第9話 沙莉の推理と、プリンとタイ(3)

 久保田さんは鯛の入った袋を取り出してキッチンの上に置いた。ここにはいっているのは、いわば死体。ステファニーとちがって水に溶けてはいない。

「これから死体を解体するわけですね」

「なんて人聞きの悪い言い方をするんですか。鯛を三枚じゃなくて、二枚におろします」

「よっ、二枚目」

「あ、りがとうございます」

 鯛を袋から取り出す。袋には新聞紙となにかがのこっている。

「久保田さんそっちは?」

「死体の遺留品じゃありませんよ。氷です。新聞紙でくるみました」

「なにか意味があるんですか」

「冷えすぎないようにです。死体を新鮮に保つには五度から十度くらいが適温なんです。人間と同じですね」

「人間もですか」

「細胞の活動を止めるわけです。それより低い温度だと、逆に細胞を痛めることになります」

「へー、この子はいつお亡くなりになったんですか」

「今朝活き締めにされました。死後硬直が解けてうまみがでてる状態のはずです」

「魚にも死後硬直があるんですか」

「ありますよ。歯ごたえを楽しみたい場合は、死後硬直のまえに食べるといいみたいです。あとならうまみが楽しめます」

「ほう。で、いまはうまみが十分だと」

「はい。では、鱗はとってきましたので、エラを切るところからはじめましょう」

 魚の形をした魚に包丁を突き刺すなんておそろしい気がしたけれど、久保田さんが上から手を添えてくれたから勇気づけられた。エラを切り、アゴの下のところを切り離し、腹をかっさばいた。内臓を取り出すときは、飛び上がるほど気色悪かった。本当に人間の内臓を取り出すのとどこがちがうのだろう。いや、魚類で哺乳類とはかなりかけはなれていることはわかっている。でも、気持ちではおそろしくてたまらないのだ。アーメン。

「大丈夫ですか、相内さん」

「なにがですか」

「顔がしっぶーい感じになってますよ」

「だって、人間の内臓取り出してるみたいなんだもん」

「たしかに殺人現場みたいになってるから、一度洗いましょうか」

 まな板を洗い、鯛もごしごし手で洗う。

「はい、布巾でよく水気をとってください」

 やっと冷静さを取り戻せた。内臓がなくなっただけでも、すこしスーパーで売ってる姿に近づいた気がする。

「つぎは首チョンパです」

「いやー、できません」

「大丈夫、血が噴き出たりしません。顔だって苦痛にゆがんだりしません」

 うう、もうつぎからつぎに。泣きそう。頭の横に包丁で切れ目をいれる。体の両側。包丁の根元で背骨をごりっと切り離せば首チョンパの完成だ。ああ、なんだか体中に力が入って、もうくたくた。肩がこった。

 頭から腹側を切ってゆく。前後を返して、背中側にも包丁をいれる。背骨のところだけがつながっているから、そこを切り離す。

「つぎはカブトを」

「久保田さん、ギブアップ。もうダメです」

「おっとぉ、相内さんをギブアップさせるなんて、おれもやりますね」

「自画自賛はやめてください」

「遊園地いったときのおれはもっとヒドイ目に遭ってた気がしますけど、寛大なので許してあげます。横で見ててください」

 久保田さんはにっこりして、切り口を下にしてまな板に立てた頭部を、口先からザックリ左右にかち割った。ひえー、恐ろしい。もう死んでいて痛くないけど、こっちは痛い気持ちだ。自分で肩を抱いて耐える。頭の半分はさらに小さく切って、カブトの処理は終了らしい。ボウルにいれて塩を振る。骨付きの身も短冊状に皮ごと切り、ボウルにいれて塩を振った。ボウルは冷蔵庫へ。

「腹骨と小骨、血合いをとります」

 身だけになったものをさらに骨とりする。

「とりあえず、刺身食べますか」

「いいですね」

「日本酒でもあればよかったんですけどね」

「明日仕事でしょ?いいですよ」

「ビールを一本あけてふたりで飲みますか。で、全部できたときにもう一本飲むってのはどうです?」

「おまかせします」

 やおらヤカンを火にかけた。冷凍庫をあけて、ボウルに氷をだし、水を入れる。ザルに皮付きの身をのせて、キッチンペーパーをかける。沸騰したお湯を上から注いで、すぐに身を氷水に投入。布巾で水をきって、包丁で刺身らしく切ってゆく。

 鯛の身は小骨をとった段階でふたつになっていた。腹側の薄いほうをお湯かけたから、残りのひとつは背中側。こちらは皮をはいで普通に刺身にした。

「先にご飯のスイッチいれますか」

 冷蔵庫のボウルから骨付きの切り身を取り出し、水分拭きとってフライパンで焼く。身をほぐしてとりわける。炊飯器にコメをといで、調味料を投入、フライパンにのこった鯛の油も炊飯器に流しいれる。上に背骨をのせてスイッチオン。これでご飯が炊けるのを待つ。

「お待たせしました。まずは刺身で乾杯しましょう」

 ビールの用意をして乾杯。チューブのわさびを鯛の身にのせて醤油をつけて食べる。噛みしめる。むにゅむにゅ。おいしい。皮がついたほうも。ぶちぶちいう歯ごたえの変化があって、これはこれでいい。味が淡泊だから、ちょっとビールではない感じはある。日本酒か。いつか日本酒でも味わいたいものだ。

「ご褒美ですね」

「なにかガンバったんですか?」

「失礼な。毎日ガンバってます」

「ガンバって生きてるとか」

「今日はステファニー事件の捜査と、クラゲの彫刻のアイデアを考えてました」

「ステファニー事件はプリン二個でいいじゃないですか」

「ネにもってましたね」

「もってました」

 冷蔵庫からボウルをだしてきて料理のつづきだ。ボウルにはカブトが残っている。半分は魚焼きグリルに。もう半分の小さく切ったものがのこったボウルには熱湯、ざざーん。さっきつかった氷水にとって、冷やしながら洗うようにする。水を張った鍋で昆布、塩、酒と一緒に火にかける。アクを取りながら煮て味噌を溶かしたら完成。あら汁だ。魚焼きグリルのカブトはひっくり返すだけで、焼きあがれば完成。

 ご飯が炊けたら骨を取り出して、かわりに焼いた身をいれる。しばらく蒸らして完成。鯛飯。

「これ、休みの前日がよかったんじゃないですか?いっぺんに完成しても、かたっぱしから食べなくちゃいけなくて忙しいですよ。休みの前日ならゆっくりつくっては食べできますけど」

「水族館に餌の魚を納入してる業者が安く譲ってくれたんです。たまにしかないことで、いつもってきてくれって言えないんです。ちょっと大変だけど、たまにはいいでしょ?」

「そうですね、四年に一回くらいなら」

「つぎはイカさばきますか。イカなら安いからスーパーで買っていつでもさばけます」

 渋い顔になってしまう。

「いいじゃないですか、かわってて」

「生き物をさばくのは、あまり気乗りしないっていうか」

「命をいただいてるんですよ。感謝の念が湧いてくるじゃないですか」

「うーん、大切なことかもしれないけど、湧かしたくはないですね」

 悲しそうな顔になっている。二本目のビールとともに料理をおいしくいただき、犠牲になった鯛に祈りをささげた。

「明日からどうします?」

「どうするって、なんのことですか」

「クラゲいませんけど、うちにいすわる予定ですか」

「いすわる予定ですよ。クラゲ補充するって前いってましたよね。補充してください」

「かしこまりました。じゃあ、休みの日にお葬式しましょうか」

「ステファニーの?」

「はい。水槽の水をバケツにあけて、海に流すってのはどうです?ついでにおいしいランチなんていいんじゃないかと。全国のミステリファンも怒りの拳をさげてくれるんじゃないですか?」

「素敵な提案ですね」

「さすが乙女憲法を遵守する相内さん。素敵なんて言葉を口にする人をはじめて目の前にしましたよ」

「おほほほほ」

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