第20話 一夜ばあがやってきた。
本家に遊びに行った日。
玄関先に、藍色の着物を着た若い女の人がいた。
たしか、土砂降りの雨の日だった。
「あなた、紀夜ちゃんとこの、娘さんね」
一度だけ、若い女の人に声をかけられた。
鈴を転がすような、優しい声。
顔はよく覚えていない。けど、ママよりもうんと若いお姉さんのはずなのに、ママのことを親し気に呼んでいた――
なぜだろう。
朝起きたら、急に、そのお姉さんのことを思い出してしまった。
「六時前に目が覚めちゃった」
清々しい気持ち。いいことあるかも。
カーテンを開けるやいなや、土砂降りの大雨。
雨粒が、窓をびたびた叩きつけている。
なんだか、一気に気が重くなった。
リビングへ行くと、パパがまだ、パジャマ姿でソファーに座ってテレビを見ていた。
「パパ、今日って仕事お休み?」
「ああ。会社から連絡あって、トリプル台風が上陸するから、しばらく自宅待機だって」
「トリプル台風⁉」
テレビに映る天気図で、大型の台風が三つも近づいている様子がはっきり分かる。
「突然、三つも台風が発生することもあるんだなあ」
パパが不思議そうに言うと、ママと星夜が寝ているリビング横の、和室の戸が勢いよく開いた。
「ママ、おはよ」
あたしが声をかけても、ママは放心状態でいる。
天気の悪い日は、調子が悪くなりやすいってママ言っていたから、今日はすこぶる悪いんだろうな。
「来るわ……」
ママは、そうつぶやくなりカッと目を見開いて、大急ぎで身支度を始める。押し入れからリュックを引っ張り出して、服やら缶詰を詰めていく。
「ママどうしたんだい。落ち着きなって。下手に動くより、家にいた方が安全だよ?」
パパが注意をしても、ママは首を横に振った。
「家なんか安全じゃないわ! 今すぐここを離れなくちゃだめなの! だって、来るもの!」
その直後、
ピンポーン、と、インターホンが鳴った。
「ひいいっ! 来たぁぁぁっ!」
なぜかママは、ひどくおびえた。
「おいおい。まだ六時だぞ? ったく、こんな時間に」
パパが、ドアホンを確認。
「うわぁっ!」
パパが腰を抜かした。
「何なの? みんなして」
あたしも確認すると――
「ひいいいっ!」
心臓が飛び出るくらいびびった。
ドアホンに、長い髪を前に垂らした、着物姿の女の幽霊が映っていたからだった。
その幽霊は、しつこくピンポン、ピンポン、インターホンを鳴らしてくる。
「怖いよー! っていうか、なんで女の人の幽霊が⁉」
「沙夜違うわ。あれは、幽霊なんかよりも恐ろしい、一夜おばちゃんよ」
戦々恐々にママが答えた。
「一夜ばあ!?」
なぜうちに!?
大嵐の中、パパが仕方なく玄関を開けた。
びしゃびしゃびしゃ、っと雨が入りこむほど強い雨。
そして、幽霊――ではなく、一夜ばあが入って来た。
「ごめんあそばせ」
前髪をかき上げ、素顔があらわになったその女の人は、どっからどう見ても高校生くらいの若いお姉さんにしか見えない……。
その瞬間、また、あの女の人の記憶がよみがえった。
藍色の着物。
玄関にいるこの女の人も、藍色の着物を着ているからだ。
「い、いらっしゃいませ。一夜おばちゃん」
タオルを渡したママが、ひどく動揺している。明らかに作り笑顔だ。
この人が、一夜ばあだなんて。想像していたおばあちゃん像とかけ離れている。
「ごめんなさいねぇ。急に来てしまって。たまたま近くを通ったものだから、先に紀夜ちゃんの家にお邪魔させていただこうと思って」
鼻にかかる甘ったるい声で、一夜ばあは言った。
「一夜おばちゃん、何もないところですけど、どうぞ上がって行ってください」
「いいえ、お構いなくぅ。そぉよねぇ、何もないところって、わかっているわ。本家へ向かうついでに、ほんのちょっと寄ろうと思っただけなのよ」
ママの言葉に、一夜ばあはどことなく、毒のある言葉で返した。
「ママぁ、だれぇ?」
寝起きの星夜が、あたしとママの間を割ってひょこっと一夜ばあの前に顔を出した。
「あら、沙夜ちゃん。お久しぶりねえ。おばちゃんのこと、覚えているかしら?」
一夜ばあは、星夜の目線の高さに腰をかがめて聞いた。
「あの、一夜ばあ。沙夜はわたしです」
「ん? 一夜ばあって、何かしら?」
あたし、何かまずいことを言っただろうか。どことなくいら立ったように一夜ばあが首を傾げた。
「そう。ごめんなさいねぇ。しばらく会っていないから、どっちかわからなくってね」
一夜ばあは笑顔で言ってるけど、どことなく悪意を感じる。
いや見ればわかるよね?
「あの」
あたしが反論しようとして、ママがひじで小突いたあと目で制する。
余計なこと言うなって目。あたしは、口をへの字に結んだ。
「じゃあ、これでおいとまするわねぇ。それから、これ、おみやげ」
そう言って、一夜ばあは着物の袖から小さな風呂敷包みを渡した。
そして、大雨の中へ出て行った。
一夜ばあが立ち去って、しばらくすると、しん、と雨が止んだ。
「ありゃ、強烈な雨女だな」
パパが、ぽつんと言った。
嵐が立ち去って、リビングに、さんさんとまばゆい光がさしこんだ。
「驚いたでしょ、沙夜」
ソファーに身を委ねて、ママは聞いた。
「一夜ばあの超能力は、自分の年齢、見た目をコントロールできるの。若い女の子になったり、年相応のおばあさんになったりって具合に」
ママは、コップ一杯の水をパパから受け取る。
「プライドが高くて、年寄りあつかいは厳禁」
ママは水をゴクゴク喉に通す。
「なんか、すごい。すごいけど、千夜ばあと対照的で性格が悪い……」
つい、本音を吐露した。
「あの人昔からそうなのよ。見た目は穏やかに見えるけど、物言いが少しキツくて。それから、一夜ばあがやって来る時と帰る時は、必ず大雨が降るの」
「大雨どころか、トリプル台風だったぞ」
パパが苦笑混じりに言った。トリプル台風は、日本列島を高速で駆け抜けて行ったようだ。
「ところで、このおみやげってなんだろ」
「開けてみたーい」
あたしと星夜は、一夜ばあからもらった包みを前にわくわくする。
「開けてもいけど、開けたらがっかりするものよ」
あんな大雨の中、わざわざ届けに来たんだし。
がっかりするおみやげなんて、あるわけない。
いそいそと、結び目をほどいて開けると、
『げっ!』
あたしと星夜は同時に声をあげた。
趣味の悪い、張り子の黄色いブタがででーんと現れたからだ。
「一夜ばあが趣味で作っている、張り子のトラよ」
「トラ⁉ これ、ブタじゃないの⁉」
「沙夜、口はわざわいのもと。一夜ばあの前では厳禁よ」
ママの忠告に、あたしはあわてて口をチャックした。
一夜ばあが、『テレパシー』の超能力の持ち主じゃなくて良かった。
それにしても、心底がっかり……。
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