第4話 銀の匙
芸祭が終わった。次は銀のスプーン制作に取りかかる。咲名ちゃんの予定は押さえてある。工芸科の彫金に所属する咲名ちゃんは、アドバイザーにうってつけなのだ。
「さあ、咲名ちゃん。なにからはじめる?」
やる気十分。久保田さんの休みを十分活用できなかったんだけど、そんなことは問題ではない。つぎは一緒に赤ちゃんに会いにいけるのだ。それに、完成すれば報告のために会うこともできるだろう。きっとほめてくれる。楽しみだ。
「スプーンといっても、どんなのつくるの?」
デザイン画を見せる。
「沙莉ちゃん、すっごいむづかしそうだね」
「やっぱり?このペンギンさんの部分はタガネで彫りたいの」
「言うと思った。彫刻科だもんね。柄の部分でも厚みがかわるんだ」
「そうだよ。赤ちゃんがもちやすいように」
「そうすると、鍛金大変かな」
「それって、叩くやつ?」
「そうだね。実技でやったでしょ」
「ペンギンのオブジェつくったときも、銅板切って叩いて溶接した」
「じゃ、大丈夫だ」
「もしかして、ペンギンさんの厚みと幅をもった銀の棒をつくって、柄とすくう部分をひたすら叩きだすの?」
「もしかして」
「そうすると、柄の部分とすくう部分を叩きだすためにどのくらいの棒の長さが必要か計算するんだ」
「銀は高いよ」
「おカネなら、スポンサーがついてるから大丈夫」
「久保田さんに出させるんだ」
「おカネは出してもらうよ。時間と手間を出すんだから」
「頼もしいことで」
材料の銀は、笹吹きといって小さい粒になった銀を溶かして使う。百グラムの笹吹きを溶解皿へ投入、ホウ砂をふりかけ、バーナーであぶって溶かす。溶けたら黒鉛棒で混ぜる。熱いし、暑い。溶けた金属が目の前にあるのだから当たり前だ。汗が噴き出る。目を保護するためのメガネが汗で濡れて気持ち悪い。
溶けた銀を鉄製のアケ型に流し込んで冷ませば、四角いかたまりになった銀が手にはいる。インゴットと呼ぶ。
金床にのせて金槌で叩き、銀を締める。ペンギンさんの厚みと幅をもった角型の棒状にしておく。
あとは金槌でひたすら叩いて形を整えてゆく。すくう部分を薄く平べったく、柄の部分を細く、エンペラーペンギンのヒナの形にする予定のお尻の部分は円柱っぽく。途中、バーナーであぶって焼なましという作業をしなければならない。叩くだけでは展性に限界がきて金属が割れてしまうのだ。焼なましをすると復活する。
なんとなく三個のパーツに見分けがつくくらい叩いたところで今日の作業を終わりにした。
「夕食はどうする?豪勢なの食べられるよ」
「やっぱり久保田さん?」
「そう。もうタンマリせしめてきたから」
「かわいそうに」
「大丈夫だよ。おカネに関してはケチじゃないんだ。わたしが心配になっちゃうくらい」
「車もってないんだっけ」
「うん。自転車」
「使い道がないのかもね」
「うん。使い道をつくってあげなくちゃ」
「邪魔にならないから、とっておけばいいと思うけど」
「全部使うわけじゃないってば」
「そりゃそうだ」
「心配してるっていってるのに」
「はいはい」
女性に人気の創作料理のお店にした。労働のあとのビールはうまいと、オッサンくさい言葉が口をついてしまう。咲名ちゃんにからかわれたけれど、肉体労働のあとだからしかたない。食事をして解散。
翌日は、木の板を削るところから始めた。スプーンのすくう部分をつくるためだ。銀の方は、スプーンのすくう部分を板状に成形する。先がすこしすぼまって口に入れやすいようにした。さっき削った木の板にはめこんで、打面の丸まった木槌で叩く。すこし肉厚にした。口に入れたときの感触に関わる。柄の部分も昨日に続いて叩き、かなり形が整ってきた。すくう部分をさらに整形するために、当てガネを使って裏から叩く。いい形になったと自画自賛する。
スプーン部分をいろんな角度からチェックする。柄の幅、厚み、すくう部分の形状、深さ、厚み、全体の丸み、ほぼ思い通りのスプーンになっている。やすり掛けでさらに形を整える。
クライマックスは彫金だ。大まかな形は叩いてつくってある。ぼてっとした体形で、直立した姿をやすりで削って整える。タガネを金槌で叩いて細かい部分を作りこむ。フリッパーがあって、小さいくちばし、小さい目。羽の色の違いはテクスチャーで表現する予定だ。
ドアがノックされ顔をあげると、開いたドアから久保田さんが立っているのが見えた。今日は水曜日で、久保田さんはお休みなのだ。昨夜のうちにメールで、工作室に遊びにきてもいいんですよ?と知らせておいた。きっときてくださいねという意味だ。久保田さんにも伝わったみたい。
「頑張ってますね。休憩のタイミングじゃなかったですか?」
「おっそいくらいです。今日の作業はほとんど終わりですよ」
「そうなの?じゃ、帰るか」
「なんで帰ることになるんですか!帰しませんよ」
「ですよね」
咲名ちゃんはニヤニヤしている。
「この工作室って、危ない機械が置いてあるんでしょ?学食で休憩しませんか」
「ちょっとはわたしの作品に興味をもったらどうなんですかね」
「途中で見ちゃいけないんじゃないですか?」
「もう、いいから近う寄れってんです」
「ありがたきお言葉」
久保田さんが工作室にはいってきた。キョロキョロしている。いろいろ珍しいのだろう。勝手にちかくのイスを引き寄せてすわる。
「では、拝見いたします」
「苦しゅうない」
久保田さんは強くもったら壊れるんじゃないかと思っているらしい。繊細な飴細工ででもあるかのように、スプーンを手のひらに受け取った。
「ちょっと、相内さん。柄の部分が厚みも幅も場所によってかわってますよ。思いっきり曲面じゃないですか」
「魔法使っちゃいました」
力こぶを見せつける動作。
「その金槌が魔法の杖ですね。素晴らしい。完璧なフォルムです」
恥ずかしい。顔を手で覆って隠したい。
「しかも、柄の終端についてるのが、エンペラーペンギンのヒナじゃないですか。天使ですよ」
「天使でしょ?仕上げは明日ですけど」
「これ、赤ちゃん用ですよね。短い間しか使えないのもったいないですね。大きくなったら飾ったらいいですか?」
「なるほど、ケースもつくれと」
「え、つくるんですか?百均とかで売ってないですかね」
「わたしの作品の価値わかってんですかね」
「すみません」
「あ。じゃあ、わたし板見つけてくる」
咲名ちゃんが立ち上がる。
「そのまえに学食で休憩しましょう」
「そうですね」
つくりかけのスプーンをしまって学食へ移動する。
久保田さんが差し入れてくれたのは、元スターバックスだった喫茶店のキッシュとコーヒーだった。この喫茶店のキッシュをはじめて食べるという咲名ちゃんも、おいしいとよろこんで食べた。咲名ちゃんをよろこばせなくてもいいのに。久保田さんは油断ならない。
工作室にもどりがてら、廃材置き場で板を調達した。
「すごいですね、これ桐じゃないですか。都合よく廃材置き場にあるなんて」
「廃材といっても、好きに使っていいってだけで、捨てるわけじゃないですよ」
「ああ、そういう場所なんですね」
工作室で久保田さんとおしゃべりしている間に、咲名ちゃんがケースにするように桐の木材を加工してくれた。アクリル板をはめる用の溝をつければ、あとは接着するだけという状態だ。薄く削った板は、ベロア素材の布でも巻いて底板にすれば、スプーンをいれたときに様になる。
仕上げは明日ということにして、三人で夕食にそばを食べて解散した。
「昨日は久保田さん、館林からきてくれたんでしょう?」
「そうだね」
「やさしいね」
「わたしだって、いつも館林にいってるんだよ?」
「まあ、そうだけど。なんとも思わないの?当り前?」
「うーん。メールしたんだ。だからきてくれたんだと思う。だからね、きてくれなかったら頭きちゃう。でも、きてくれたから、よしって感じ」
「けっこうネガティブシンキンだよね、沙莉ちゃん」
「そうかな」
「わたしはいいことを探すんだ。うれしくなりたいっていつも思ってる」
「それがポジティブシンキンか。うん。わたしネガティブだね。いい気分で当り前ってところある」
今日の作業は表面加工と研磨だ。表面加工はペンギンのヒナの羽色を表現するために行う。タガネで模様をつけて、体のグレーの部分と頭の黒の部分を表現する。模様のことをテクスチャーと呼ぶ。目の周りと喉のあたりは白だから鏡面仕上げにする。
「彫金ってさ、繊細だよね。力加減がむづかしい」
「そうだよ。蝶のように舞い、蜂のように刺す、だよ」
「ツルツルのピカピカにしないといけないし、大変だ」
「傷が残ってたら、ペーパーの細かさを荒いのに戻してかけ直さないといけないんだ。細かいペーパーでは傷消せないから」
「忍耐忍耐」
咲名ちゃんは、沙莉が調達したアクリル板を箱にはめる溝をつけてくれている。機械の音、木が削れる音がする。木の匂いは嫌いじゃない。
「完成するとほっとするよ。緊張感から解放されて」
「爽快感はなさそうだよね」
「ないね」
「マイナスがゼロにもどる感じ」
「そうそう」
研磨剤をつけてバフがけ。リューターという機械の先端にバフがついている。歯医者になった気分を味わえる。研磨剤をつけては磨き、磨いては研磨剤をたす。これが鏡面仕上げの作業だ。ツルツルのピカピカになる。
咲名ちゃんは箱のフタを仮組みしてチェックしている。いつのまにかアクリル板を切り終わっていた。ピッタリはまったらしい。接着に取りかかるようだ。
「ああ、終わったー。あとは?」
「洗浄」
「超音波洗浄機にかければいいだけ?」
「洗浄したら、仕上げに納得がいくかチェックして、ダメならさらに研磨。オッケーなら完成かな」
「もう完成でいいと思う」
「洗浄してみるとアラが見つかったりするんだな」
「不吉なこと言わないで」
咲名ちゃんは接着したフタを固定して机に置いた。
「そっちは完成?」
「うん、乾けば」
洗浄してみたら、やっぱりイマイチなところが目についてしまった。すくう部分のお尻のところ。丸くデッパっているから磨きにくかったらしい。ちぇっ。さらに念入りにバフがけして、もう一度洗浄。やっと完成だ。
「できたー。見て見て」
「うん。いいと思う」
「ありがとう咲名ちゃん。咲名ちゃんが等身大の彫刻にピアスつけて展示したいってときには言って。わたし裸像作るから」
「いや、裸像はいらない。胸像くらいでいいと思う」
「そっかー。遠慮深いな、咲名ちゃんは」
「頭おかしいと思われるよ」
「だって、ここは芸大だよ?」
「そうだった。自分だけが正気でいると、自分がおかしいと思えてくるかもね」
「一緒にアホにならないと」
「アホにはなりたくないかな」
「じゃあ、芸術家だ」
「卒業生が怒鳴りこんでくるかも」
「返り討ちにしてくれるわー」
「はいはい」
「じゃ、さっそくメールして久保田さんの明日の予定押さえなくちゃ」
「仕事でしょ?そのあとは空いてるんじゃない?」
「たぶん」
メール作成に取り組む手をとめる。
「そうだ。ご飯。明日なに作ったらいいと思う?」
「今夜なに食べるじゃなくて?」
「うん。明日作るものによって、今日食べるものを決めるの」
「ああ、カブらないように?」
「ううん。予習のために」
「今日食べたものを明日つくって食べるってこと?」
「そう」
「嫌にならない?」
「二日連続くらい大丈夫だよ。麻婆豆腐のときだってそうだったんだから」
「あれ、つぎの日に作るって話だったんだ。よかったね、うまく作れるようになって」
「作れる自信はあったんだよ」
「でも、ひき肉焦がしてたよね」
「あれは、ノンビリしちゃったからフライパン熱くなり過ぎたんだ。本番はうまくいったよ?」
「慎重なのか、大胆なのかわからないよね、沙莉ちゃんて」
「蝶のように舞い、蜂のように刺すんでしょ」
「そうだね。スプーンをつくったから、カレーライスとか」
「カレーか。一回つくったことあるんだけどね。明日は金曜日か。ちょうどカレーの日だ」
「そうだよー」
「カレーというと、どっちにする?」
「インドカレーならナンじゃない?」
「ライスにしようか。すると、駅の反対側かー」
ふたりでカレーライスを食べて解散した。今日までは久保田さんのおごりだ。
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