第3話

 最後の竹藪を掻き分けたいねと磐根の目の前に開けたのは川に沿った地であった。と言っても広さはさほどではなく、いねの家が耕している田畑と同じくらいであった。

「これは・・・」

 唸るような声を出した磐根に、

「どうじゃ、吾の土地じゃ。ここで吾は暮らして居る」

 と飯豊は自慢げに答えた。

 だが・・・土地を耕した跡もなく、川に沿って細々と青菜のような物が植えられているだけであるのを見て、いねは首を傾げた。このお人は、畑仕事もせずにどうやって食っているのだろう?その上自分たち二人まで抱え込んで、どうやっていくつもりであろう?


 川の手前側には岩山がありそこに洞窟のような穴が三つほど空いていた。その一つに飯豊は迷うことなく入っていった。

「ここで寝泊まりするが良い。吾は向こうの穴で寝泊まりをする」

 そう言った先に、藁で作った寝床があった。いねと磐根は顔を見合わせ頷きあった。穴の入り口は少し高く、葦で編んだ戸も備え付けられなんとか雨も凌げそうである。

「食い物はどうなる」

 磐根の問いに飯豊は、

「こっちさ、来」

 と自分の住む穴に手招いた。

 その穴は主が長らく暮らしていたせいか、新しい穴に比べて生活じみていた。寝床には寝た跡が人の形を作っていたし、石の壁もどこか油じみている。その奥から古い壺を一つ、底の縁を回しながら運んできた。

 中を覗くと茶色じみた白い粉が詰まっている。

「何ですか、これは?」

 磐根が首を傾げると、

「木の実を砕いて水に晒して乾かす、それでもって挽いた粉よ。秋に集めておくのじゃ。熊や猿と争っての」

 と飯豊は即座に答えた。

「それを団子にして煮て食う」

「そげなものですか・・・」

「意外とうまいぞ」

 飯豊は得意げに言うと、

「あとは山の中で食える草を教えよう。それに・・・」

 と川を指さした。

「川に魚がおる。それを捕まえる」

 そう言うと、

「腹が減ったじゃろ」

 磐根といねを見た。二人が頷くと、最後の穴の前に二人を導いた。

「この穴は竈代わりじゃ。ここで煮炊きをするが、昼間は煙があがるからせん。人をおびき寄せるからの。夜に煮炊きをして朝の分も賄う」

 そう言うと、穴の中に入って団子汁の入った木の椀と割った竹に盛られた魚を磐根に突き出した。

「うまそうじゃの」

 磐根は目を輝かした。

「あんたの分もある」

 そう言うと飯豊は再び穴の中に入って、もう一組の飯をいねに渡した。

「ありがたいことです」

 いねが礼をして受け取ると、飯豊は妙に恥ずかし気な顔をした。

「まあ、こんな暮らしだが、暫くの間じゃ。国主が諦めたら、そっと国を出ることにすればよい」

「どこへ?」

 磐根が尋ねると、

「吾が昔暮らしていたところじゃ。知り合いがおる。きっと三人くらいの暮らしはしていける。なんせ、国主が変わったからの。今度の国主は昔と違って良い国主だと聞く。戸もなんとかなるじゃろ、という話だ」

 戸とは戸籍のことでそれなしには流浪の民として扱われる。

「三人で・・・?」

「形だけはな。戸を作るためには吾を戸主とせねばならん。その子供として汝らを戸にいれるのじゃ」

 飯豊はそう言ったが、

「なに、戸に拘ることもない。流浪の暮らしでも構わん」

 と声を落とすと、渡された食料を見詰めていた二人に、

「さ、

 と勧めた。飯豊の言うほど団子は旨くはなく、どことなくぼそぼそとした感じであったが、魚は間違えなく美味かった。


 飯を食い終え、椀と竹の入れ物を川で洗うと、いねは磐根の横に座った。

「かか様は・・・どうなるじゃろ」

 呟いたいねに、

「考えても仕方ね。なに、それほどの罰を受けることもないじゃろ」

 励ました磐根だったが、いねの心は沈んだ。

「殺されはしねか?」

「そんなことはあるめぇ」

 磐根は即座に言った。それをそばで聞いていた、飯豊が、

「吾がちょっくら見に行ってやる。なに、今日の所は大丈夫じゃろ。歌垣は明日、と聞いておる」

「そだけど・・・」

 いねは空を眺めた。

 空だけは・・・昨日までと同じだ。


 日が落ちると飯豊は独りで自分の洞窟に入っていった。空には眩いばかりの星が溢れ、上弦の月がゆっくりと動いていく。

「なんで・・・あの人は吾らを助けてくれるのじゃ?」

 いねは尋ねた。

「国主に一泡吹かせたい・・・そう言っておった」

「そうか・・・」

 それだけであろうか?いねは何度か、飯豊が遠くから自分の住む家を見ていたことを思い出した。その時は・・・普通の暮らしをしている自分たちを羨んでいるのだろうか、そう思った。だから特に自分たちだけではなく、他の家もそうやって見ているのだろうと気にしなかった。だが、話してみると飯豊が普通の生活を羨んでいるようにも思えなかった。

 それに・・・もし昔暮らしていた場所に戻る手段があり、飯豊がそれを望んでいるならば、なぜ独りで戻ろうとしなかったのであろうか?

 拙い言葉でいねがその疑問を磐根にぶつけると、磐根は暫く考え込んだ。

「だども・・・」

 ゆっくりと磐根は答えた。

「吾は・・・あん人の言う事がおかしいとは思わん。てて様を殺されたんじゃ。恨みを晴らしたくもなるじゃろ」

「そだな」

 いねは言った。ほんとうのところは飯豊の心の中にある。磐根と自分がいくら話しても、飯豊の心の中までは覗けまい。

「寝るか」

 磐根が言った。

「うん」

 いねは答えた。


 翌日、

「じゃ、ちょっくら見に行ってくる」

 と言って竹林を掻き分けて出て行った飯豊を見送ったいねは、深い溜息を吐いた。昨日はよく眠れなかった。いつもと違う床についたせいもあるが、やはり母のことが心配だった。家を出る時は思いを吹っ切ったはずであったが、それまでずっと二人暮らしで片時も離れたことがないのである。それまでは吝嗇で、居丈高で、そのうえ卑猥な母をどこかで憎んでいたがいざ離れてみると、自分のせいで母が酷い目に会うのは忍びない気持ちがあった。体に手を伸ばしてきた磐根に応じることもなく、ようやく寝付けたのは朝方近くだった。

「しんぺえか?」

 隣に座って尋ねた磐根に、こくりと頷いた。昨夜拒否されたこともあってか寝起きの磐根は少し不機嫌そうだったが、今はちょっこりといねの傍に座っていねの事を心配げに眺めている。磐根自身は父も母もまだ子供の時分に、父は病で、母は水に流されて亡くなっていたので係累と言えば叔父が一人、その叔父ともさほど仲良くなかったせいか、村を離れる時もさっぱりとしたものであった。だが愛しい人が肉親を心配する気持ちを察することができないほど磐根は愚かではない。

「やっぱ、かか様も連れて逃げるべきだったか?」

 逃げる話をした時、磐根は一度だけ、かか様も一緒に連れて来るか、と聞いた。だがその時、いねはきっぱりと首を振ったのである。

「それは無理だった」

 いねは呟いた。今、娘が逃げたと知って母はなぜ自分が残されたのだろうと思っているかもしれぬが、もし事前に逃げると聞いていたら絶対にそれを認めなかった。いねはそのことを知ってる。このやり方しかなかった。そういねは知っている。それを知った上で嘆いている。

「もう、おらにはおめえしかいね」

 涙を浮かべて自分を見上げたいねを磐根は静かに抱きしめた。


 飯豊は昼過ぎに戻ってきた。

「どうだった?」

 と尋ねた磐根に飯豊は眉を寄せた。

「あんま、よろしくねぇな」

 その言葉にいねは縋りつくように飯豊に尋ねた。

「ひどいめにあっていたのけ?」

「いや、そうでもないが・・・」

 俯いた飯豊に、

「教えてくんさい」

 といねは迫った。磐根は横でいねを痛々しそうに見ていた。

「汝のかか様は籠に込められて連れて行かれた」

 籠に込められる、というのは罪人に対する仕打ちである。

「そうけ・・・」

 いねは項垂れた。

「なあに、まだ刑が決まったわけではあるまい」

 巌根が慰めた。その巌根に向かって、

「汝たちもうかうかしてはいられねぇ。汝らを探すよう触れが出たそうじゃ。今国衙に人を集めておるらしい」

 飯豊は淡々と続けた。げっ、と巌根が仰け反った。

「なあに、ここで暮らすぶんには心配あるめ。だが絶対に外に出てはなんねえぞ。きゃつら国の外に出ると思ってそっちに人を送る算段だ。女の足と侮っているようで、ずいぶんとのんびろとした構えじゃ。もしかしたら歌垣があるからかもしれん。いずれにしろ、しばらくすれば解ける。それから逃げればいい。それより・・・」

 と、飯豊は空を見上げた。

「妙な天気だ」

「ん?」

 磐根は釣られて空を見た。

「そうじゃろか?」

 生暖かい湿気を含んだ風が吹いてはいるが、空は晴れている。ただ、西の空に黒っぽい雲がみえるだけだ。ここは低い山で木々が遮っているから空全体は良くは見えないが、特段変わったこともない。

「吾が昔住んでいたところはここよりずっと海の近いところでの」

 飯豊はぼそりと言った。

「はあ」

「そこでこんな天気の日にだいだらぼっち様が出た」

「だいだらぼっち様?」

「ああ」

 飯豊は頷いた。

「でけぇ足をした神様での。顔は見えねぇほど背の高い神様じゃ」

「そんな神様がおるけ?」

 磐根は驚いたように言った。

「おる。おらが見たのは海の上じゃ。まんず魚を獲りに来られたのじゃろ」

「・・・」

「でっけ、足しか見えなんだ。翌日だいだらぼっち様が食べ残された魚がおかのそこらじゅうに散らばっておった」

「ふうん」

「その時の空とよく似ておる」

 そう言ってもう一度、磐根は空を仰ぎ見た。

「ここらへんには魚はおらん。そんな神様は出んのではないかな」

 磐根は言った。彼らが籠っているのは小さな岩山で、そこから遠く行けば大きな山々に連なる場所ではあるが、大半は田畑の広がる平らな地である。その境目にいねや磐根の暮らしていた場所があるのだ。だが、

「だいだらぼっち様は陸に出た時は人や獣を食う、そう聞いた」

 と飯豊は答えた。

「まさかに・・・」

 磐根は胴震いをした。それは話が恐ろしかったせいではない。山の方から吹いてきた冷たい風のせいだった。

「何か、良くないことが起こりそうな気がするが」

 飯豊の呟きに、ふと不吉な響きを感じていねは身を固くした。


 それから半時ほどした。いねと磐根は洞窟の中で磐根が持ってきた布を捌いていた。居させて貰う礼に飯豊に新しい衣裳を作るためだった。飯豊はそうしたことに無頓着で、着ているものは磐根やいねのものより粗末だった。燃やしたらあっという間に灰になってしまうほど薄かった。それに、少し匂った。飯豊自身はあまり気にしていないようだったが、流浪の身の慣れが哀れに思えた。

 いねが布を纏め置いたその時、

「来、来」

 と飯豊の叫ぶ声が外でした。

「なんじゃろ」

 いねは布を置くと、磐根と共に穴を出た。陽は照っていたが、西にあった黒雲はむくむくと空の半分を覆っていた。突然、激しい風が吹きつけいねはたたらを踏み、転びかけた。その体を磐根がむんずと掴むと飯豊に声を掛けた。

「おっちゃ、どうした?」

「見よ」

 飯豊の指の先に見たことのない風景が広がっていた。黒い漏斗のような影が二本、向こうから近づいてくる。黒く忌まわしいその姿は確かに巨人の脚のように見えた。

「あれが・・・だいだらぼっち様じゃ」

 飯豊が震える声で言った。

「吾が前に見たものは片脚のだいだらぼっち様じゃったが、これは正真正銘のだいだらぼっち様じゃ」

 二本の影は這うようにこちらに向かって進んでくる。

「あ・・・」

 いねは叫んで磐根に掴まれた手を振り払うと、昨日やってきた小径へ向かって走り出した。

「どした、いね」

 慌てて磐根がその後を追い、飯豊も続いた。

 激しく吹き始めた風が木々の葉を揺らし、いねの行く手を撓んだ枝が阻んだが、いねは駆け続けた。藪椿のこんもりとした姿を無闇に掻き分け、山道へ出ると下を見た。

「だいだらぼっち様」はさっきより遥かに近づいていた。

「おおっ」

 いねの後ろをついてきた磐根が、その姿と風の強さに腰を抜かすようにして座り込んだ。だが、いねは懸命に堪えたまま立っていた。

「ああ・・・」

 いねが悲鳴を上げながら指さしたのを男たちは固唾を呑んで見守った。「だいだらぼっち様」の片脚が国主の住む国衙の建物にかかる所だった。

 最初に屋根が引き剝がされた。めりめりという音が聞こえてきそうだった。そして、次に壁が空を舞った。巻き上げた砂の中に人影がいくつか見え、消えていった。

「かか様・・・」

 役人に連れていかれた先は国衙に違いあるまい。だとしたら・・・。

「いね・・・あぶねぇ」

 へたりこんでいた磐根が右手を指した。

 国衙に気を取られていたせいか、「だいだらぼっち様」のもう片脚が右手から山に迫っていた。

「ふせろ」

 飯豊の叫び声が聞こえた。



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