第2話 ようこそ芸祭(1)
沙莉の所属する彫刻科の出店は細工した菓子を売る。アメとチョコだ。屋台はお菓子のおうちという雰囲気にデコレーションしてある。
となりの工芸科陶芸専攻の出店はコーヒー豆の量り売り。いつも器を焼いているのをコーヒー豆にかえたということらしい。いれたコーヒーを売ってもいる。陶製のコーヒーカップも売っているところはチャッカリしている。焙煎した豆はすぐに挽いてコーヒーをいれるより、何日かおいてからの方がおいしいらしい。コーヒーをいれて売る用の豆は十日くらい前から用意していた。焙煎していた日は、工芸科の建物にちかづくとコーヒー豆を焙煎する甘い芳香がしたものだ。陶芸のコーヒーは彫刻科の菓子と相性がいいはず。久保田さんがきたら勧めてあげよう。
久保田さんはなにをしているのだろう。昨日メールで休みがとれたといってきたのに、まだ姿をあらわさない。何度もキャンパスにきているのだし、駅からの道がわからなくて迷っているということはないはずだ。寝坊を疑う。電話をかけてみようか。
「あ、相内さん」
いつの間にかうしろに久保田さんが立っていた。
「探しましたよ。いつもと雰囲気ちがうから、はじめ相内さんだとわからなかったです」
沙莉は、凛ちゃんが縫ってくれた新妻風ひらひら全開エプロンと、それを引きたてるブラウスとブルーのミニスカートという衣装だ。
「ああ、その衣装いいですね。似合ってます」
沙莉の正面にまわって全身を見渡している。
「これはわたしがつくったんじゃありません」
「そうでしたか。でも、いいんじゃないですか」
「久保田さん、くるの遅かったですね。寝坊しましたか?」
「いつも休みの日は目覚ましかけないので、すこし寝坊気味だったかな」
「なぜ大事な今日という日に目覚ましかけないんですか。神輿パレードいっちゃいましたよ」
「神輿パレードって、さっきのか。すごいですね。大迫力。ねぷたみたいでしたよ」
「ひとりだけ見たんですか。一緒に見ようと思ってたのに」
「え、そうだったんですか。くる途中で見かけたんです。公園のところで集まってましたよ。行ってみますか?」
「もうイイですよ。公園についてたら、おしまいってことです」
神輿は一年生が担当だ。去年は沙莉たちが制作した。毎年かなりの力作が揃う。今年は作らなくてよくて見るだけだから単純に楽しみにしていたのに。久保田さんのアンポンタン。
凛ちゃんがやってきた。
「沙莉の彼氏?ケンカしてんの?」
「んー」
久保田さんの顔色をうかがう。なにも読み取れない。
「立候補中かな」
「へー、ガンバんなよ」
「ありがと。でも、ライバルがいるんだ」
「ドラマみたい。すごいカッコいいってほどじゃないのに」
「ひどい。わたしにはカッコいいんだよ」
久保田さんは、得意の複雑そうな顔をしている。
「同じ学科の凛ちゃんです。こっちがわたしがつくった衣装です」
「久保田です。相内さんには、いや、相内さんをお世話させられてます」
「わたしだって、久保田さんのことお世話してるじゃないですか」
「ああ、まあそうかな?お世話したりお世話になったりしてます」
凛ちゃんに笑いかける。そんな愛想ふりまかなくていいのに。
「写真いいですか?」
久保田さんはいつも背負っているデイバッグからコンパクトデジカメを取り出して手にしている。
「ああ、いいっすよ」
沙莉が制作した衣装はロリータファッションっぽい。お菓子のおうちという屋台のテーマにあわせ、童話に出てくる女の子をイメージしたのだ。凛ちゃんは大人だから、すこしいけない雰囲気になってしまっているけれど。
すこし距離をとってカメラを構える。焦点があうピッという音とシャッター音が鳴る。横や後ろにもまわりこんで撮影する。
「ちょっと髪をあげてください。ああ、そんな感じで」
久保田さんはすっかりカメラマンになっている。
「パーツもいいですか」
いいながらもう撮りはじめている。胸のあたりにカメラを近づける。
「ああ、オートクチュール的なやつですね。体のラインにあってる。すごい。縫うのも相内さんが?」
「まあ、そうです」
脇のあたりを撮ってる。撮る人物をまちがっていやしないか。
「やりますね。かなり繊細な作業ですね、これ」
腰、腿、膝と下がってゆく。
「このスカート丈は、絶妙です。ペチコートってやつですね、ちょい見せなのは。ああ、でも、一番はこの足首」
「この変態」
「衣装関係なしですか」
立ち上がってカメラを操作しようとしている久保田さんの頬に、凛ちゃんと同時に拳を叩きこんだ。
「アンクレットのフリルが、くる、ぶ、し」
久保田さんはほっぺを二人の拳で挟まれている。それでも人間は慣性でシャベリつづけられるものなのだ。膝を折ってくずれる。
「ひどい、凛ちゃん。久保田さん殴らないでよ」
「自分だって殴ったくせに」
「わたしはしかたないでしょ。凛ちゃんは他人なんだから」
「勝手だな」
久保田さんは丸くしゃがみ込み、頬を押えている。凛ちゃんとふたりで見下ろす。
いそいで氷のはいったジュースをふたつ買った。ベンチに置きっぱなしにした久保田さんのところへ急ぐ。
「久保田さん、顔あげてください」
あげた顔に両側からジュースのプラスチックカップをあてる。
「ああ、ひんやりして気持ちいい」
「よかった」
「なんで殴られたか、いまだにわからないんですけど」
「だって、凛ちゃんの足首が一番だって褒めるから」
「あれは、足首じゃなくて、アンクレットを褒めようとしてたんですよ?」
「でも、気分が悪かった」
「すみません。浴衣のとき」
ほっぺの両側をジュースのカップで冷やしながら話す久保田さんは滑稽だった。
「チラッと見せてくれた相内さんがベストくるぶしでしたよ?」
「ありがとうございます」
「なんで笑いながらなんですか」
「だって、ヘンな顔」
「誰のせいですか」
「自業自得」
「すみません。やっぱり女性を褒めるのはむづかしいですね」
「わたしだけ褒めてればいいんです」
「」
口がなにか言いたそうにしていたけど、それを飲み込んだらしい。沙莉の制作した衣装をほめていたのだから、沙莉をほめていたことになる。理不尽かもしれない。でも、久保田さんなら理不尽なことも許してくれるはず。なぜそんなこと言いきれるのだろう。普通、好きな人に対して理不尽に振る舞ったら、嫌われてしまうのが怖くならないだろうか。いや、久保田さんはそんな心の狭い人ではないのだ。いつもそうだ。沙莉の理不尽を楽しんでいる節もある。けれど、チリが積もって綿ぼこりになり、マネキン大にまでなっても楽しんでくれるだろうか。いつかはウルトラマンくらいにまで大きくなって嫌われてしまうかもしれない。こまめな掃除が大切だ。どうやって?たまにくるぶしを見せてあげればいいか。
「凛ちゃんも彫刻科っていいましたっけ」
「え?ああ、凛ちゃんね。そうですよ」
「先輩ですか?」
「同級生です。凛ちゃんは普通の大学に行ったけど、やっぱりやめて芸大にはいりなおした人です」
「へー、それでお姉さんぽいんですね」
「親に反対されて普通の大学にしちゃったみたいですよ」
久保田さん、実はお姉さん好き?美作さんという水族館の同期の人も、世話好きなお姉さんタイプだ。
「凛ちゃんはどうしたんです?」
「お店をはじめたから売り子です」
すこしむすっとした表情を演出する。凛ちゃんのことなんかほっといてほしい。
「相内さんもじゃないですか。大丈夫だから行ってください」
通じてない。
「久保田さんお昼は?」
「そのへんの店で買って食べます」
「じゃあ、わたしも」
さぁーりぃーと凛ちゃんが呼ぶ。久保田さんとお昼が。じゃっと言って、ジュースをひとつ沙莉に押しつけて行ってしまう。
「彫刻は一緒に見てまわりましょう。お店に寄ってください」
久保田さんの背中にどうにか届いたらしく、振り向かずに肘だけ曲げて手をあげた。うーん、映画みたい。やっぱり久保田さん、演劇とか好きっぽいな。もう一方の腕はジュースのカップをもってほっぺに当てているけど。
ぜんぜん物足りなかった。久保田さん、出店をひとまわりしてお昼を済ませ、絵画と工芸もまわったあと、やっと彫刻の出店に顔を見せた。そんなの見ていたら日が暮れてしまう。沙莉が作ったチョコ細工をもったいないからとっておきたいというのを、無理やりポキっと欠いて久保田さんの口に押し込んだ。となりの出店でコーヒーを買って飲んで、チョコとの相性がいいとほめた。彫刻棟を急ぎ足で見てまわったら、本当に日が暮れていた。芸祭一日目が終了してしまった。片づけとかいろいろあるだろうからといって、久保田さんはあっさり帰ってしまった。まったく物足りない。せっかく休みをとってくれたのに。なんだったんだ。
『久保田さんきたよ』
咲名ちゃんからラインのメッセージだ。久保田さん、咲名ちゃんのところなんて行っていたのか。そんなこと聞いてないぞ。
『クジラのリングケースを返してもらって、リングを自分で作ったって報告しておいた』
そうか、咲名ちゃんのこと気にかけていたのだ。こまやかな気づかいの久保田さん。
『わたし、久保田さんとあまりまわれなかった』
『うん。お店があるから相手してもらえなかったって寂しがってたよ?』
寂しいなら、はやく店にもどってくればよかったじゃないか。
『凛ちゃんもいたから、抜けられたのに』
『久保田さんのやさしさだね』
『どこが!もっとわたしを大切にしたらいいのに』
『大切にされてると思うけど』
『だったら、もっと一緒に過ごしたらいいと思う』
『沙莉ちゃんと久保田さんて、お互いに思いあってるのに噛みあわないよね』
『そんなことないよ。相性バッチリだよ』
『そう思ってるの、沙莉ちゃんだけかも』
『それって、わたしが子供だから?』
『うーん、世界がちがうのかも』
『久保田さん、お姉さんタイプの人が好きだと思う?』
『ああ、そうかもしれない』
『がっくし。でも、妹いるんだよ?』
『だから年下は間に合ってるのかも』
『がっくし。がっくしだよ』
『まあまあ、あせらず慎重にいったらいいよ』
『そう?そう思う?』
『たぶんね。おやすみ。もう寝る』
『ありがと。おやすみ』
明日は朝から真理ちゃんを駅に迎えに行かなくちゃいけないんだ。銀のスプーンのデザイン画をながめ、すこし手を入れてからベッドにはいった。
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