みたいな」
「あはは。サリー何言ってるかわからなーい」
「なんでガリレオわかんないの。久保田さんにも通じなかったんだよね」
「福山って、けっこう歳だよねー。久保田さんもだしー。やっぱりファザコンなのー?」
「そんなことない。カッコよければ歳は関係ないだけ」
それに、久保田さんはそんなに歳いってない。
「でもさ、死体を隠しちゃったら、名探偵というより共犯者だよね。本当に信じていいのかなー」
まさか。久保田さんが?たしかにいまどっか行っちゃってるけど。
「ごめん。やっぱ、久保田さんじゃないや。久保田さんのあとにもうひとりの人がでてきたんでしょ?」
「わたしはどっちでもいいけどー」
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