第4話

 風がうなり、体がと浮いた時、いねは死を覚悟した。さっき見たばかりの国衙の人たちのように、吾も・・・だいだらぼっち様の餌食になるんだ・・・。

 だが、いねの体はそれ以上浮くことはなく、耳がちぎれるほどに激しかった風のは突然、んだ。

 おそるおそる目を開けたいねの視界に、確かにさっきまで眼前にそびえ立っていた黒く禍々しい姿はなく、眼下には見慣れた田畑の風景が広がっていた。

 ただ、だいだらぼっち様の通った跡らしい二本の線だけがくっきりと稲を倒し、土をのぞかせている。そのうち一本は坂の下で消え、もう一本は国衙があった所から右の山麓へと消えていた。国衙は土台を残してあらかた吹き飛ばされ、川の水車は消え、見渡す限り人っ子一人見えなかった。

「あれを・・・」

 その光景を指さしつつ、いねは振り返ったが飯豊と磐根はまだ頭を抱え、腰を曲げて地面に突っ伏していたままであった。

「あんちゃん、おっちゃん」

 声をかけたが二人とも耳を手でおおっていたためか、いねの声は二人に届かないようだった。

 いねは抜けかけた腰をそっと上げると、ふらつく足取りで磐根に近寄ると背中を叩いた。磐根は何を思ったか、いっそう身をかがめたが、やがて背中を叩くものが柔らかい手だと気づくと丸めた体から亀の子のように首をもたげた。

「だいだらぼっち様は・・・?」

 磐根の怯えた声に、

「消えなすった」

 いねは答えた。

「ほんまけ?」

 磐根は体を起こすと、きょろきょろとあたりを見回した。

「どこさ、行った?」

「わからね・・・。おっちゃん、どうした?」

 飯豊が呻き声を出しているのを聞いたいねが駆け寄った。

「どこか、怪我したかね?」

 そういいながらいねが背中を優しく叩くと、

「たいしたことはね」

 よろめきながら立ち上がった飯豊の左の腕が血にまみれていた。

「どうなさったの?」

 いねの問いに

「石が飛んできたじゃ。それが当たった」

 と飯豊が答えた。

「あら、たいへん」

 いねはあたりを見回すと、道端に土を覆うように生えていた草を見つけるとむしり取って手の中で揉んだ。

「これを貼るといい。この草は血止めになるてかか様に聞いた」

 そう言うと怪我している腕に一枚づつ丁寧に葉を広げ貼っていった。

「・・・おらも」

 磐根は手を突き出したが、いねは一瞥いちべつすると、

「あんちゃんは、なんともなかじゃないですか・・・」

 と磐根を睨んだ。

「石はあたったがじゃ。ほれここ」

 確かに少し肌が赤くなっていた。じゃあ、といねは裾で指を拭うと唾をつけて赤くなったところに触れた。

「これでよか?」

 そう言って磐根を見上げると

「あ・・うん」

 磐根は照れたように笑った。

「それにしても、危なかった」

 飯豊は全てがもぎ取られた跡を指した。山の入り口にあたる坂の手前で忽然こつぜんとその跡は消えていた。

「もう二百歩にひゃくぶも来なさったら、吾らもさらわれておったじゃろ」

 二百歩とは60メートルほどの長さである。飯豊の言葉に磐根も顔を引き締め頷いた。

「だの」

「どうなったのか、見に行かねば・・・。今なら助かる人もいらっしゃるかも」

 いねはそう言って早足で歩き出したが、その腕を追って来た飯豊がつかんだ。

「まだ、分かんね。それに下手をすれば汝らは捕まるかもしんねえぞ」

「だども・・・かか様が」

 いねは掴まれた手を振りほどこうとしたが、飯豊は離さなかった。

「吾が見に行く。大丈夫そうならば汝らに言う。それまであそこで待っておれ」

 と、もと来た場所を指さした。

「いね、それが良い」

 磐根がいねの頭を優しく掻き抱いた。

「う・・・ん」

 その言葉を待って居たかのように、飯豊は独り坂を下りて行った。


 飯豊はなかなか戻ってこなかった。陽はとうに暮れ、群青色の空の片隅に残照ざんしょうが僅かに見えるだけであった。

「どうしたんだろ、おっちゃん」

 いねの心配げな声に、

「さあの・・・」

 と磐根は応じた。

「今晩はあっちにおるつもりかもしれん。こげに日が暮れてはどもならんじゃろ。帰ってこれまいて」

「何か悪いことでもあったんじゃないかしら」

 心細げにいねが呟いた。

「心配しても仕方なかろ。もう宵じゃ。寝ることにするか」

 そう言って磐根が立ち上がろうとした時、ごそごそと藪が鳴った。飯豊から、ここらあたりには、時折、獣が出ると聞いていた二人は寄り添い手を握り合った。

「吾じゃ」

 闇の中から声がした。飯豊の湿った声だった。

「よう帰られた」

 そう言ったのは、いねの本心だった。

「郷は・・・どうじゃった?」

 磐根の問いに、

「どうもこうも・・・」

とだけ言うと、

「火をおこすべ」

 それ以外口を閉ざしたまま、飯豊は自分の穴に入ると板とひねりぎねを持ち出した。どんなに暗くてもその場所は覚えているようで、きねを板に当てると両の掌を使って器用に火を熾した。

「外で・・・いいのけ?」

 磐根の問いに、じろりと睨むと

「みんなそれどころでねぇ。それに国衙の役人はひとっこ一人いなくなったで」

 と飯豊は答えた。

「ひとっこ一人・・・」

「ああ・・・」

 答えると、飯豊は熾した火で手をあぶった。日が落ちるとこのあたりは夏でも冷える。

「教えてください、どうなったか・・・詳しく」

 いねが身をむようにしてせがんだ。

「ん・・・」

 飯豊は熾した火の向こうにいるいねを見詰めた。

「まことに知りたいの、け?」

「んだ」

 飯豊は暫く放心したような眼で火を見ていたが、やがて

「お前のかか様はな・・・、どこかへ消えてしまった」

 と言った。いねは雷に撃たれたように腰を落としたが、気丈にも、

「もっと詳しく話してくんさい」

 と頼んだ。

「じゃ・・・、の」

 呟くと飯豊は話し始めた。


 吾が郷に降りていくと、里の長が何人かを引き連れていなくなった人を探しに行くのに出会った。吾がついて行っても誰も文句ひとつ言わなかったで、そのままだいだらぼっち様の通った跡をなぞるように山の方へ歩いて行った。こちらではなく、国衙を襲った方の跡じゃった。そこらじゅうに、木の板やら水車の輪っかやら落ちておったが、山と里の境目までは人の姿はなかった。だが・・・。

 山に入ってすぐだった。急に先頭にいた長が立ち止まった。指の先にあったのは山毛欅ぶなの一番高い梢に引っかかった人の体じゃった。真っ裸でな、遠目でも女だと判った。誰も助けに行こうというものがおらなんだ。で、吾がしゃしゃりでた。縄を持ってきたものがいたんで、それを担いで吾が木に取り付いた。何、木登りはいつもやっておる。秋にな、木の実を取るには木に登って振い落とすからの。だがあれほど高くまで登ったのは初めてだ。一目見ただけで、女の命がないのは明らかじゃった。腕の片方が変な方向に曲がっておって、動きもせんだったで、の。

 その女は若い知った顔じゃった。川下の方にある別の郷に住んでいる、父御と二人で暮らす女だ。齢は汝と同じくらいだ。そう言うと飯豊はいねを指さした。


 その父御が一緒にいなかったのを吾は感謝した。あんな姿は親にはみせられねぇ。とりわけ父親にとっての娘の惨めな最期ほど見せられないものはねぇ。そう思いながら体に縄を巻き、木の股に縄を通すと、縄の反対側の端を投げおろした。その縄の端を男衆が持ったことを確かめると、吾は女の体を支えてゆっくりと投げ落とした。支えを失った女の体が空中をくるくると回ってな、ゆっくりと降りていくのを吾は木の上から眺めていた。あと少し、という所で縄が木の股に擦れて切れたが、なんとか降ろし終えた。縄は切れたし、女一人を担いで帰るのでさえ難儀で、もうこれはいかんということで、長の一存で郷に帰ったがの・・・。

 飯豊は一番の働きをしたという事で、郷の者たちに混じって皈を振舞われたが、みなしんとして、女の父親のく虚ろな声だけが聞こえた、と飯豊は語った。


 だいだらぼっち様に攫われたのは国衙に居たものだけで五十人、それに別のところで巻き込まれたものが五人。汝のかか様も国衙に連れて行かれて帰ってこなかったとのことじゃった。

 酒を酌み交わしながら長は、

「どうやっておおやけに報すべ」

 と悩んでいた。

「まず、隣のこおりの役人のところへ報せるのがよかろ。そうすれば向こうが考えてくれるじゃろ」

 と吾が言うと、そげだな、と集まっていたものの中から賛同する声が湧いた。

「国衙のお役人衆が皆いなくなってしまったんじゃ。下手をすれば謀反とも取られかねね、跡が残っている早いうちに報せねば」

 そう皆の意見がまとまったところで吾は帰って来たじゃ、と飯豊は話し終えた。


「ならば・・・かか様もそんな風に・・・」

 いねの悲痛な声に飯豊は頭を振るばかりだった。

「そうとも限らんが・・・。ところで汝らが抜けたことを皆知らんようじゃった。なんでかか様が国衙に連れて行かれたのか、首を捻っておったからの。明日にでも郷に降りてみるがよか」

 飯豊の言葉に磐根といねは頷いた。


 翌朝、払暁ふつぎょうと共に三人は洞窟を出た。とぼとぼと歩く速度は郷に降りることを躊躇っているような足取りであったが、ほどなく山道へと出ると、いねは今度は早足で道を駆け下りた。残りの二人がやっと追いつくような速さであった。

「もしかしたら・・・」

かか様は戻っているかもしれない。いねを見て、

「今までどこに居ったんじゃ?」

と眇めた目で見、ついてきた磐根を

「こげな男のどこがいいんんじゃ?いずれ穀潰ごくつぶしになるんじゃなかね?」

 と悪口雑言を浴びせかけ、飯豊などは鼻にもひっ掛けないに違いあるまい。

 それでも・・・それでも行方不明のまま二度と会えないよりは、なんぼかましか?


 だが・・・。戻っていねが見たのは掛けてあった萱が半分ほど吹き飛んで、惨めな姿になった家であった。風のせいか半分空きっぱなしになった戸を潜ったいねはそこに母親がいないのを確かめ、外に出た。

「いらっしゃらねが?」

 磐根の問いにいねは小さく頷いた。

 その後ろで飯豊が深刻そうな顔をして立っていた。風に吹き晒され、髪が無造作に揺れているその姿は、どこかだいだらぼっち様に吹かれて壊れかけている家の様子に似通っているように見えなくもなかった。

「山へ見に行くが?」

 飯豊の言葉に、うん、といねは小さく頷いた。


 山へ行く、長らも一緒に行がねが?と、告げた飯豊の言葉に長は黙って首を振った。

「吾はこれから郡の役人のとこ、行かねばならぬ」

「じゃあ、他の里人はどだかね?」

 尋ねた飯豊に、

「たぶん、誰も行がね」

 長は答えた。

「なぜだ、昨日は皆、行ったでねが」

 驚いた飯豊に向かって、

「主が帰ってからの、皆で話し合ったんじゃが・・・」

 長の言うには、飯豊が去った後、里人の中から、

「あの娘は、山の神がそれ以上、中に入ってはなんねぇ、とのお告げをなされたのではないか?」

 と言う声が上がったのだそうだ。一人がそう言い出すと、山に入っていった者は皆、賛同した。娘の無残な姿に心が折られたのであろう。それ以上探しても、せいぜい同じような骸を見つけられるか、あるいはみな山の神の生贄となっており、戻ることはないだろう、と大勢の意見が決まったという。

「何より、あげな姿でもう一度出てこられては・・・なんもしょうのねぇ」

「そ・・・か」

 里人はあれを山の神の仕業だと思っている。その証左に山に入られた途端、消えたではないか、という事であった。

 だいだらぼっち様は海にも出なさる、と飯豊は思ったが、里人たちの考えに楯突こうとは思わなかった。

「なら、吾たちだけで行くべ」

「うむ」

 長は微妙な表情をした。もし、飯豊たちが山の神を怒らせ、それで里に迷惑が掛かったら、どうなる?というような悩まし気な顔だった。

 とは言え、後ろに控えているいねが母親を探しに出たいと言う気持ちを無下にするほど冷たい心の持ち主ではなかったし、自分たちも昨日までは山へ探しに出ようとしていたのであった。長は

「他の里人には言うな。山の神を怒らせるでねぇぞ」

 とだけ言うと、ぷいと横を向いた。


 飯豊が後ろに立っていたいねと磐根に長との話の結果を伝えると、磐根は怯えた表情になった。磐根が怯えた表情になったのは無理もない、長の言う、この地の山の神は崇められると共にひどく恐れられていた。

 山の神は怒れば、作物をだめにする風を吹かせなさる。また、火を熾しなさる。子を奪いなさる。地で育ったものは口伝くでんで言い伝えられたものは絶対であった。それはいねとても同じであったが、いねの意思は固かった。

「吾、一人でも行く」

 そう言ったいねの言葉に、飯豊は磐根を見遣った。

「汝のかか様は吾のことを嫌っておられたからのぅ。吾が行ったらどうなるか」

 いねを見ながらそう言った磐根をいねは睨みつけた。

「ならば磐根は来るな」

 今まで、あんちゃんと呼ばれていた磐根は出会ったころのように素っ気なく名前で呼ばれて、みるみる泣き顔になった。

「おっちゃんはどうなさる」

 磐根を無視していねは尋ねた。

「まあ、吾は行くことにする。だども、あっち側の山は吾の住む所と違って険しいぞ。大丈夫か?」

「なんとかなる」

 そう言うと、いねは歩き出した。飯豊は磐根を再び、ちらりと見遣った。その表情は、どうする、お前は思い人を捨てるか?その程度の思いだったか?と語り掛けていた。だが何も言わずに飯豊はいねの後を追うように歩き出した。




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