第2話

 目が覚めた時、初めに感じたのは生臭い鉄の匂いだった。


「……あれ、ここって」

『少女よ、ようやく目覚めたか! いきなり狂化を使いこなすとは、なかなかの逸材だ!』

「あなたは、誰? ……声が女の子みたいになってるし」

『我の名、か。良いだろう良いだろう。少女が再度我が名を聞きたいというのなら、我はそれに応えるとしようではないか!』


 寝起きの頭の中にガンガンと、大きな声が鳴り響く。

 うるさいなぁ……。


『我こそは虚飾の悪魔! ヴァニタス様だ! 少女は何という名だ?』

「私は、アン。アン・ケーヘン。それでその、ヴァニなんとかさんが、どうして私と契約を……?」


 肉片が散らばるところにずっといるのは精神衛生的によくない気がしたので、この場を離れる。

 その時も、少女の高い声は私の頭の中でしゃべり続ける。


『ヴァニタスだ! アン、か。良い名だな!』

「どうも……?」

『我が契約を結んだ理由、か。話せば長くなるのだがな、簡単に言えばアンと契約することで我が元居た場所――悪魔界、とでも呼ぶとしよう。そこから逃げ出したのだ』

「逃げ出した? なんでまた」


 崩れた馬車まで戻る。胸に穴の開いたおじさんが、冷たくなって倒れている。

 私は、少し考えてから大きめの馬車の破片を手に取り、穴を掘り始めた。


『何百年も前に傲慢の悪魔が、悪魔界に革命のようなものを起こしたのだ。それによって、もともと存在していた「八つの枢要罪」は解散させられ、新たに「七つの大罪」が出来上がった』

「うん」

『それから「七つの大罪」の奴等は、我々のような元「八つの枢要罪」の悪魔を殺しに来たのだ。我も応戦したが、勝てる見込みは薄かった』


 なんだかよくわからない話だ。悪魔界? 八つの枢要罪? 聞いたこともない。

 とはいえ、頭の中で少女の声が聞こえるという、聞いたこともない現状を目の当たり(見えてないけど)にしている以上、嘘だとも断言できない。


「それで?」

『我は思念体だけを放ち、契約者を探していた。そこで見つけたのが、男に破廉恥な目に遭わされそうになっていたアンだ』

「なるほど」

『契約さえ結んでしまえば、契約者が死のうと構わないと思って適当に交わしたのだが……思いのほか、我の能力を十二分に扱えるようだ! 我は嬉しいぞ、アン!』


 死んでもよかったんかい!

 とはいえ、あそこで契約を交わさなければ奴隷にされていただろうし、そう考えると私はこの悪魔に頭が上がらない。


「大変だったんだね」

『この虚飾の悪魔をもってしても、死にかけた! マジでやばかった。ほんとに……うん』


 ……なかなか、残念なオーラが漂う悪魔だ。


「私の頭に変な尖ったものが生えてるのも、契約のせい?」


 私は自分の額より少し上のあたりを触った。

 小さくて硬いものの感触。


『おそらく契約のせいで、アンの体が悪魔になったために生えた角だろう』

「へー、そうなんだ……え?」


 今、大変なこと言わなかったか、このポンコツ悪魔。


「ちょ、ちょっと待って。え、私、悪魔になったの?」

『悪魔である我の魂を体に抱えたのだから当然であろう? しかしまあ、小さな角だ』

「聞いてない聞いてない。悪魔になるなんて。え? そもそも悪魔って何なの?」

『それは人間に「人間って何?」と聞くようなものだぞ』


 哲学かな?


『……おそらくだが角が生えた、人間のアップグレードバージョンのようなもの、と考えていいのだろう』

「私はもう、人間じゃないのかぁ……」

『まあ、そんな小さな角では人間の上位とたいして変わらん。気にするまでもないだろう?』

「そういう問題じゃないの!」


 怒りを、穴を掘る手に込める。比較的柔らかい土壌だったので、そこまで力はいらない。

 とはいえ、人ひとり分なのでそこそこの大きさは必要だ。

 もう少し時間がかかる。


「角って……見えないよね?」

『髪に隠れて見えんよ。どうしても気になるのなら常に外套でも被っておけばよい』

「諦めるしか、ないかぁ」

『外套を被りながら大槌を振り回す少女か。……なんとも頓珍漢な奴だ!』

「ヴァんとかに言われたくないよ!」


 額から滴る汗をぬぐう。

 角が手に当たって、少し複雑な気分になった。

 ふぅ、と一息ついて馬車の中からおじさんの運び出す。

 死後硬直のせいか、体は石みたいに固くなっていた。


フィジカルエンハンス筋力上昇


 重たい体を、ゆっくりと穴の中におろした。

 土で埋めていく。身体が、埋まってゆく。

 瞳孔の開ききった瞳が、私を見ているような気がした。


『ヴァニタスだ! というか、男を土に埋めて何をしているというのだ? 日が暮れる前に首都へ行かねばならぬだろう?』

「お墓……って程上等なものじゃないけど、野ざらしはかわいそうだから。それに、終わったからもう行くよ」


 最後に一本、棒を突き刺して手を合わせた。


「おじさん、ありがとうございました」


 空は馬鹿みたいにきれいに晴れている。

 世界中にあたたかな光を届けている太陽に背を向けて、私は歩き出した。

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