第10話 森の管理者
■その10 森の管理者■
その瞳は、目がさめるような緑の瞳だった。
小麦色の豊かな睫毛に縁取られた大きな猫目、小さな唇はバラの花弁のように艷やかでぽってりと肉厚で、頬にかかる髪は波うつ若葉色。
質素な服からすんなりと伸びる褐色の手足は色艶よく、素足は大地を確りと踏みしめ、小さな手は器用に草花の手入れに精を出していた。
「シオンのバラは、花びらの艶も香りもいい。
イネスもとても気に入っている」
「人と接するより、植物の世話をしている方が性に合っている。
ここの植物も、良く手入れがされている。
名が分からないものが多いいが、邸で育てているものも数点あるな」
袖をまくり、肩を並べて真似ながら土をいじる。
そんな二人の周りには、森の小動物や小鳥がのんびりと羽を休めていた。
「ここら辺にあるものは、東の国では『生薬』と呼ばれていて、煎じると薬になる。
いつも、シオンの家に届けている薬の原材料だ。
私はまだ未熟だから、イネスの手伝いしか出来ないけどな」
分からない者にとっては、それは全て雑草だろう。
しかし、二人は葉や茎の大きさや色、形状や細かな棘といった其々の特徴を観察していた。
「イネス?
母か?」
「育ての親で、師だ」
「植物について、教わっているのか?」
シオンの問いかけに、小さな手がピタリと止まり、その大きな緑の瞳に穏やかな表情の男を映した。
「シオンは、なぜ私を構う?
シオンの周りには、いつも人が居るだろう?
それこそ、女はシオンの姿を見ると絡みついて行くのに、いつも構ってはいない。
なのに、なぜ私を構う?
人と違う容姿が珍しいか?」
「よく、私のことを見ているのだな」
「シオンともう一人、いつも一緒に居る長髪の男。
二人でいれば嫌でも目立つ」
「そうか。
・・・触れても?」
頷いたのを見て、シオンは服の裾で手を拭い、肉付きの薄い頬をそっと両手で包むと、緑の瞳に近づき覗き込んだ。
「昔、死んだ街で、緑の瞳と髪をした老人に出会った。
その老人のおかげで、私の母は一命を取り留め、父はそれまでの地位と命を助けられた。
記憶は年々色あせて、今ではモノクロだ。
けれど、その緑の瞳と髪だけは色あせない」
「私と、同じ色か?」
「いいや。
こんなに美しい色ではなかった。
この瞳も髪も、生命力溢れる若葉のように力強く、磨かれた宝石のように美しい」
シオンは柔らかく囁き、右手で若葉色の髪をかき揚げ、そのまま小さな頭を抱え込み、現れた狭い額に軽く口付けをした。
「・・・あ・・・」
初めての事に、それまで力強く輝いていた緑の瞳は驚きと戸惑いに溢れ、気恥ずかしさも手伝い、シオンから視線を反らした。
「人と違う容姿だからではなく、君だから」
シオンは小さな手を取ると、逸らされた瞳を覗き込んだ。
「では、逆に聞こう。
なぜ、私の相手をしてくれる?」
「シオンが世話をする花々がとても良くて・・・」
泉よりも深い青に溺れそうな感覚を覚えて、緑の瞳はまた視線を反らした。
「私を見て。
・・・あとは?」
視線を反らされても優しくたしなめ、小さな顎を手に取り自分の方へと向け、優しく囁きかけた。
「その・・・
その瞳が・・・」
「そこまでだよ。
森の娘を誘惑しないでおくれ。
森がやきもちを焼く」
不意に、周囲の空気が変わった。
割れたグラスのように空気がピンと張り詰め、二人の周りにいた小動物や小鳥たちは一目散に姿を隠した。
二人は勢いよく立ち上がり声の主に体を向けた。
少し高いしわがれた声。
灰色のローブで頭から爪先まで覆われた躰は、腰のところでくの字に折れ曲がっていた。
その背格好には大きすぎる木の杖は、色とりどりの大小様々な宝石があちらこちらに埋め込まれ、それを持つ手は寒さが厳しい時季の枯れ木のようだった。
「エヴァ、外の者を連れてくるのは許していないはずだよ?」
そして、フードから溢れる癖の強い色あせた緑の髪と、垂れ下がった瞼に半分埋まった濁った緑の瞳。
「イネス、これは・・・」
「申し訳ない」
シオンが一歩前に歩み出て、小さな体を隠した。
そして、頭を下げたまま、続けた。
「見たこともない美しい小鳥を追いかけ、いつの間にか森に入って迷ってしまった。
そこを、助けてもらった」
「そんな、何日も前のことを。
ワタシを見くびるんじゃぁないよ」
スっと頭を上げると、ニヤリと歪んだ口元に、キラキラと輝く宝石の歯が見えた。
「エルマンの息子よ、ずいぶんと大きくなったもんだね。
あの頃の父親とそっくりだよ」
「貴女があの日の・・・あの時は有難うございました。
貴女がくれた薬で母は一命を取り留め、父は何も失わなかった。
失わないどころか、我が国に・・・
いや、確立すれば人類にとって・・・」
「ああ、そんなつまらない話はいいんだよ。
ワタシは宝石が好きでね。
あんたの父親は、ワタシの欲望に答えてくれたから、薬と『知識』をやったのさ。
そして、それは今でも続いている。
ただ、それだけだよ」
「貴女は、何者だ?」
「この森の管理者さ。
エヴァ、もたもたしていると、日が暮れる。
早く行っといで」
シオンの後ろで小さな返事が聞こえた瞬間、赤く小さな嘴を持つ若葉色の小鳥が飛び立った。
「あれを追いかけていけば、帰れるだろう。
この森は魔女の森だよ。
何が起きても、誰も助けちゃぁくれないし、責任もとっちゃぁくれない。
遊びで入る場所じゃぁないよ。
それとも・・・」
「私はここで、望むものを見つけた」
力強く言い切り、シオンは小鳥を追いかけて行った。
その後ろ姿を、イネスは鼻で笑った。
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