第16話 初めての友人
■その16 初めての友人■
エヴァの容体は、鳥の鳴き声が聞こえる早朝には安定した。
弱弱しく開いた緑の瞳に、自分の顔が映った瞬間、シオンは繋いでいた手に思わず力を込め、覆い被さるようにその頭を抱きしめた。
朝食は口にできなかったものの、昼食は軽くスープを飲んで、さらにシオンを安心させた。
「アデイール、ありがとう」
昼食後、暖かな布で体を拭いてくれているアデイールに、エヴァは心を込めてお礼をした。
「さすがに、これはシオンにさせれないわ」
アデイールは背中を拭きながら、毒に侵され、一時は命の危険にさらされた体が、一晩でさらに細くなったと思った。
「違う。
あ、違わないが・・・昨日、身を清めてくれた時、早く戻れといってくれただろう?
正直、嫌われたかと思ってショックだったけれど、私の為に言ってくれたと分かったから。
・・・私の身を案じてくれて、ありがとう」
「貴女って、本当に素直なのね。
言ったでしょう、友達だって」
心なし、アデイールの声色がワントーン上がって聞こえた。
「それにしても、味気のない服ばかりね」
新しい服に袖を通させながら、アデイールは呆れたように言う。
「定期的に、村までは出てきているのでしょう?
日用品と一緒に、一枚ぐらい華やかな服も買いなさいよ」
体が終わると、アデイールはベッドの縁に腰を掛け、波打つ緑の髪にブラシをかけ始めた。
「華やかなものは苦手だ。
森でも浮いてしまうしな」
優しい手つきが気持ちよく、エヴァは軽く瞳を閉じて機嫌よく答えた。
「まぁ・・・浮くわね」
「私はあまり物に執着はないそうだ。
以前、イネスに言われた」
似た者同士なのね。
アデイールはその言葉を呑み込んだ。
「その割には、シオンにはべったりね」
その代わり、ちょっと意地悪な言葉が出た。
「べったり・・・なのか?
今まで、イネス以外私に触れる人間は居なかったから。
でも、これも『べったり』ではないのか?」
不意に振り向かれ、大きな緑の猫目がアデイールを見つめた。
「これは、友達の距離よ。
貴女とシオンの距離は、特別な距離ね」
そんなヱヴァが可愛く見えて、アデイールは素直にほほ笑んだ。
「特別な距離・・・」
「そうだわ、数日後の収穫祭にいらっしゃいよ」
アデイールはエヴァの髪を整え終えると、手にしていたブラシをエヴァの手に握らせ、背中を向けた。
「はい、交代。
身を清めることが出来ないから、髪ぐらいは綺麗にしたいの」
高く結っていた髪を解くと、サラサラと音を立てて、細い背中に金の髪が流れ落ちた。
エヴァはそれを眩しそうに見ながら、小さく、素直に返事をして、金の髪にブラシをかけ始めた。
「ドレスではなくても、街娘のように花やリボンで華やかに装って、シオンと踊ってごらんなさいよ」
「踊る?」
「そうよ。
毎年、街の中央広場で老若男女、皆で音楽に合わせて踊るのよ。
花が雨のようにばら撒かれ、噴水からはワインが噴き出し、食べ物のお店もたくさん並ぶの」
「シオンも、踊るのか?」
「シオンやギャビンが踊りの輪に入ったら、女性たちが奪い合い始めるわ。
ギャビンはレベックを弾きながら歌って、シオンは私やお兄様の警護ね。
昨日も言ったでしょう?
狼藉者も来るって。
今年は、リュヤーがいるから、シオンはエヴァとお踊ればいいのよ。
・・・なんて、無理よね」
楽しそうに話していたが、とても残念そうに結んだ。
「収穫祭があることは、イネスから聞いて知っている。
けれど、そこまで華やかだとは聞いていなかった。
収穫祭の日は、この森から出ることを禁じられているから」
思っていたより、エヴァの手つきは優しかった。
「その日、イネスは貴女と一緒にこの森にいるの?」
「いや、イネスは収穫祭に行く。
珍しい物が出るから、それを見繕いに行く」
「あの格好で?
すごく目立つわ」
「人間という木に紛れると言っていた。
私もよくわからない」
「貴女だけお留守番なんて、ずるいんじゃない?」
「私がもう少し年を重ねたら、連れて行ってくれると言っていた。
私はまだ見習いだから、勉強しないといけないことが沢山ある。
それらを習得したら、街に自由に出ていいと言われている」
魔女には魔女の生活と考えがある。
自分たち人間にとっては考えも及ばない掟もあるのだろうと思いつつも、アデイールは同じ年ごろの娘たちがしている娯楽を、エヴァにも経験させたいと思った。
それは、昨日イネスから聞いた『魔女』の話のせいだと、自分でも分かっていた。
「エヴァは、村や街の人々を恨んでいる?」
「イネスから、話を聞いた?」
金の髪を十分にブラッシングして、元のように結い上げようと、エヴァはベットの上で膝と立ててアデイールの頭部を見下ろした。
「この国の姫として、国の事は、特にあの村や街の事は知っているつもりだったのだけれど・・・上辺だけだったみたい」
「話を聞いた時、私は今よりももっと幼く、イネスの話の半分も理解できていなかったと思う。
だから、なんて酷い。
としか思えなかったのだけれど、イネスに連れられ村に行くようになると、奇異の目で見らこそすれど、ひどい仕打ちはされなかった。
それは、イネスが時間をかけて、村人と築いた関係だと最近分かった」
「シオンのお父様以外にも、姿を見せていたのね。
でも、報告がなかったのは・・・」
「イネスが使う店は限られているうえに、口が堅い」
金の髪は小さな手からサラサラと逃げてしまい、エヴァは上手くまとめるのに悪戦苦闘していた。
「私が一人で村に行くようになったのもここ最近だし、時間も朝靄か夜霧に紛れてだ。
ただ、シオンの邸へは、定期的に薬を届ける約束になっているらしい」
「薬・・・どんな物なのかしら?
シオンのお父様が、研究でもしているのかしら?」
「さぁ?内容までは、教えてもらっていない」
「そう。
・・・イネスの話、最近はどう思っているの?
やっぱり『酷い』?」
「もちろん、酷いとも思う。
けれど、そうしなければ生きていけない時もあるんだ。
とも思うようになった。
なにより、私はこうして生きている」
「生きて行けない時・・・か。
あの村が黒死病で壊滅して、隣街にも被害が出て、何とか終息した後ね、まず、食べ物を作る畑を耕したわ。
けれど、耕す人手が足りなかったの。
収穫が少なければ、飢饉に繋がる。
飢饉はさらに人々の命を奪っていく。
だから、シオンのお父様が行っている隣国との貿易は命綱だったの。
麦よりも時間がかからずに食べ物が手に入るしね。
貿易で食糧問題が落ち着けば、一人が耕す畑の広さが今までより広がったり、商店などの供給する者たちも少なくなったから、結果、個人個人の収入が増えて病が流行る前より豊かになった者もいるのよ。
でも、イネスの話を聞いた後だと・・・いつも人間がやっていた『間引き』を、病がやったんじゃないかしら?
自然の中で生きるには、あまりにも増えすぎた人間を淘汰するために。
人間は間引く性別や年齢を選ぶけれど、病はそんなことはしないから、むしろ、病の方が公平だわね」
国の民の為に、病の予防法と療法を模索し、村を整備し・・・正しい行いだと今も思っている。
しかし、忘れた頃に猛威を振るう流行病が間違っているかと聞かれたら、アデイールは答えられなくなった。
「考えなければいいんじゃないか?」
ドアを開けてから、ノックをし忘れたことに気が付いたリュヤーは、小さくドアの内側を三回ノックして、持ってきたスープのお椀と果物ののった籠を、部屋の中央にある小さなテーブルに置いた。
「考えないで、どうするの?
あんな話を聞いてしまったら、今までと同じ考えはできないわ」
「心で感じればいいんだよ。
病が好きか嫌いか。
病に苦しむ人々を助けたいかどうか。
大切な人を失いたくないなら、どうするべきか。
・・・オレはバカだから、頭で考えるのは苦手だから、いつも心で感じたままに動いていたよ」
リュヤーの提案は、とてもシンプルなものだった。
「それに、今グダグダ考えたからって、過去が変わるわけでもないだろう?
それか、考えが纏まるまで、今やっていることはストップ?」
リュヤーはイスを引き出し、足を投げ出し行儀悪く座ると、小さな赤黒い葡萄を籠から房ごと取り出し、開けた大きな口の上に垂らすと、豪快に食べ始めた。
「止まることは、出来ないわね」
「なら、今やっていることの結果が出てから、また考えればいいじゃないか?
単純が一番だよ」
「単純が、一番・・・そうね」
病み上がりな上に、髪の結い上げなんてやった事がないエヴァの作品は、見るに堪えないものだった。
それを指先の感触で想像して、アデイールはほほ笑んだ。
「エヴァ、貴女も髪を伸ばしたらどうかしら?
簡単な編み込みから教えてあげるわ」
アデイールはエヴァを振り返り、優しく話しながらその作品を手早くほぐし、慣れた手つきであっという間にサラサラの髪を一本に結い上げた。
「思いもしなかった」
キョトンとしているエヴァの髪を手ですきながら、アデイールは続けた。
「この長さだと、花冠を乗せるだけだわ。
こんな綺麗な色をしているんだもの、どんな花を編み込んでも綺麗よ」
「アデイール、あんまりベタベタすると・・・」
微かに殺気を帯びた気配に、リュヤーは二人の方を向いたまま、後ろのドアを指さした。
「エヴァ、これを」
木のコップを持って来たシオンは、リュヤーとアデイールは意に介せず、ベッドの脇に膝まついて同じ視線の高さで、エヴァの瞳を見つめた。
表情には出していなかったが、イライラした雰囲気を出しているシオンが初めてで、戸惑ったエヴァは青い瞳から目そそらし、アデイールの肩口に顔を埋めた。
「シオン、やきもちを焼くのは勝手ですけどね、エヴァは貴方のその雰囲気、怖がっているから」
大きくため息をつくと、アデイールはそっとエヴァに耳打ちをした。
そして、ベッドから出ると、モリモリと果物を食べているリュヤーを連れ立って、部屋を出ていった。
「エヴァ、これを飲むようにと、イネスが。
水晶とトルマリン、麦飯(ばくはん)石(せき)で浄化した水だそうだ。
エヴァ?」
アデイールが行ってしまい、どうしていいのか分からないエヴァは、俯きギュッとシーツを掴み、その手元を見ていた。
「今まで、イネスと二人だった。
体を拭いてくれたり、髪を梳かし合ったり、薬や魔術以外の話が出来る・・・友達は、初めてなんだ。
でも、シオンは特別なんだと、アデイールが・・・」
不意に、シオンの雰囲気が柔らかくなったのに気が付いた。
「顔を上げて、エヴァ。
その猫のように大きく、グリーンガーネットのように輝く美しい瞳を見せて」
シオンは優しく囁きながら手にしていた木のコップを床に置き、大きな両手で肉付きの悪い褐色の頬を包み込んだ。
「すまない、やきもちを焼いた。
君があんまりにもアデイールと仲良くしているから」
小さな手がシオンの手に重なり、ゆっくりと顔が上がった。
「魔女は、怖くはないのか?」
「愛らしく愛しい私の魔女見習い。
その髪に飾る花冠は、私の手作りでも構わないだろうか?
いつもの泉で、二人で踊ってはくれないか?」
シオンは囁きながらそっと若葉色の髪に唇を寄せ、小さく細い体を抱きしめた。
「森の娘を誘惑するなと、言っただろう。
エヴァ、その水を飲んだら、体を慣らしがてら三人を森の入り口まで連れてお行き。
外の者が長く居ると、森が騒ぎ出す」
いつの間に入ってきたのか、イネスは不機嫌な声でシオンを叱ると、大小さまざまの宝石が埋め込まれている杖で、シオンの頭を殴った。
「ああ、それと太陽の子よ。
収穫祭の日、ワタシは多忙だから、エヴァにいつもの薬を持たせるよ。
ワタシは夜まで戻れないからね。
これでも忙しいんだ」
水はお飲みよ。
優しく言い残して、イネスは杖を付きながら部屋から出て行った。
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