断章 最後の魔女

第76話【前編】……もう、魔女も魔法の時代も終わりですね。


 我ジャンヌ・ダルクが昔話をしよう――

 否……、夢間に出てきた異世界の物語だったのかもしれない。


 われが、本物の魔女に出逢った話だ。


 我は異端審問で魔女にされ、火刑に処されて、命尽きたのだけけれど、は本物の魔女だったのだ。

 本当に驚いた。魔女が本当に実在していたことをだ。


 魔女というと、深い森の中に住む住人というイメージが我にはあった。

 しかし、彼女は我が思っていた魔女のイメージとは似ても似つかなかった。


 とても綺麗だった。とても印象的だった――




       *




 そこは、自然豊かなルーアシュタイン公国。

 辺りは小高い丘が所々に見えている。ゆるやかなその丘の斜面に草原がある。

 見渡せば、草原、草原、どこまでも草原である。

 ……名前は分からないけれど、いろんな色の花が咲いている。その花に鳥が、もちろん異世界の鳥が飛んできて、花の蜜を吸っている。

 もっと近くで見つめてみれば、これも異世界の昆虫が同じく花の蜜を集めていた。


 遠くを見てみると、かなり険しい山々が見える。

 その山々の上の方には、万年雪だと思うのだけれど雪が積もっている。

 草原のこの丘は春の装いだけれど、遠くの山々は冬か? そういう風景が広がっているのだ。

 彼女に聞くと、ルーアシュタイン公国の城周辺では、ごくありふれた風景なのだという。



 ――我は、彼女から聞かされた。

 こんなに自然美しいルーアシュタイン公国が、今まさに滅びの最中さなかにあることを……である。


 ルーアシュタイン公国の民衆は、長年魔女を崇拝してきた。

 その支配者、つまり公女は魔女から選ばれた。


 ある時、この地に魔女一族が降り立った。

 もともと、この場所には民衆――原住民が暮らしていた。

 民衆の生活は、魔女一族の登場によって一変してしまった。

 魔女一族は魔女の力、つまり魔法を発動する能力を持っていた。

 民衆にその魔法をこれでもかと威圧的に見せつけて、攻撃し、弾圧して、支配した。


 民衆は最初、魔女一族が何者なのか、よく分からなかった。

 見た目は自分達とほとんど同じ。体格もほぼ同じ。

 髪の毛の色のバリエーションも、黒から茶色、金色まである。


 でも、服装は違った。

 魔女一族のそれは、いわゆる異国の装いだった。

 あと、瞳の色が違った。瞳は青紫色だ。いわゆるブルーアイである。

 一方の民衆の瞳はというと、黒から茶色の間のバリエーションである。


 彼女の瞳の色も魔女なのだから、もちろん青紫色だ――



 魔女一族はこのルーアシュタイン公国の覇者を宣言。

 圧倒的な力の差だったために、民衆は魔女一族の言うがままに従うことしかできなかった。

 民衆は誰もが魔女を恐れた。恐れたから魔女に迎合した。


 魔女の支配は長年にわたって続いた……


 支配された結果、民衆は魔女を崇拝するようになってくる。

 崇拝は、より魔女の力にすがろうとする人々によって、競争へと変化していった。

 悠久の魔女の王国。魔女の支配の時間が流れていく――



 魔女一族がルーアシュタイン公国に居座った理由は――“マナ”だった。


 そして、マナを献上すれば裕福な生活をおくられるのだと、民衆は考え始めた……。

 更なる魔女の恩恵を受けたいと願った民衆は、崇拝と欲望を融合して暴走していった。

 自分たちの思想が一致する者同士でグループを作り、そのグループとグループが競い合った。


 魔女のエネルギーの源泉である“レイライン”から生まれる“マナ”という宝石――ダイヤモンドのような綺麗なその石の塊を、それらグループは、ルーアシュタイン中の土地を巡って、競って、探し求めた。

 地面や斜面を掘ったり、未開拓の山岳地帯の場所へと行ったりして、マナを探し求めていった。

 遥か遠い所には、大森林が一面を覆っている。山岳地帯の山々は標高が雲の上を越える。山頂部には最初に話したとおり、万年雪が積もっている。

 山々の間には切り立った断崖の間を、うように深い河が流れている。


 生きて帰ってきた者は少なかったという……。


 それでも命懸けでマナを探し集めて、魔女へ献上するグループもいた。

 魔女はその行為に深く感謝した――



 彼女は自分のことを『最後の魔女』だと言った――



 最後……そう、何事も永遠に続くはずがない。

 丘の草原から、見上げれば丘の上に建物が見える。

 ルーアシュタイン公国の城、魔女の城である。

 丘の下を見れば綺麗で緩やかな流れの河が流れている。その岸の両側には家々がいくつも見える。

 家だけではなく、大きめの宮殿のような建物も、至る所に点在して建っている。


 丘の草原に、一人の女性が立っている。

 髪は金色でストレートのロングヘア―。

 彼女の名前は、『アイカラット』だ。ルーアシュタイン公国の公女であり、民衆が恐れる魔女である。


 アイカラットの瞳は綺麗で、宝石のような上品な青紫色の目、魔女の瞳の色。ブルーアイである。

 けれど彼女の瞳は、その上品さとは相容れずに、生気が抜けた瞳をしている。

 その生気が抜けた瞳で、この丘から見える城下の街の風景を見つめていた。


 無言で見つめていた……。




       *




「……?」

 アイカラットは、我の視線に気がついた。

「………」

 我は無言でアイカラットの瞳を見つめた。今の我には、それしかできなかったのだ。

「……!」

 アイカラットが我の視線に反応して、少し微笑みを見せてくれる。

 我への彼女の微笑んだ表情と、生気の無い瞳の全体を見て……やはり物憂げだと気になる。

「……」

 我はアイカラットのその微笑みに、我も笑みで応えた。 

『最後の魔女』と名乗ったアイカラット、最後という重荷を背負っている。

 とても辛くて非情なその内容を……、我に教えてくれたのだ――




       *




「……あの、ジャンヌ・ダルクさん。もっと、あなたの祖国フランスの話を聞かせてもらえませんか?」

 アイカラットは、我に話しかけてきた。

 我は、なんとか彼女に、素直に笑みを浮かべてほしいと思っていた。

 だけど、我は本当はアイカラットの寂しく見える表情の意味が、彼女が教えてくれた話から想像できたのだ。

 それは、


「ジャンヌ・ダルクさん。……もう、この国に魔女はいりません。必要ありません。だから、私は消えなければならないのです」


 我はアイカラットのその言葉に、何も言い返せなかった。言い返すことなんてできなかった。

 我は英仏100年戦争の末に待っていた自身の末路――魔女の烙印と火刑、焼かれてから骨を残すことも許されず、執行官達に粉々に砕かれた命の結末を、霊体となり、俯瞰して見つめていたあの時の気持ちを思い出したのだ。


 アイカラットは自分の運命を覚悟していた。

 彼女の寂しい瞳を見れば、それがわかった。

 微笑みと瞳の奥に隠れている物憂げな気持ち……。

 彼女の『もう、この国に魔女はいりません』という言葉の意味が、感覚的に我に伝わってくるのだ。


 我ジャンヌの最後と同じだと思ったのだ――


 権力の傲慢さ、民衆の不満の捌け口を、我はそれを背負い死ぬしか道は残されていなかった。だから、彼女の立場と境遇が心に痛いほどに、我は感じてしまう。


 アイカラットは教えてくれた。

 魔女のエネルギーの源泉であるレイラインから生まれるマナという宝石。その宝石がこのルーアシュタイン公国の大地に無限にあるはずはないと……。

 まきが無くなってしまえば古代ローマの文明が消えていったように、化石燃料が無くなれば必然的に戦争が勃発するように――


 マナがなくなれば、やがて魔女のエネルギーの源泉の魔力は弱くなってしまう。

 するとどうなるのかと言えば、魔女は魔法を使えなくなってしまうのだ。


「魔法が使えない魔女を、もはや恐れる民衆なんて誰もいないんですよね」

 アイカラットは口を小さく開けると、寂しく吐露した。

 ルーアシュタイン公国を長年治めてきた、というよりも支配してきた魔女一族のエネルギーの源泉であるマナ。

 アイカラットが公女に即位したこの時代には、マナはほとんど残っていなかった。

 歴代の魔女一族が強欲さに溺れた末、マナを使い果たしてしまったのだという。


 ――そして、

 ルーアシュタイン公国の難題は、ここから始まった。


 公国だけの話で終わるのであれば、この国はそれなりに事態を収拾できて、例えば新しい政治体制をつくったり、魔女が退位して民主国家に変わったりして、治安を抑えられることができるのかもしれない。

 問題とは、国という存在は隣に国があるからこそ存在していることだ。


 ルーアシュタイン公国の隣国には、イーストエング帝国がある。


 イーストエング帝国は公国よりも大きな帝国だ。強大な軍事力も保持しているという。

 アイカラットから聞いたところ、かなり好戦的な国家だという。昔から度々宣戦を布告しては攻めてきたという。


 その理由、

 イーストエング帝国は国土はとても広いのだけれど、そのほとんどは砂漠だからだ。

 人が住めない砂漠、その砂漠の国土を抱えているイーストエング帝国から見れば、ルーアシュタイン公国の豊かな自然環境は、とても羨ましかった。

 イーストエング帝国から見れば、誰もが羨望する土地だからだ。


 両国の戦争は長年続いて、けれどルーアシュタイン公国に魔女一族が現れて、治めるようになってからその情勢は一変した。

 魔女一族は魔法を使って、何度も何度もイーストエング帝国からの攻撃を防いでくれたからだ。

 何度も何度も、それでもイーストエング帝国に宣戦布告されたというが、魔女の魔法が抑止力となってくれて、大戦に発展することはなかった。

 つまり、魔女のおかげでルーアシュタイン公国の平和は保たれたのだ。




       *




「よかった! 私の召喚魔法って、まだきていたんだ!!」

「召喚……。つまり、我は召喚された……のか?」

 最初の出逢い。我は気がつくと、この丘の草原に立っていた。

「ふふっ 面白い人」

 自分の手の平を叩いて吹いている女性、我の目の前に立っていた。

「お、面白い? 我のことがか?」

 なんだか愛想がよい気さくな――女だと第一印象だ。

「ええ、そうよ! だって、この丘には、私とあなたしかいませんもの」

「……あの聞くが、我の何が面白いのだ?」

 というと、彼女は口を半開きにしてなにやらニヤついた。

「さ~て、なんでしょうね……」

「……?」

 両目をシタリと細めて我を見下げて、我をはぐらかしてくる。

 からかっているのか……?

 いや、からかっているにしては悪意は感じない。

「ははっ」

 そしてすぐに、半開きな口を今度は大きく開けて笑った。

「異世界の人って私達と何もかも、見た目も服装も、そしてリアクションも違っていて、本当に面白いわ! ははっ」

「……」

 失礼な女だなと我は少しイラついたから、唇を紡いで憮然とした表情を彼女にわざと見せつけた。

「ははっ」

 さっきから、ずっと笑っている。

「……」

 呆れる女だ――

 

 でも、まあ……いいか。

 英仏100年戦争の最中さなかに生まれた我ジャンヌ・ダルク。

 思えば、笑った人を見たのは久しぶりだ。嬉しかった。

 相手は魔女であるが――


 この出逢い。タネを明かすと……我はアイカラットという魔女に召喚魔法で、ルーアシュタイン公国に召喚されたのだ。

 荒唐無稽な話だと最初は思ったけれど、彼女――アイカラットは積極的に自分から我に話を続けてくる。


 失礼をそう思わせない彼女の気さく? な性格が、我に興味を持った。

「……! ねえ? お名前は?」

 アイカラットが我がつくる憮然とした表情に、笑みで応える。

「……我はジャ、ジャンヌ・ダルクであるぞ」

「ジャンヌさん……ね」

「そうだ」

 我は、アイカラットの瞳を見つめた。

 ……本当に綺麗なブルーアイだ。

 同じ女として、なんだか羨ましい気持ちになってしまった。


 ――我とアイカラットは、この丘の草原で話をした。

 丘の上に見えるお城は魔女である私のお城。丘の下に見える街は城下町。

 お城の朝は早くて、まだ太陽が沈んでいる時間から、お城の中にいる神官達は祭殿で祭事を行うこと。

 城のメイドもコックも、慌ただしく掃除や洗濯、朝食の用意をしているのだということ。

 そういうお城の中の姿を積極的に我に教えてくれた。


 早口に……我に喋ってくる。


 街では今のシーズン、各地から採れた野草や果物が一斉に集まってくるという。

 こちらも朝早くから市場で売り買いが行われ、それを売る者と買う人達の値段交渉……値引き合戦で、とてもにぎやかなのだという。


 ……話をしたかったのだろうと思った。


「ふふ、べつに何でもよかったんです。……誰でもよかったんですと言ったほうが、失礼がありませんよね?」

「そうか、べつにだったのか」

 やはり、失礼な女……違う、魔女だと思った。

 魔女――本物の魔女はこうも失礼極まる言動を、悪気なく喋り続ける礼儀知らずな生き物なのかと考えた。

「……ただ、このマナがまだ使えるのかなって、確かめたかっただけなんです。もうこの宝石も、もうすぐすれば、ただの石になってしまうのですから。最後の記念にと思って……」

 アイカラットは胸元の宝石――魔女のエネルギーの源泉であるマナの結晶を指で触って、我に教えてくれる。


 綺麗な宝石だった――


 石の中心から黄色と薄い黄緑色が、交互に点滅して光っている。

 不思議な宝石は、まさに異世界そのものだと我は思った。

「これでも私! まだ、レイラインのエネルギーがルーアシュタイン全域に広がっていて、まだ、マナの宝石もい~ぱい採れていた頃には、この召喚魔法でドラゴンを呼び出したことがあったんですよ!」

「ド、ドラゴンって、あの飛んだり炎を噴いたりするモンスターのか?」

「……モンスターというよりも、この世界の守護者のような存在ですね」

「守護者? ドラゴンがか?」

「はい。ドラゴンは、見た目は翼があって体格も大きくて、怖そうに見えますけれど、実は、彼ら、普段は大人しい性格の持ち主なのですよ」

「ドラゴンがか?」

 不覚。同じことを二度聞いてしまった。

「それで、そのドラゴンがさ! 暴れて暴れて……。ドラゴンって普段は大人しいのですが、さっすがに飼いならすことは魔女にも無理ですから。彼ら一匹狼ですから」

 自分の過去の羞恥な思い出に、頬をポッと赤らめてアイカラットは可愛く

 ドラゴンが一匹狼って、なんか変な例えだと思ったけれど……。

「でね! あの丘の上のお城を、ぶっ壊したり街で炎を噴いて暴れたりで! ……そしたら城の神官達が封印魔法を使ってね。で、ようやく収めることができて……、子供の頃の苦い思い出ですね。ふふっ」

 人差し指で頬を突きながら、アイカラットは目を閉じる。

 まぶたの向こうに見えているのは、若気の至りから生まれた思い出のそれだろう。


「お城は大丈夫だったのですか? それに街の住人は??」

「お城は神官達が修復魔法で何とか。街も同じく……です。……けれど、えへっ! まあ、その後に神官達からこっぴどくお説教を受けまして……。酷いんですよ、神官達って! 公女の私に呪文の書き取りを居残りで押しつけてきて!」

 と言うと、アイカラットは腹を抱えて大笑いする。

 公国を憂い、公女という立場にいる魔女……なのかなと勘繰るくらいに、アイカラットはしばらく大笑いした。




       *




 すると突然、アイカラットは両目を開ける……。

 恥ずかしい表情を一変させて、頬の血流も元に戻して真顔に戻す。

「……もう、魔女も魔法の時代も終わりですね。思い出の召喚魔法ってやつかな」

 我とアイカラットが、はじめて出逢ったときの我には、彼女の言ったその言葉の意味は分からなかった。

「……」

 でも、今の我にはしっかりと理解できたのだ。

 魔女の支配が終わろうとしているルーアシュタイン公国。

 アイカラットが思い出の召喚魔法と言ったのは、民衆から疎外される最後の魔女――自分の孤独感を、我と出逢うことで紛らわしたかったのだと気づいたからだ。


「……アイカラットよ」

 ふと、丘の上から見える風景を我は見た。

 ルーアシュタイン公国の自然は、本当に美しかった。

 綺麗な色とりどりの花が、草原にいくつも咲いていた。

 春めいたルーアシュタイン公国――我は清々しいと感じて気持ちが良かった。


「しょうがないんです」

 アイカラットの瞳は、我には哀しんで見える。

 さっきまでの大笑いのときに見せたそれとは、てんで違った。

「しょうがない……のか」

 哀しんでいるのだろう。心の内では。


 彼女には居場所がないのだろう――


 青紫色のアイカラットの瞳、ブルーアイが綺麗だ。

 とても綺麗で、とても印象的な瞳だった。

「……ジャンヌさん。今ジーランディア公国の民衆は、あの街で表向きには何事も起きていないと信じて、励ましあって暮らしています」

 アイカラットの右手が指を差し示す。

 指先にあるのは、魔女の白のふもとの街。

「……本当は民衆は、不安で怖くて恐れているのです。彼らにもすでに、イーストエング帝国がルーアシュタイン公国に、その強大な軍事力で攻めてきていることを知っています。今までは……、魔女一族による魔法で防ぐことができました。抑止することもです」

 アイカラットの瞳が鋭く睨みつけるように、あっという間に変化していく。

 怖い? 悔しい?

 それとも公女として、統治するものとしての無念の気持ちなのか?

「……ですが、今は違います。レイラインも、レイラインから生まれるマナの宝石も、もう、この国では採れなくなりました。結果、魔女の力も弱まり防戦すらできない状況なのです。だから民衆の本音は」


 怖い……。


 それは、魔女の本音でもあるのだと思った。

「ねえ、ジャンヌさん。私達は、いったい何を間違ったのでしょう……」

「ま……間違ったのか? 何をだ」


 魔女の最後はどうしてこうも醜くて、哀れなのだろう。どうして無慈悲で無念なのだろうな……。


 フランスとイギリスの100年戦争の中、生まれてきた我――ジャンヌ・ダルク。

 神からのお告げを受けて民衆を鼓舞して引っ張っていき、戦争を終わらせた伝説の人物だと後世では語られている。

 しかし、その後の我はどうなってしまったのか?

 貴族から用済み、邪魔な存在として、その後の政治家達や宗教家達からうとまれた。


 魔女狩り、魔女裁判。魔女として消されてしまった。

 我ジャンヌ・ダルクは、利用されていただけなのだと死んでから気がついた――


 神が我に教えてくれた――


「……ジャンヌさん。あなたには聞こえますか? レイラインを枯渇したルーアシュタイン公国の悲鳴が。もう、魔女には、イーストエング帝国と戦うだけの魔力は残っていません」

 今にも涙を見せそうな切実な悲痛な表情のアイカラットが、我に話を続ける。

「長年……魔女一族と共に、平和と共に生きてきた民衆にも、イーストエング帝国と戦う能力はありません」

「そうか……」

 我に公国の現状と行く末を話すことで、彼女の気持ちが少しでも落ち着くのだとすれば、我はそれでいい。

 わざわざ異世界の人を召喚してまで話したかった気持ちを、くみするに徹しようと我は思った。




       *




 ルーアシュタイン公国の春の空は、気持ちが良かった。

 雲が空をゆっくりと流れていく。

 まるで、これからも永遠に平和が続いていくのだと……そう言わんばかりの天気だ。

 ……最後の魔女であるアイカラットの寂しい表情とは、対照的だった。

 

 我は、空を見上げて思い出す。

 イギリスに占領された祖国フランスの頃を思い出す。

 無茶苦茶にされた街――

 虐殺された皆――


 アイカラットはふもとに向けていた指先を、静かに下ろしながら、

「このルーアシュタイン公国は、やがて為す術もなく。イーストエング帝国に支配され、国土を占領されてしまい……」

 それから彼女は空を見上げる。流れていく雲間を目で追った。

 浮かんでいる雲は、ゆっくりと流れている。

「民衆は奴隷とされての国へと連れ去られ……。いいえ。もっともっと酷いことをイーストエング帝国の兵士は民衆にするでしょう」

「アイカラット……」

「さらに魔法が使えない魔女の公女は捕らえられ、魔女裁判を必ず受けさせられ……。その裁判は、はじめから結論ありきで。最後に見せしめとして殺される運命なのですよ。だから!」

「だから?」

 隣に立つアイカラットが我を見つめていた。気がつくのに少し時間がかかった我が、彼女に尋ねようと……。

「どうか! 私がそうなる前に、どうか私を……」

 アイカラットの瞳は少し潤っていて。……少し声を荒げて我に迫ってきた。

「ど……どういうことだ? アイカラットよ?」

 失礼極まる不束ふつつかな魔女だと思っていた我だったけれど、いつの間にか……彼女の切実な公国を憂う気持ちに、我へと迫ってくるその姿に、我は……たじろいでいた。


 ……いや。

 本当はアイカラットが何を言いたいのかが、我には分かっていたのだろう。


 最後の魔女はルーアシュタイン公国を支配したくて、統治したくて、公女になったのではない。

 彼女は生まれながらにしての、最後の支配と統治を運命づけられただけのアイカラットなのだから。

 我には、この異世界の云々うんぬんなんてものは正直分からないし、関係ないと思っていた。

 けれどアイカラットの笑みの表情、大笑いしたときの表情、そして公国を憂う寂しい表情――その移り変わりを、彼女の隣で見ていて。


 我は……ここは、こういうべきなのだと。

 祖国を憂う気持ちは、英仏100年戦争を戦った我と同じなのだろうと思ったから……。


「あなたはただ運命に従って、これまで生きてきて……だから、責任はないだろう」


 責任をのは最後の魔女なのではあるが、それは我自身のことでもあって……。でも、我の本音は言い放ったとおりだ。

「そ……そうでしょうか?」

 足を一歩後ろに下げるアイカラットが、我の言葉に念を押してくる。

 たぶん、責任はないだろうと言ってくれたことで、少なからず冷静な公女に戻れたのだろう。


「はい……。そう思うぞ、我は」


 アイカラットよ――

 あなたは魔女として生まれてしまっただけ。ジーランディア公国の公女として君臨してしまっただけ。

 最後の魔女として生きる運命を、神様から与えられただけの一人の女性だ。

 ただ、それだけのこと。あなたに責任はない。


 受けるしか道がなかった。それだけだったのだから――





 続く


 この物語は、ジャンヌ・ダルクのエピソードを参考にしたフィクションです。

 内容は『アイカラット・ウィッチベル』の短編小説をベースにしています。

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