第17話 事件を呼ぶ

 日本との国境の駅。すこし長く停車する。グンマの電車の線路幅は日本の新幹線と同じだ。このまま新幹線の線路を走ることができる。日本の在来線に接続する電車に乗るためには乗り換えが必要だ。いまだに日本の在来線は線路幅が狭いのだ。イギリスから電車の技術をとりいれたとき、イギリスの方針で植民地と同じく狭い線路幅にさせられたらしい。それがそのまま受け継がれている。電車が地面を走る区間もあるらしいし、グンマが鉄道を全区間高架にしたこととくらべて、なにに資本を投資しているのかとあきれてしまう。人口だって減り続けているらしい。人が減れば税収も減るんじゃないかと思うのだけれど。

 グンマ国内で言うと、飛行機が便利になっている。日本時代に地方に空港をつくりまくったから、眠っていた資産を活用できたのだ。日本に行こうとすると、日本の空港は利用料がバカみたいに高くて使えない。鉄道で国境を越えるのがよい。

「つぎはもう日本ですね」

「新大阪だから降りますね」

「そうなんでしたっけ。もっとディープな日本を探検できるかと思ってたんですけど」

「ディープってどんなんですか」

「忍者、芸者、フジヤマ」

「富士山はグンマですね」

「しまった。通り過ぎてた」

「駅にお友達が迎えにきてくれるんですよね」

「マリーです」

「なに人ですか」

「グンマ国民です。民族的には日本民族ですかね」

 改札をでると、そこだけスポットライトでもあたっているんじゃないかという感じで輝いている人物が立っていた。もちろん真理ちゃんだ。でも、いつもとちょっと雰囲気が違う。

「久しぶり。って、二ヶ月たってないか」

「そうだねー。あのときはありがとね。お世話になりましたー。あらためて、ようこそー」

 両手を広げている。

「マリー、久保田さんだよ。わたしのインスピレーションのもと」

「相変わらず意味わからないけど、すごいねー」

「どうも、水族館の飼育員です」

「やっと会えましたー」

「え?」

「芸祭に行ったとき、サリーが会わせてくれなかったんですよー。ケチって」

「ああ、きてたんでしたっけ」

 うん、話したはず。話をちゃんと聞いていてくれたなら。

「サリーとはどうやって知り合ったんですか」

「水族館で仕事中にナンパしました」

「きゃー、ナンパ師だー」

「人聞きの悪い」

 久保田さんが得意の複雑そうな顔で助けをもとめている。

「わたしがね、ペンギンをスケッチしてたら声かけてくれたんだよ。ペンギンが泳いでるところを描きたかったんだけど、ずっと立ったままだったから。久保田さんが動画見せてくれたの」

「へー、やっさしー。でも、ナンパだー」

 ナンパしたという久保田さんの言葉がいたく気に入ったらしい。

「久保田さん、マリーです」

 手をのばして示す。そんなことする必要性はあまりなかった。

「サリーと同じ高校だったんですよー?サリーはー、後輩たちにーもごもご」

 危険なので、真理ちゃんの口は封じさせてもらった。

「マリー、今日は見学の案内よろしくね」

「はーい」

 まだ口を押さえつけたままだ。紹介が済んだから、みんなで歩きだす。

「相内さん。あの格好は大学祭の衣装なんですよね?」

「私服ですよ。マリーはいつもすっごい格好してるんです。芸大生とはベクトルがちがうけど」

 前を歩く真理ちゃんは、床に引きずりそうな白のスカートをなびかせながら周囲の注目を集めている。デコルテの広くあいた黄色の上着は、ひらひらとスカートの裾と同じところまで伸びている。もっと襟のつまった服にすればよかったのに。

「マリー、それはロリータなの?」

「これは十五世紀ゴシックファッションのつもり。まだ勉強が進んでなくて、わからないことが多いんだー。当時の貴族の普段着は、たぶんこんなファッションだったんだよっ」

 振り向いた真理ちゃんは、髪をアップにしてティアラをつけている。なるほど、貴族だ。服は真理ちゃんが縫ったものだ。あんな服はどこにも売っていない。服は一から縫ったり、出来合いのものを直したりして着ている。箸は作らないのに。

 電車で席にすわるとき、真理ちゃんは三人分のスペースを必要とした。邪魔なスカートだ。昔の貴族だから、馬車を用意すべきだった。電車を乗り継ぎ、バスに乗り換え、けっこう大変な思いをしてやっとキャンパスに着いた。辺鄙なところにつくったものだ。

 キャンパスを進んで建物の中に入る。上の階へはエレベーターであがる。真理ちゃんが先頭で、久保田さんと後につづいてエレベーターに乗り込む。

「マリーは絵画科なんです」

「へー。大阪でもやっぱり絵画の中で油絵とかわかれてるんでしょ?」

「日本画専攻です」

 真理ちゃんは空中の見えない紙にすっと筆をいれた。なかなか凛々しくて見栄えのいい動作だ。

「あー、見ちゃダメです。マリー、久保田さんにいいところ見せないでよ」

 久保田さんの目を手で覆う。

「ちょっと、相内さん。なにも見えませんよ。もう済んでから目隠ししてもダメです」

「そんなことありません。いいところを見せられたあとというのは、いつも以上に魅力的に見えてしまうものです」

「なるほど。それは一理あるかもしれません」

 スネを蹴る。

「そこは、同意しなくていいところです」

「なんだか、踏んだり蹴ったりですね」

 目隠しをはずして、両手で顔をはさんで自分だけを見るように顔を近づける。

「ち、ちかい。相内さん。キレイですよ」

「あ、ありがとうございます」

 テレてしまう。たいして心がこもっていないのに。だから油断できないのだ。

「あのー、いちゃいちゃするなら先行ってるけどー」

「ああ、ごめん。もう大丈夫」

 久保田さんを解放して、真理ちゃんが扉を押さえてくれているエレベーターを降りる。

「相内さん、いつも警戒しすぎです。おれは別にモテるわけではないんで、そんなに周りの人を威嚇しなくて大丈夫ですよ」

「女の世界のことに口をはさまないでください」

「すみません」

「すごいねー、サリー。久保田さんのこと、すっごい調教してる」

「そう見える?でもぜんぜん効果ないんだよ?のらりくらりとして。いつもわたしがやきもきさせられて、振り回されてるんだから」

「食えないやつなんだー」

「マリーさんも言いますね」

「なんでマリーのこと下の名前で呼んでんですか」

 久保田さんの首に手がかかる。

「そういう風に紹介したのは相内さんですよ」

「だったら、苗字聞けばいいじゃないですか」

「く、くるしい。わかったから、手を放してください」

 久保田さんが手首のあたりをペチペチと叩く。ギブアップの合図なのだそうだ。仕方ない、手を放す。

「じゃあ、お詫びに」

 手を差しだす。久保田さんがうやうやしく手をとる。

「デートですね」

「はい」

「で、えーと、姓はなんというんですか」

「マリーは、石塚真理ちゃんです」

「石塚さんですか」

「もうコント終わったー?」

「うん、終わったよ。出発!」

「はいはーい」

 久保田さんは複雑な心境だという顔をしていた。手をギュッと握る。

 大学祭ははじまったばかりのはずだ。なのに、廊下も教室も人が歩いたり立ち止まったりしている。平日の昼間からやってくる人がけっこういる。芸祭でも同じだけど。

 人の流れが滞った。立ち止まる。

「どうしたの?マリー」

「なんかあるみたい。人があつまってる」

「なにか人気の展示?」

 ドアのまえに人が集まって中をのぞきこんでいる。背の高い久保田さんは中が見えるはずだ。

「相内さん、ちょっとここで待っててください」

 久保田さんは人垣をかきわけて前に進む。アトリエの入り口までたどりついて、人垣を抜けた。姿が見えなくなってしまった。

「わたしも行ってくる」

「えっ、待ってなくていいの?」

 人をかきわけてドアのまえにたどり着いてみると、アトリエの真ん中に人が倒れていた。胸から血が出ている。血は、下に敷いてあるブルーシートに広がっている。

 死んで、いる?

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