第8話 沙莉の推理と、プリンとタイ(2)
もう疲れた。またソファでくつろぐ。気分転換にクラゲの彫刻のことを考えよう。せっかくクラゲだからふわふわした感じをだしたい。宙に浮くものか、水中でふわふわするものか。どうやって実現したらいいだろう。どんな素材?クラゲっぽいというと、シリコンだろうか。扱ったことがない。宙に浮かすなら軽い素材だ。紙か、フィルムっぽいものか。
そういえば、魚の飛行船の金属彫刻を見たことがある。半魚人みたいのが自転車のペダルを漕ぐ。その動力でプロペラかなにかがまわって推進力を得るというような。金属彫刻だから、じっさいには空を飛ぶわけではない。天井か梁からつるして雰囲気をだすような作品だった。クラゲの飛行船。魚とちがって向きがないから気球みたいなものか。気球か。そんな大きなものは作りたいと思わない。両手の平にのるくらいのものがいい。それに、あまりクラゲから大きく離れたくない。ちいさくても気球みたいに宙に浮かすことはできるだろうか。風船みたいなものか。
密室がある。中には探偵がひとり眠っている。目を覚ますと事件が起きている。徹底的に捜査し、あらゆることを推理するも、密室のトリックはやぶれず、それでいて事件はあきらかに人間の仕業だ。探偵はヒラメキ、その事実に驚愕する。犯人は。
チャイムが鳴って、ビクッと体が反応する。ああ、ビックリした。鍵を開ける音。久保田さんだ。すこし眠っていたかもしれない。
「ただいま」
「事件です」
「どうしました」
「ステファニーが消えました」
「ステファニーってなんですか」
「クラゲの名前じゃないですか。昨日いってたのに忘れたんですか。女の敵」
「ああ、クラゲのことでしたっけ。あれはあのとき口から出まかせでいっただけですよ」
「首絞めますよ」
「し、絞まってます」
久保田さんの首から手を離す。
「そんなことより、夕食は鯛ですよ。贅沢ですね」
「鯛?」
久保田さんが顔の横に袋をもちあげる。ビニールをすかして鯛の顔がうっすら見える。
「うえっ、丸のまま?塩焼きですか?」
「鯛尽くしですね、刺身と鯛飯とあら汁」
「へー、楽しみです」
「一緒にやりましょう」
「嫌ですよ、そんな魚の形したの。触りたくありません」
「現代人ですね。そんなことじゃ、漁師の奥さんにはなれませんよ?」
「飼育員の奥さんにはなれます」
「聞かなかったことにします」
「耳がないんですか」
久保田さんは冷蔵庫の前にしゃがみ込んで鯛をいれる。
「あれ?大変です。プリンが消えた」
「なんですか?消えたといえばステファニーですよ」
「クラゲよりもよっぽど事件ですよ。プリン消失事件じゃないですか。犯人は明らかですけど。相内さんひとりで二個とも食べちゃったんですか?」
「さあ、ステファニーじゃないですか?」
「仲良く一緒に食べようと思ってたのに」
「ひとつはわたしの分だったなんて、愛ですね」
「あとかたもなく消えちゃいましたけどね」
「くっ、ごめんなさい。でも、しかたなかったんです。容器が必要だったんですよ」
「それで二個とも食べちゃったんですか」
「一個だけ残ってると不自然じゃないですか。ひとつもなければ存在を忘れちゃうかもしれないし」
「ひどい。なめらかプリンおいしかったでしょう」
「明日買ってきます」
「それで、クラゲが消えたんでしたっけ?」
「そうです、そうです。今朝起きてクラゲの彫刻にとりかかろうとしたら、ステファニーの姿が消えてたんです。名探偵、事件を解決してください」
「事件って、どんな事件なんですか」
「誘拐か、殺クラゲ事件。しかも密室」
「ちっさい事件ですね」
「それが家族をうしなったもののいうセリフですか」
「べつに家族じゃありません」
「ペットは飼い主にとって家族も同然です」
「でも、クラゲですよ」
「尊いひとつの命です」
「はあ。で、相内さんの推理は」
周囲の状況から、密室殺クラゲ事件か、密室誘拐事件であることを説明した。水槽の底やフタの裏に痕跡がなかったこととか、水槽の水が酸性になっていたりはしなかったこととか、捜査状況を報告した。結論。密室の謎も、ステファニー消失の謎も解けず。お手上げだ。なにか心の隅に罪悪感のような嫌な感じがある。気のせいだ。
「なかなか本格的に捜査しましたね。素晴らしい。おれなんかよりよっぽど名探偵です」
「それで、どうです?なにかわかりましたか?」
心臓がドキドキする。圧迫されているような感じ。息を飲み、久保田さんを見つめる。
犯人は。
「うーん、ここでクラゲ自然死説を提唱したいと思います」
ほっと胸をなでおろす。なぜそんなに心臓をドキドキさせていたのか、心当たりがないのだけど。きっと久保田さんのせいだ。
「自然死?寿命ですか?」
「まあそんなところです」
「じゃあ、死体はどこに消えちゃったっていうんですか」
「ここにあるとしか言えません」
「ここ?」
水槽の中ということらしい。もう一度、よーく水槽を隅から隅まで見まわす。ステファニーが生きていたという痕跡ひとつ見つからない。水槽になにか仕掛けがあるとでもいうのだろうか。そんなものありそうもない。どんなトリックだろう。まったくわからない。
「ダメです。降参します。教えてください」
「別に大したことじゃありません。ミズクラゲは死ぬと水に溶けてしまうことがあるんです」
「なんですかそれ、怒りますよ。全国のミステリファンだって怒りの拳をふりあげてます」
「おれに怒らないでください」
「今日一日ずっと事件のこと考えてたのに。わたしの青春をかえしてください」
「はやく自分の部屋に帰って青春を謳歌した方が」
視線が鋭くなったのに気づいたらしい。途中で言葉をとめても、もう遅い。
「昨日まで元気だったのに、今朝にもう死んで溶けてるなんてことがあるんですか」
「あるみたいですね、一晩で溶けちゃうことが。いろいろな死に方があるみたいです。縮んでゴミみたいになったり、バラバラになったり。なにかの条件によってちがうんだと思いますけど、どういう条件でどういう風に死ぬかはわかってないんじゃないかな。ぜんぜん動かないから死んだかと思ってたら、何箇月もしてから動き出したとかもあるらしいんです」
「そういうことを先に教えてくださいよ。久保田さんの名前をかけて明後日の推理しちゃったじゃないですか」
「かってに人の名前かけないでください」
「もう名探偵とは名乗れませんね」
「はじめから名探偵なんかじゃありません」
「あーあ、なんか調子狂っちゃう。久保田さんが鮮やかに事件を解決してくれるって思ったのに」
「ヘンな期待はやめてください」
でも、一応の解決と言えば解決だ。うん、一件落着。そうなれば、残る問題はただひとつ。
「で、夕食はまだですか」
「教えるんで、いっしょに鯛をさばきませんか」
「手取り足取りですか」
「うーん、まあそんなところです」
「体を密着させて」
「それはない」
「股間を膨らませて、襲っちゃいますか」
「そんな危ないことはしません」
「危なくないですよ。ちょっとヤケドするくらいです」
「火遊びじゃありません。包丁です。危ないのは」
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