第77話【後編】魔女も人間も、お互いに仲良くする気なんてなかったんだ。


 今まで民衆は、魔女の権威に恐れ従ってきた。


 魔女が――アイカラットが、もはや魔法が使えないと気がつくと、民衆は、今度は敵国であるイーストエング帝国に迎合しようと考え始めた。


 だが、それは決してできないことを民衆は知ることになるのだろう。

 長年、歴代の魔女が魔法でイーストエング帝国と対峙してくれたことが抑止力になって、ルーアシュタイン公国を守ってくれていたことは、とてもありがたかったことを……。

 その結果の公国の平和だったのだ。


 民衆は何も知らなかった。何も見えていなかった。

 何の力もない自分達がこの国を治めていこうなんて、そんなことは無理がある。

 ルーアシュタイン公国の民衆の、政治的あるいは経済的な隣国と対等に交渉できるくらいの教養は、成熟していない。

 農耕から始まり、やがて五穀を産業にして、村を、町を、街を形成してきた素朴な民族国家だった。

 それが魔女一族の降臨とともに、革命的に繁栄を謳歌おうか? しただけの、成り上がった公国に、


 民衆に、政治の何ができると思う?



 ――隣国と戦うことは、我らの時代運命だと思っていた。

 ドーバー海峡を越えて攻めてきた英国軍。国土の半分を占領され一進一退の攻防が続いた。100年も続いたのだ。

 戦乱の中、我はドンレミに生まれた。

 戦い、戦って、祖国フランスのために死んでもいいと覚悟を決めて戦った。

 怖くはなかった。我はただ己の信じる道を懸命に走りぬいただけだ。


 それなのに、最後は……なぁ……




       *




「民衆というのは、迎合と反発しかできないものですよ。というよりも国を統治するためには、民衆は無知で幼稚でなければいけません」

「……アイカラット」

 公女の口からなんてことを言うんだ。

 統治する者として、最初に出逢ったときのように言葉の端々はしはしに彼女の本音というか、感情が見えてしまう。

「あっけないものですね……。政治っていうか、統治ってのは……。民衆は魔女一族に擦り寄るために競ってマナを集めては献上して、……そのマナが無くなって魔女の魔力が衰えると、今度は敵国に迎合しようと考えるなんて」

「……そうだな」

 さっぱりと返してから、我はまた雲が流れる空を見上げる。

 何度見ても、この丘から見える空はとても広くて透き通るくらい青い。雲の白さと重なり、春の爽やかな日和を感じられた。

 我は、公女から決して聞いてはいけない“タブー”を聞かされたのだと考えた。

 あっけないというか、あっさりとした民衆に対しての魔女の本音が、まるでチェスの駒のようにぞんざいに民衆を扱っているように聞こえた。

 権力者という存在は、古今東西……民衆を一塊にしか思っていないのだろうか。

 祖国フランスも、異世界でも、どこででも――


 そういうものか……?


 我は祖国フランスのために、本当に死んでもいいと覚悟した。

 祖国にもシャルル7世という国王が君臨している。

 もしも、国王の口からアイカラットが今言ったような本音を聞かされた自分は、どう感じてしまうだろう?

 我は心の中で、二人の権力者を想像し比べた。

 無論、我の頭は混乱するだろう。耳を疑うのだろう……。



 ――アイカラットの瞳は薄っすらと濡れていた。

「情けないと思えてならないのです……」

 春めく暖かみある爽やかな風が丘の草原の下からサ~と、我とアイカラットの間を通り過ぎていく。

「ルーアシュタイン公国を長年治めてきた魔女一族も、私で7代目になりました。これでも頑張ってきたんですよ、私は。……でも、もうおしまいですね。民衆はどう思っているのでしょう。ああ、魔女の支配がようやく終わったって感激しているのでしょうか? ……それは違うと、私は彼らに教えたい」

 潤っていたアイカラットの瞳、それが消えた。自然と消えていた。

 さっきの風のせいか?

 少し眉をひそめている……民衆に対して怒っている? それとも、最後の魔女としての憤りの目か?

「……どう、違うのだ?」

「教えましょう……、ジャンヌさんに」

 アイカラットは横目で我を流して見つめてから、溜息まじりの少しかすれた……ふてた声で、

「……民衆というのは、無責任なものですよ。……民衆は何も知らない、知らないことを知っていないのですよ。……これから自分達がどうなってしまうのかという運命を、まったく考えようとしないのです」

 ……我にそう不満を語ってくれたアイカラット。

 彼女の瞳の奥に潜ませている心情は――微笑んでくれた表情、最後の魔女としての寂しさからくる表情、国を滅ぼされてしまう悲痛な運命のから見せる表情、どれとも違っている。


 やはり、怒りと憤りの瞳だった――


 覇者としての覚悟、統治する者としての義務感というか、魔女であり支配者の目なのだと……。

 例えるならチェスの駒を非情に動かすときの、権力者の数手先を覗こうとする目だ。


 そして、どう読んでも詰んでしまっている。


「イーストエング帝国が狙っているのは肥よくな大地の恵み、それだけ……」

 公国の民衆なんて帝国にはどうでもよかった。始めからいらないのである。

「敗戦国は、ありとあらゆる物を接収されて……」

「……アイカラット」

 淡々とした口調で吐露するアイカラットの瞳が、また潤ってきたことに気がついた。

「民衆は辱められて……」

「……」


 ――かつての魔女一族がルーアシュタイン公国の大地に降り立って、この地を統治した理由は純粋にただの統治だった。

 魔女一族はルーアシュタインの大地にある豊富なレイラインと、それから生み出されるマナを欲していただけだった。

 それだけでよかったし、それだけのために支配していたのだった。


 イーストエング帝国からの度重なる戦争行為を、魔女一族は魔法によって追い払った。

 防衛と抑止の魔法攻撃は、魔女一族は民衆達への“当然の礼儀”であると考えた。

“お礼”といったほうが適切か?

 民衆も、魔女のおかげで平和が続いたので魔女一族に当然の礼儀“で感謝の気持ちを見せる。


 魔女一族、万歳―― 祖国、万歳――


 魔女と民衆との共生関係。ルーアシュタイン公国の繁栄の歴史だ。

 けれど共生関係は、やがてマナという資源の枯渇により、民衆同士がマナを奪い合い対立し、闘争になり、最後には殺し合いになって、瓦解し衰退してしまった。




       *




「あの、ジャンヌさん」

 突然、アイカラットが我の両手を握ってきた。

「な、なんでしょう?」

「お願いがあります……」

 握っていた力を少し緩めてから、彼女は我にこう言った。

「その、どうか私を……」

「私を?」


「私の首を……。私の命を……」


 一瞬、アイカラットが何を言いたいのか分からなかった。

「……な! 何を! 何を言っているか、わかっているのか!!」

 けれど、我には彼女が言わんとしていることが瞬時に理解できた。


 ああ、そういうことか。

 最後の魔女は、もう死にたいのだな――


「私は……もう死にたいのです。いや、死ななくてはいけないのですよ」

「あの……アイカラットよ! そんなことを弾みで言うでないぞ。お前は最後の魔女――ルーアシュタイン公国の公女だろう」

「それはそうですが。どうしてですか? 私が死んではいけないのですか……」

「そうだぞ……アイカラットよ!」

 アイカラットは勢いをつけて我に歩み迫ってくる。だが、我は負けずに彼女の言葉を拒否。

「お前が死んでも、イーストエング帝国は攻めてくるのだぞ。事態は何も変わらんぞ!」

「私はもう、ルーアシュタイン公国には必要のない、魔法も使えなくなっていく魔女なのですよ! 私には、最後の魔女には……もう。……もうどこにも行く場所は残されていません。殺されるしか道は……残されて」


 アイカラットの瞳。ブルーアイの瞳は、まるで冬の荒れた大波だった。

 完全に涙目だ……


「……魔女一族は、このルーアシュタイン公国の文明の発展、文明の転換期に潔く消えなければならない運命なのでしょう。何事も永遠には続きません……。それは、私が7代目の公女になったときから気づいていました」


 涙をぬぐうことも忘れているアイカラット。これが彼女の率直な本音なのだと……我は理解したのだ。

 異世界でも、民衆に“見せしめ”するのだなと――


 魔女が……魔女にされた我が死ななければ、時代が変わったことにならない。

 どうか、ジャンヌよ……死んでくれないか。


 ここで……


 我は利用されていただけなんだな……と、刑場の台の上の柱にくくりつけられていた最中さいちゅう、ハッと我は気がついた。


 しょうがないのだと思った……。


 我は己の身を、神に――主に委ねることを覚悟した。


「そもそも、私が公女になった時から、この国は異常でした。次から次へ……、マナの宝石を献上してきて、それも競い合って……。私には、最初、意味がわからなかったのです。どうして民衆は、魔女にこんなにもすがり迎合してくるのかをです」


 そんなに泣くでない――公女アイカラットよ。

 絶対的な権力は、やがて絶対的に腐敗するのだから……。

 支配者――魔女が死ぬことで、民衆は変わったと思おうとしない。


「けれど。今、公国が滅亡する事実を目の前にして、私はようやくわかったのです……。もう、誰にも止められなかったんだということに……」

 ――アイカラットはロングスカートのポケットからハンカチを取り出すと、ずぶ濡れに流れる自分の頬と両目に当てて拭う。

「すみません……ジャンヌさん」

 たっぷりと泣いて、すっきりできたのだろう……。

 肩で大きく息を数度吸い込んで、自分の乱れた気持ちを落ち着かせる。


「……なあ、アイカラットよ。……それが何なのだ?」

 我は、正直に言っておこうと思ったのだ。

「それが何なのだ? ですか? だって、私は最後の魔女で……、もう死ぬしか道は……だからで……」

 涙を拭いながらきょとんとした表情を作るアイカラットが、すぐ我に問い返してくる。

「ああ、そうだろうが……だぞ」


「だぞ……?」


 アイカラットは首を傾けた――

 その姿が、魔女らしからぬ……愛くるしい仕草、権力者らしからぬ姿に見えてしまって、なんだか可愛く見えた。

 この公女様、多くの重荷を無理矢理に背負わされているだけなのに……。

 どうせ……最後なのだから、もっとあっさりと運命を受け入れようとは思わんのかと……。

 彼女の境遇というものをこんな具合に冷めて思ってから、我はこう察したのである。


 この異世界に、召喚魔法で来た我は――

 ルーアシュタイン公国の関係者でも何でもない我だけれど、我だからこそ言えることがあると思ったのだ。

 余計な世話だったのかもしれないな。


「魔法が使えなくなったから魔女はもういりませんか。だから自分は、もう魔女ではなくなって民衆と同じか。つまり、ただの人間と同じで、ただの魔女になってしまった。それでいいと思おうぞ……」

「どういう……意味ですか?」

「しかしな、アイカラットよ。お前はそれでも今でも、これからも魔女なのだ。それを、あなたは理解しているのかと問いたいんだ。我は――」

「……これからも、私は魔女なのです……か? あの、言葉の意味がよく……」

 傾げていた首を、今度は反対に傾げ直す。

 これもまた……愛くるしいというか、面白い公女様というか……。

 我はこういうことが言いたかったのだ――


 魔女の力の源泉、マナが失われた公国になっても、自分はこれからも魔女――

 魔女は魔女としてしか、生きることは許されない。

 魔法の使えない魔女として――


 我ジャンヌのように――

『救国の聖女』と呼ばれたからには、国王に認められたからには、魔女の烙印を押されてもジャンヌ・ダルクはジャンヌ・ダルクとして、歴史に名をのこすしかないのだと。


「要するにアイカラットよ。お前は、これからも公女であり魔女なのだ」

「魔法が使えなくなったのに、私はこれからも公女として、そして、魔女なのですか?」

「ああ! 魔法が使えなくなってしまったとしても、ルーアシュタイン公国を統治できないと、公女自ら理解したとしてもだ。――そして、帝国が攻めてきていても、それでも……だぞ」

 我は、だぞ……といった刹那に気がつく。

 全く説明になっていないことに、気がついた……。

 

 それから、我はアイカラットに我なりの説明で懇切丁寧にこんなことを語った――


 我は、マナが枯渇して、魔法が使えなくなっても魔女だと断言した。

 本当にそう思うのだ。

 つまり、例え祖国フランスが英国に敗れ占領されても、我らはフランス人なのだから……と言いたかった。

 そういうことを、アイカラットに言ってやりたかったのだ。

 英仏100年戦争を戦う我らフランス人の、フランスたらしめている要素とはなんなのか?


 それは、国民が納得できる総意なのだぞと……


 ルーアシュタイン公国の栄華をつくった魔女一族の歴史は、国民の総意だったのではないかと。

 あなたは今までルーアシュタイン公国をしっかりと統治してきたのでしょう?

 だから――

「アイカラット公女という人物が、民衆の心の軸に必ずなって、たとえ帝国に支配されようと、いつの日か必ず民衆自らが心の軸を持って、立ちあがる日がくるのだと……。あなたはそれを思うべきだと、我は断言したいのだ」

 我も、聖ジャンヌ・ブレアル教会で祈られている日々をおくってきて――

 歴史上に自分が確かにいたことを気づかせてくれるんだ。

 本音としては嬉しいのものだぞ!


「あ……ありがとうございます。ジャンヌさん」

 説明の甲斐あってか、アイカラットはすっかり冷静な公女に戻ってくれた。

「……そうですよね。私は魔女の末裔、最後の魔女――魔女としての誇りを最後まで失ってはいけないのです」

 やはり、落ち着いたのだろう――

 アイカラットは涙を拭いてからかしこまり、隣に立つ我に深く頭を下げてくれたのだ。

 深く下げられるほどのことは……言ってはいないだろう。

 なんていうか気持ちをもっと誇れと、げきを飛ばしたかっただけだった。




       *




 アイカラットは、ゆっくりと丘の草原の花々を見つめていた。

 ブルーアイ――綺麗な青紫色のその瞳で見つめていた。

「そうですね……。たとえ、ルーアシュタイン公国が滅びようとも、誇りをもって、後世の歴史家達に自分たちの国こそが正しかったのだと、書き残してもらいましょう」

 我はアイカラットの横顔を見つめて、

「……ああ、そのほうが魔女らしいのだと思う。我も、そういう思いで英仏100年戦争を戦っていたんだ」

 戦争とは、いかに祖国を信じて死んでいくかだと……本物の魔女に自分の信念を重ねていた。


 本気で我はそう思っていたのだから――


「戦って……いた? ……そうですか。……素晴らしい覚悟ですね」

 我に微笑んでくれたアイカラット。我が最初に出逢ったその笑顔だ。

「ところで、ねえ! ジャンヌさん。この花って綺麗でしょ!」

 何を唐突にと思った――

 アイカラットは小さなだいだい色をした野花を一輪手に取って、それから、もういくつか集め始める。

「この花はね、ルーアシュタインでは、どこにでも咲いている野花です。名前はズバリ『ルーアン』ですよ!!」

「ルーアン。それって国の名前の……」

「はいな!! 我が国の国名は、この野花ルーアンから名付けられました。名付け親は私の先祖の魔女、『アイカラット・ウィッチベル1世』です。ねえ? 綺麗でしょ」

 橙色のルーアンという異世界の花。花弁は7枚もある小花で、春に咲く野花に似合って可愛い……愛らしい花だ。


「……ああ。綺麗だ」

「ねねっ! そうでしょ!」


 そうなのだろう?

 あなたは誰よりも、この国を愛していたのでしょう――

 あなたがルーアンをまなの瞳で見つめているように、あなたも愛されていた。

 民衆から愛されていたことは事実だったのだ。

「……ところで、アイカラット。そんなにまで自分を消してほしいとか、ルーアシュタイン公国に、もう魔女はいらないとか言うのだったら」

「はい、なんでしょう?」

 橙色のルーアンの野花をいくつか摘み終えると、アイカラットは立ち上がってから我に振り向く。


 再び――

 春の優しい風が二人の頬をなでて、そして行った――

 彼女は我の目を見つめた。我も見つめた。

 風はまだ、ゆっくりと流れ続けている――


 アイカラットの髪が風で舞った――

 彼女はそれを左手で抑えて。

 胸元には上着の間から魔女のエネルギーの源泉――マナの宝石が見えた。


 そのマナの宝石が春の陽気な光に反射して、

 一瞬明るく輝いたのである。


「……」

 我は、こんなこと言っても、今更こんなことを言うのは躊躇ちゅうちょしたのだけれど、

「……?」

 胸元を見つめる我の視線に気がついたようだ。

 彼女が我の目を見て、しばらくして……ふふっと微笑みを見せてくれた。

 アイカラットよ。その微笑みは空元気なのだろう……。

「……」

 魔力を失いつつあったマノの宝石の波打つ光に、せっかく異世界に召喚されたのだからと、割り切って話そうと……。

「その……魔法で、我と一緒にどこか遠い国……。この世界の住人じゃないところの」

「……ところの」


「例えば、我が住んでいたフランスへ一緒に……」


「……ああ、そういうことですね。ジャンヌさん! ありがとうございます。でも、それはできません」

 我が一緒に……と言おうとすると、アイカラットはすかさず口を挟んだ。

「なんで……だ?」

「なんでも……ですよ」

 我に背を向けた。

 向いた先は、丘の上に見える魔女の城である。

 左手には、摘んだばかりのルーアンの花束を握りしめながら……。

「ジャンヌさんの言葉の通りです。私アイカラットは、ルーアシュタイン公国と運命を共にしなければいけません。そういうものなのだと自負しておりますから……。公女として、魔女として。最後の魔女として――」

「それは、覚悟を決めたということか……」


 死ぬ覚悟だろうな――否、殺される覚悟だろう。


「はい。これは魔女一族が君臨した時からの誓いなのです。私は幼い頃に教わりました」

「教わりましたからって、だからって……」

 我は、それじゃ自分に訪れる悲運をただ待ち続けるだけになってしまうんじゃ……と、心の中で呟く。

「もう魔法が使えないとしても、私はルーアシュタイン公国の最後の魔女として、あの城に最後まで君臨しなければいけません」

 見上げる先にある魔女の城――

 すぐにも帝国に支配されるであろうその城を、アイカラットはじっと見つめる。そして、


「支配者というのはですね……。国といを結び、国と共に死ななければならないものだからです……」


 少し声を震わせて、そう寂しくも呟いたのだった。

「……」

 我は――

「ジャンヌさん? 民衆を捨てて公女だけ生き延びるのは、とても滑稽であり魔女として失格です」

「……アイカラットよ」

「はじめからね……わかり切っていたことですから。……ありがとうございました」

 無念なのだろうな――

「ジャンヌさん。私の、最後の魔女の言葉を聞いていただいて……」

 アイカラットが唇を緩める。

 どこか寂しい表情の……裏返しのようなそれに戻ってしまった。

 最後に、彼女は静かに我に言った。


 

 魔女一族の末路なのです――




       *




「私は案じるのですよ。迎合できない我慢を超えた先にある民衆の決起を。魔女のいないルーアシュタイン公国の民衆の誰が軍事を統括するのでしょうかと。戦闘経験は? 戦略は考えたことがあるのでしょうか? 決起の先にある敗北。そして、再び統治者に迎合するのでしょう。しかし、イーストエング帝国との和平交渉は? 戦後処理は? そもそも民衆の誰が政治を行えるのでしょうか」

 ――早口に、寂しい表情から放たれるアイカラットの言葉に、彼女の公女としての品格を感じる。

「ようやくでしょう……。魔女一族の支配が終わって、絶対王政から民主国家を建国。敵が目の前まで迫って来ているのに、どうやって? イーストエング帝国を侮ってはいけません。軍事力優先で列国支配をたくらんでいる人達なのです。話し合いなんて無意味です。結局は、民衆は再び支配を受けることになるでしょうね」

 アイカラットは、嘆息をついて草原の中にうずくまる。

「……滅びる運命なのでしょうね。魔女の神様も見限ったのでしょうね」

 万策尽きたような……否、疲れ切ったブルーアイの瞳。

「魔女の神様ですか――」

 我は異端審問の再審で無罪を勝ち取ったのだけれど、やがて聖ジャンヌ・ブレアル教会で神として――


 それは、我にも当てはまるのか? と自問してみた。


「そもそも、民主主義はどこまで優秀な政治なのでしょうか? 結局、民衆の中から代表を決めるだけです。多数派と少数派に分かれて、結局は争うのです。民主主義で話し合いというのは、もしかしたら素晴らしいことなのかもしれません。ですが、どこまでも話し合っても、最終的には結果的には……軍事力による支配には勝てない」

 ――アイカラットは、蹲ったまま淡々と統治の話を続ける。

 彼女の瞳には、これからのルーアシュタイン公国の悲しい結末しか映っていないのだろう。

「魔法が使えた、魔女がいなくなるこのルーアシュタイン公国は、マナの枯渇と共に滅びるしかないのでしょうね。それを運命と呪うことは軽い。どうして滅ばなければ……魔女も民衆もしっかり反省すべきなのでしょうね」

「反省……なにを? あなたは運命として魔女として生まれ、公女になっただけなのに……なにを?」

「いいえ……」

 アイカラットはそう言ってから、首を大きく左右に振った。

 公女として、魔女として、最後の魔女としての反省? なにをだ??

 そうではないと、今でも我は思いたい。


 あなたは、しっかりと最後の魔女として国を守ってきたのでしょう?


 ……と。

「魔女の魔法に頼って魔女の力の源泉であるレイラインを枯渇させたのは、魔女一族の思い上がりなのでしょうか? それとも民衆の暴走なのでしょうか? ねえ?? ジャンヌ・ダルクさん、どちらだと思いますか?」

 アイカラットは最初に召喚魔法で出逢ったときのように、口角を上げて微笑んで、明るい口調で我に尋ねた。


 魔女一族の思い上がりの末路


 それとも民衆の暴走


 この言葉が、我は今でも忘れられないのだ――




       *




「さてと! ……そろそろ、お城に戻らないと!」

 アイカラットが両手をパチンと叩く。

「――今、お城で神官達が必死で敵国との和平交渉を会議しています。私もその会議に戻らなければいけません。これでも魔女の公女ですからね。実は、私がこの丘にこうしているのは……会議が嫌になっちゃったからなんですよ!」

 アイカラットは、くすっくすっと肩を揺らして笑った。

 やっぱり、笑顔が似合う女性だと我は思った。

「……まあ、気分転換も兼ねてですけれど、無駄なんですよ。敵国との和平なんて。到底無理な話なのです。でも、無理とわかっていても考えなければいけません。民衆のためにも……最後の魔女としてでも……」


「さ~てと」

「アイカラット?」


「ジャンヌさん。あなたに魔法を掛けて祖国フランスへ転生して帰してあげます! 正真正銘、これが最後の魔女の最後の魔法ですかね?」

「そんなことができるのか? もう戻れないかと思っていたけれど……。マナは大丈夫なの?」

「大丈夫です。まだ少しだけ……エネルギーは残っていますから!!」

 魔女の魔法か……。

「それは……正直ありがたいぞ」

 アイカラットは両手を胸の前にぐっとさしだした。その両手は草原の地面へと向けられている。



 我が名はアイカラットである

 偉大なる魔女一族の7世である

 ジーランディアに潤う魔女の血レイラインよ

 その血から生まれるレイラインの子供マナよ

 アイカラットがマナに命じる

 我が足元に転生の魔法陣を創りだしなさい


 そして……、ジャンヌ・ダルクさんを、あるべき世界へと転生させなさい!



 本物の魔女の呪文……


 ヴヮーーン


 アイカラットの胸元のマナの宝石が激しく光り出した。

 対照的に、我と彼女の周辺が薄暗くなっていく。

 マナの宝石の光がいっそう光を波打たせて輝く。


 フヮーーーン


 足元に魔法陣が現れる。

 青紫色に輝いている魔法陣である。

 魔方陣を中心に、魔力が空中で渦を巻いている。


「ジャンヌ・ダルクさん! 魔女のグチ……失礼。魔女の話を聞いてくれて本当にありがとうございました」

「……れ、礼にはおよばんぞ。我も日々教会でグチ……もとい、新子あたらし……失敬、信者たちから祈りを受けている身だから」

「どうでしたか? 結構、魔女って人間っぽいでしょ?」

「そ……そのようだぞ」

 自分で我を召喚させておいて、話を聞いてくれたからありがとう。

 元の世界に戻してあげると……、魔女の思い上がりの一面なのかと、これが魔女という生き物の性なのか?

 最初から最後まで、面白い女だな……アイカラットよ。

 

 ふと思ったっけなぁ……


 アイカラットよ。今では、お前の気持ちがよくわかるのだ。

 どうにもできない運命の流れを、我らは共に味わってしまい。それは、どうにもできない運命という、神から告げられた『魔女狩り』という審問なのだろう。共に味わう――

 運命という苦い果実の味だぞ。

「……おかしいな、なんで人間達と仲良くできなかったんだろう?」

 両手を魔法陣にかざしながら、ふとアイカラットが呟いた。

「……」

 我は無言でそれを聞いていたけれど、心の中では、



『魔女も人間も、お互いに仲良くする気なんてなかったんだ。お互いに利用したかっただけなんだと思うぞ』



 と……。

 我は、アイカラットにそれを言おうかどうか最後まで迷ったのだけれど、結局言わないことにした。

 ここは異世界で、我には無関係な世界なのだから。

 アイカラットとは、我とは始めから出逢う予定なんてなかったのだから。

 我には何も、どうすることもできないのだから――


 ヴヮーーーン ヴヮーーーン


 魔法陣が次第に大きくなってくる。

 青紫色の輝きも強くなって、それは我をすぐに包み込む。


「……さようならです。ジャンヌ・ダルクさん。あなたに出逢えて嬉しかったですよ」


「アイカラット―― 出逢えてよかったぞ。  そして、さようなら……ぞ」




       *




 これが、我の昔話だ――


 魔女して生まれる運命の彼女と、最後の魔女として統治する彼女と、

 魔女にされた我と、後に列聖し聖人聖女と呼ばれるようになった我と、


 さて、どちらが幸せだと思う?

 新子友花あたらしともかよ――


 似ているとは思うだろう。


 新子友花、お前は聖ジャンヌ・ブレアル教会に熱心に我に祈りを捧げてくれている。

 それは嬉しいと思う。反面――


 我ジャンヌ・ダルクは魔女ではないし、聖人でも聖女でもないのだ……

 祈り続けてくれるお前が、我を聖人にして聖女としてくれているだけなのだ。

 祈りの先に、お前の願いが叶うのだとすれば、それは新子友花よ。

 すべて、お前の努力の成果なのだと我は言わせてもらう。

 

 我は見守ることしかできない。成り上がりの神なのだからな……


 もう疲れたと思うこともあるし、思ったところで神をめることはできない。

 何もできない。祈られるだけの聖人だぞ。



 我の昔話、我の本音を聞いてくれてありがとう――





 終わり


 この物語は、ジャンヌ・ダルクのエピソードを参考にしたフィクションです。

 内容は『アイカラット・ウィッチベル』の短編小説をベースにしています。

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