今日も少女は、虚飾を纏う。

黒瀬くらり

序章

第1話

 ――伝道者は言う。空の空、空の空、いっさいは空である。


 引用『旧約聖書』より。


 ○○○


 絵に描いたような青い空をかき分けるように、馬車は首都に向けて着実に進んでいく。

 整備のされていないでこぼこの道を、文句も言わずにずっと進み続ける。


「ううぅ、お尻痛くなってきたなぁ……」


 私――アン・ケーヘンは、お尻を軽く撫でた。

 道が凸凹しているからか、はたまたこのベンチが固いからなのか、滅茶苦茶お尻が痛い。多分もう尾てい骨砕けてると思う。


「そりゃあ、こんな安い馬車だからなぁ」


 私の前のベンチに座っているおじさんが、痛がっている私の様子を微笑ましそうに見た。


「高い馬車だと、痛くないんですか?」

「そりゃあそうだ。ケツの部分にはやわらけぇクッションが敷かれてて、全然痛くねえんだ」

「へぇー! そうなんですか! ……私もいつか、お尻が痛くならない馬車に乗れるようになりたいですねぇ」


 おじさんは、にこにこと笑いながら私に馬車について教えてくれた。

 馬車で横になって眠れるぐらい柔らかいらしい。


 道理で、と思った。偉い人たちが乗っている馬車はお尻の部分が柔らかいのだろう。だから、いくら乗ってもお尻の形が変形しないのだ。


「夢はでっかく、だもんな! 応援してるぜぇ~? ……ま、俺も高ぇ馬車に乗ったことないんだがな?」

「ないんですか!? さっきあんなに見てきた風に教えてくれていたのに!?」


 おじさんを話し相手にしながら、ゆっくりとこの国の首都に向かって馬車は進んでいく。

 話していると、何となく、お尻の痛みも紛れているような気がした。


 そんな、私にとっての夢への平和な一歩。

 小さなときにお母さんが教えてくれた『ヴィルヘイムの冒険』に憧れて、私も冒険者になって三つのダンジョンを踏破――いいや、隠された四つ目のダンジョンも、踏破するという夢を叶えるんだ!

 ……私が使える魔法は補助魔法だけだから、仲間と一緒に。


「若くて、いいねぇ」


 おじさんは、目を細めながらぼそりとつぶやいた。


 ――その時のことだった。

 突然、馬車が止まった。


「あ、あれ?」

「野生動物が出たとか、そんなだろ。しばらくしたら動き出すさ」

「そう、ですかね?」


 おじさんが言うならきっとそうなのだろう、そう考えて少しそわそわしながら座りなおした。


 その時だった。

 馬車の扉が乱暴に蹴り破られ、ナイフを持った男が私を舐めるように見た。

 背筋に何かが這うような気持ち悪さを感じて、思わず、奥のほうに逃げた。


「一人は労働奴隷だな。手と足が合わせて四本ありぁいいだろ。んで、もう一人のガキは――高く売れそうだ」


 欲望に塗れた笑みと、汚らしい姿。

 その男は盗賊だった。


 怖い、怖い、怖い――!


「お前ら、こんなことはやめろ!」


 おじさんが私の前に壁になるように立ってくれた。

 人に隠れられたことと、守ってくれたことにほっとして、力が少しだけ抜ける。


「俺はともかく、この子には未来があるだろうが! この子だけは」

「黙れ。お前より、このガキのほうが金になるんだよ」


 おじさんの背中から、何かが出てきた。

 鋭利で、尖っていて、それは、男が持っていたナイフに酷似していて――!


「っ――」


 息が詰まった。


「あーあ、死んじまったよ。こいつ。まあいいや、労働奴隷なんてはした金にしかならねぇし。それに、こんな上等なガキがいるしな」


 男は私に手を伸ばした。

 震える身体を必死に揺らして、奥へと逃げる。

 すぐに最奥にたどり着く。男は大股で、怖がる私を楽しむようにゆっくりと大きく歩を進めている。


 いやだ。怖い。

 助けて、だれか、誰でもいいから――助けて!


『ああ伝道者よ。まさにその通りだ。空で空で空で空で、いっさいは空だ』


 頭に声が響いた。声は、妙齢の女性のしっとりとした美しいものだ。

 それと同時に世界が止まった。

 身体を揺さぶらせることもできない。なのになぜか、頭だけは動いているし、声だけは聞こえる。


『だからこそ少女よ。我と契約を交わせ』

『我は虚栄。我は、美しきがらんどう』


 私の足元に、暗い紫色に輝く魔法陣が描かれていく。


『我は虚飾きょしょくを司りし悪魔』


 ついに魔法陣が完成した。それは、怖くて近寄りがたいはずなのに、どうしてか手に取ってしまうような魅力を放っていた。


『我が名は、ヴァニタス』


 そして、魔法陣は光り輝き、私はその光の中で――悪魔と契約を交わした。


「さて、もう逃げきれないぜ? ……って、なんだその頭」


 時間が動き出す。殺されたおじさんを踏みつけながら、盗賊は近づいて、私の腕を掴もうとしてくる。


 頭から何かが生えてくる。それと同時に悪魔の力の使い方を理解していく。

 そうかそうか。これはきっと――私のための能力だ。


 殺してやる。かけらも残さず、ぐちゃぐちゃに。


フィジカルエンハンス筋力上昇


 死んだことすらわからないほどに無残に。


アジリティエンハンス速度上昇


 相手がもし攻撃してきても傷一つつかないように。


ディフェンスエンハンス防御力上昇


 タタキツブシテヤル。


「召喚、虚飾の大槌」


 圧倒的に、ぶち殺す為に。

 私は--そう。


「虚飾を、纏おう」


 そこからは、考えることなどなかった。

 目の前の男を叩き潰した。

 外にいた盗賊を一人ずつ。一人ずつ。

 念入りに潰していった。


 狂気が私をじわじわと支配していく。

 全員を殺したころには、目の前が真っ赤になっていた。


『落ち着け少女よ。……それにしても、我が能力にこのような使い方があるとは、たまげ――』


 再度聞こえた声を聴き終える前に、私は意識を手放した。

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