第6話 街が村になった理由
■その6 街が村になった理由■
「この村は、十三年前は小さな街だったのよ。
背中に険しい山、前は大きな海。
これと言った特産はなかったし、潮の流れのせいか、魚も捕れない。
川より高台になるから、先日のような大量の長雨は地盤に気をつければ水害はほぼないのだけれどね。
麦畑も、無事だったでしょ?
国の外れで、国民には忘れられるぐらい小さかったこの街は、それでも国にとっては重要な街だったんだよ。
なぜかって?
この村は、隣国との貿易窓口だったから。
隣国との境には山と大きな森があって、どのくらい大きくどんな動植物が有るのか未確認だから、危険性がハッキリしなかったし、調査するにもそこまで人員がなかったんだよ。
だから、まだ安全策を講じられた、数キロ離れた海を通していたわけ。
その頃のうちの国は今よりももっと貧しくて、主食の小麦やライ麦を生産するのがやっとの状況。
それだけ食べていても腹は膨れるが、栄養バランスが悪いだろう?
ビタミン欠乏症や脂質不足が問題になってくる。
だから、隣国から主にチーズや野菜、蜂蜜、ワインといったものを輸入して、しのいでいたわけさ。
小さいくせに、国の大切な街だったのだけれど、十三年前に黒死病という病で壊滅。
感染経路はまだ分からずじまい。
けれど、黒死病再発を含む他の感染病『予防』を、ある人から学習することが出来たわけ」
隣の部屋の床に、雑巾のように転がされていたのは、5日前だった。
目が覚めると、今日までしっかりと腹は満たされ、温かなベッドに清潔な服を与えられた。ギャビンとシオンと共に、馬や徒歩で村やその周辺を見て回るのは日課になり、顔見知りも出来た。
研究棟内も視て、説明を受けた。
正面の大きい入り口は感染者が優先的に使い、それ以外の者は裏口から出入りすること。
病室に入る前には、防護服と呼ばれる全身を覆う厚手のガウンを着こみ、大量の香辛料を詰めた『くちばし状』のマスクを装着すること。
地下には各伝染病の研究資料と、ホルマリン漬けにされた献体が並べられていること。
流石に、ホルマリン漬けは、まだ見る勇気がなかったので辞退した。
そして、今日はこうして執務室の机に向かい話を聞いている。
あの時、意を決して海に身を投げたのは正解だったと、青年は自分の幸運を実感していた。
「予防を確かなものとする為に、国の仕事として『公衆衛生』の機関が作られて、俺やシオンはその国の仕事をしているわけ。
三年前からだけどね。
十三年前、この任に最初に着いた人たちは汚染された街を焼き払い、一から村を作り始めたのさ。
ここの村人は隣の街からの希望者で、皆に清潔を保つように指導している。
具体的には、排泄物は処理場に集めること、マメな入浴、洋服の洗濯に干す時は天日干し、日光によく当たること、適度な休養、猫を殺さないこと」
ギャビンの説明を聞きながら、青年は隣に座っているシオンを盗み見た。
ペンを手にしてはいるが、ぼうっと洋紙にペンのシミを広げている。
初めこそ普通に会話をしていたが、初めての昼食を取ろうと店に入り、話し中に急に飛び出していったあの時から、時間を追うごとに、心ここにあらずといった様子が進んでいた。
彼が自分に対してどんな感情を持っているのか、計りきれていない。
その代わり、ギャビンは良く分かった。
初対面でこそ足蹴にされたが、今では敵意の欠片も感じない。
「・・・とまぁ、こんな感じかな。
質問は?」
「オレが助けられたのは、国境の川だと聞いた。
橋を架ければ、危険を冒さずに交流が出来るんじゃないのか?」
「まず、その川の開けた土地は、黒死病が収まった後に森を開拓して出来た場所で、隣国でも一番森が浅い場所らしいよ」
ギャビンは何かの報告書を手繰り寄せると、その裏に簡単だが地形を書きながら説明をした。
「で、開けた土地の両脇は森。
川を挟んでこちら側の土地は、崖の壁。
崖って言っても二メートルぐらい上になるだけ。
だから、今回の大雨も、こちら側は大した被害がなかった。
一応、避難が必要かどうか、観察して報告書は書かなきゃならないから、馬を出して現場に行ったわけ。
行ったはいいけれど・・・」
「オレを拾った」
「結果的にね。
海に身を投げたはずの君を、川の中流で。
海から上がったの、どの辺りかわか・・・らないよな~。
ま、報告書には適当に書いておくさ」
ギャビンは気楽に言うと、地形やコメントを書き込んだ紙を表に戻し、何やら書き込み始めた。
「今更なんだけど、今までの話は、オレが知っていいことなのか?」
「アデイールも言っていただろう。
『この村を偵察されて困ることが?』
無いんだよね、困ることなんて。
むしろ、この村のシステムが上手くいったら、世界に広めたいそうだ。
だから、お前がどっかの国の偵察でも、痛くも痒くもないということだよ」
そういうことか。
と納得して、青年は首元まできっちりしまっていたボタンを全部開け、リンネルのシャツを見せた。
「オレはリュヤー。
国の内戦に巻き込まれて奴隷商人に捕まった。
親兄弟友人、皆の生死は分からない。
一か八か、船から飛び降りて陸に上がったが、あの雨で増水した川に飲み込まれたらしい。
お前たちに拾われた。
帰るところは無いから安心してくれよ」
奥二重の瞳を細め、大きな口を緩めて、軽く両腕を広げた。
「これで、『君』じゃなくなるな」
ギャビンは何処か嬉しそうに、リュヤーの胸に拳を軽く当てた。
「それで、質問があるんだ。
清潔を保つ理由がわからない。
猫も」
リラックスしたのか完全に気を許したのか、リユヤーは机に斜めに座り直して頰杖をつき、足を組んで上目遣いでギャビンを見た。
「病は不衛生を好む。
リュヤーの国はどうだか知らないが、ここら辺の国は街の大きさに関係なく排泄物は道にばら撒かれる。
排泄物でいっぱいになった瓶の中身を、二階の窓から捨てるのも普通。
だから皆、底の高い靴を履いて、女性は晴れの日でも傘をさすのさ。
もちろん、建物の側は歩かないよ。
いつ上から汚物が降ってくるか分からないからね。
そんな街中だから、匂いが凄い。
大雨でも降れば流されていくけど、中途半端な雨だと、振らないほうがマシだね。
ただ、先日のような大雨で川が氾濫すると病気が蔓延しやすくなる。
そこら中の汚物が川に流れ込んでくるからね。
いたる所で虫や鼠が湧く。
鼠は虫と一緒に色々な病原体を運ぶ。
知っているかい?
鼠に付いているノミ、あれが黒死病の原因って言われているんだよ。
だから、その鼠を退治してくれる猫は貴重なわけ。
ま、そうはいっても猫にだって蚤はつく。
それもあって、マメな入浴、洋服の洗濯に、干す時は天日干し。
服も人間も日光によく当たることは、日光で消毒されて皮膚病なんかの予防にもつながるし、ノミの駆除にもなるのさ。
適度な休養は、躰の中にある病気と戦う力をキープするため。
疲れている時程、熱病なんかになりやすいだろう?」
「だからこの村は、洗濯物がよく干されていたり、猫がたくさんいるのか」
そんな態度に怒るでもなく、ギャビンも制服の上着を脱いでリラックスしはじめた。
「そうそう。
『仕事』もさ、他の村や町と違って、畑仕事やそれに付随する物ばかりじゃないんだよ。
この研究棟で働いている者も少なくないしね。
この村のシステムが上手く行けば、国中で実行するつもりらしい。
で、十三年たった今現在、この村で生まれた子どももいい人数になって、そこそこ人口も増えてきた。
季節的にこれから日光の照射時間が少なくなっていくから、排泄物の処理方法を考え直すタイミングかなって・・・
シオン、お~い、シオン」
相変わらずのシオンの目の前で、ギャビンは激しく手を振った。
「・・・ん?
ああ、すまない」
シオンはアンバーの瞳をボンヤリと見つめ、
違うな・・・
と、呟いて目を瞑った。
褐色の肌と若草色の髪は、まるで大地になびく草原のようだった。
自分を映した瞳は大きく目が覚める若々しい緑で、古い記憶にあるあの緑とは比べ物にならなかった。
小さな鼻に、ピンク色のぽってりとした唇、肉付きの悪いそれでも柔らかく小さな体を思わず抱きしめてしまった。
自分の胸元にすっぽりと収まり・・・
森の香りがして、自分の名前を告げる声は見かけよりも大人びた声だった。
シオンは、そんなことを思い出していた。
「シオ~ン、いい子でも見つけたのかい?」
めったに見ない幼馴染のそんな状態に、ギャビンはニヤニヤと笑って声をかけた。
「ダメだ、完全にイッてる」
面白がるギャビンの声も聞こえないのか、シオンは目を瞑ったままだった。
「いつも、こんな感じなのか?
昨日はもっと・・・これよりはマシだったと思うのだけど」
「基本、やる気は無いね。
面倒くさい事や、人との関わりをあまり持ちたがらないよ。
ま、俺が遊びに誘うと、何も言わずにくっついて来るけどね。
仕事も、俺なんかより出来る奴だけれど、今日のこの状態は・・・」
シオンの前には分厚く綴られた紙の束が数冊と、綴られていない紙が幾枚も机の上を覆っていた。
「シオンちゃん、これ今日までに提出のやつじゃん。
リアム、まだ到着してないみたいだけれど、マズイんじゃない?
二日後には・・・」
机に溜まった書類を見て、ギャビンはため息をついてシオンの首根っこを鷲掴みにした。
「お前だけ怒られるならいいが、俺にも飛び火する」
呆れたように言うと、ギャビンはバスルームまでシオンを引きずっていき、服のまま大きな体を、湯がタップリ入ったバスタブに投げ入れた。
追いかけてきたリュヤーの鼻を、甘いバラの香りが襲った。
昨日、自分が入った時とは随分違う香りに戸惑った。
「この匂いじゃぁ、余計に夢心地か?」
ギャビンは水中から顔を出したシオンの頭を鷲掴みにし、幾度となく水中へと沈めた。
その口調と手つきは激高しているわけでもなく、至って普通だった。
抵抗することもなく、シオンの体内に薔薇の香りが温かなお湯とともに入り込む。
鼻や口、耳からも入り込み、上も下も分からなくなった。
視界は真っ赤なバラの花弁で覆われ、燃え盛る炎を思わせた。
「おい、そんなにしなくても・・・」
慌ててその手を止めながら、やっぱりギャビンのスイッチもまだ掴みきれないと、リュヤーは思った。
「シオン、目、覚めたか?」
「・・・ああ、お陰様で。
目は覚めた」
薔薇の炎から強引に出され、アンバーの瞳が視界に飛び込んできた。
その見慣れた色が今はとても忌々しく思えた。
今、シオンが求めているものはアンバーの瞳ではなく、目の覚める緑の瞳だった。
「晩餐までには戻る」
頭を鷲掴みにしている手を払い除け、バスタブから静かに出ると、濡れた服を脱ぐでもなく、そのままバスルームから出ていった。
「書類、どうすんだ?」
「・・・リュヤー、やってみる?」
二人は、そんなシオンから目が離せないでいた。
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