第3話 蝶々
勝太が家に来るというので、掃除機をかけた。私の家は金の卵が多く住むと言われる土地の、ボロアパートにある。夢を追いかけているわけではないが、住み心地は上々。
家賃は安いし都内だから、ここにした。
丸く掃く女は嫌いだよ。勝太がいつか言っていたから、いつもよりも丁寧に掃除機をかけようとすると、物をいちいち避けなくてはならない。四角く掃くのって、案外疲れる。
勝太が良く来るようになった3月頃に、絨毯に落ちている埃が気になり出して、絨毯を捨てた。床はクッションフロアで、なかなかレトロな柄に元からある染みもあるが、掃除はいくらかしやすくなった。
そしたら今度は、奮発して買ったキャビネットのガラス戸が、気になり出した。中には漫画とDVDが入っていて、勝太がいつかそれを見て言ったのだ。果歩の家には、小説がないね。少し、見下したような物言いだった。私はいつも通り、実家にはあるんだよ。なんて見栄を張って受け流したつもりだったけど、使わなくなったストールをガラス戸の内側に画鋲で止めて、中身を見えなくした。
見えなくしたのに、なんだか情けなくなったから、読みもしない小説を3冊買ったっけ。
勝太が駅に着くと、私は全身鏡の前に立って全てを確認する。抜けがないか、勝太に嫌われる要素がないか、確認する。
それから、迎えに行くのだ。たった数百歩の距離だけれど、勝太はきっと、迎えに行く女の方が好きだろう、と思うから。
案の定、勝太を見つけて微笑むと、勝太も微笑んだ。間違ってない。よかった。
勝太は私より少し背が高くて、ヒールを履くと同じくらいになる。
だから私はヒールの靴を買わなくなったし、香水よりもアロマの香りを選ぶようになったし、服も上品そうなワンピースばかり集まった。
勝太はそういう女の方が好きだろうから、微笑んで手を繋いでくれるんだ。
「ねえ、コンビニ寄っていい? 」
勝太は優しげな目をしている。私はもちろん良いとしか言わないけれど、訊いてくれるのだ。
なんだか、人形になったみたいだな。なんて、思うこともある。
でも、恋人ってそういうものなんだろうな。
これが、人とお付き合いをすることなんだろうな。
そうも思う。
私が勝太の気にいる女として居れば、彼は楽しいんだから、それでいい。たとえ、ヒールの靴が欲しくても、ワンピースよりパンツのほうが楽だと思っていても。
蝶々がコンビニの窓ガラスにくっついて、羽を息するように動かしていた。
心臓って、あるのかな。あるんだろうな。
こんなに小さいのに、蝶々にも私と同じ心臓がある。不思議。
そんなことを思っていたから、手を伸ばそうとした。蝶々を捕まえる気なんてなかった。
ちょっと触れてみようと考えただけ。
でも、勝太にそれは気に入らなかったみたいだった。勝太は私の手を取って、制止した。
私は驚いて頭の中が真っ白になる。
勝太が怒りの目をしている。
「果歩って、そういうところあるよね。優しくないんだよ」
勝太が怒っている。謝らないといけない。謝らないと。
そんな時だった。店員が私と勝太の後ろに立った。
香山だった。
「優しいよ」
そう言ったのだ。香山が。確かに香山だろうか。目を閉じて開けてまた見ても、やはり香山だった。耳にはピアスが数個もついているし、寝癖はこの間の日曜日と同じように跳ねているし、ただ違うのは服がコンビニの制服なことくらいで、飄々と立っていた。
勝太が私の手を離して、香山を見た。
「果歩、知り合いなの? 」
もう、優しい目に戻っている。
なんだか違和感を感じた。こわい。
香山はそれで、もう一度言った。追い討ちをかけるように。
「果歩さんは、優しいよ」
胸が、熱くなった。なんでだかはわからなかった。ただ香山の、その言葉が嬉しくて。嬉しくて、嬉しい。
「優しくないよ、私は」
振り絞るように出たその声は、勝太に届いたろうか。
勝太は香山を睨んでいて、きっと私の、最後に勝太のためにすることに、気づいていない。
優しいよ。香山が、繰り返して塗り重ねる。
塗り重なる。積み重なる。そのおかげで、人形の私は、涙が出てしまった。
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