第38話

 ゆっくり考える時間は考える時間としておいといて、人生には楽しみも必要だ。


 そう主張したらサクはすんごく変な顔になって、もう勝手にしろって感じで怒られすらしなかった。呆れて物も言えないとはこのことだっていうご様子。

 むしろ怒ってくれた方が反発もできるし言い訳もできて楽なんだけど、そうは問屋が卸さないらしい。


 サクとタロはビール、私はオレンジジュース、真理子は烏龍茶、祐子はカシスオレンジ。

 祐子の半端ない女子力は飲み物の選び方一つにまで明らかだ。真理子のチョイスは成人するまでお酒は飲まない真面目派らしい。全員ビールを期待していたらしい店員さんが少し嫌な顔をしつつ用意してくれたグラスを持って、みんなで幹事の顔を見た。

 幹事は珍しく真理子。


「はい。みんな、テストとレポートおつかれさまでした。夏休み入っちゃうと会うとき減っちゃうけど、遊びにいくときとかには誘ってくれると嬉しいです」


 タロがうんうん頷いている。真理子はもちろん気がつかない。

 慣れない演説でちょっとはにかんだ真理子は、そのままグラスを持ち上げた。


「じゃ、とにかく乾杯しよっか。かんぱーい」


 グラスをぶつけてしまえばあとはいつもの飲み会だ。この五人で集まって遠慮なんてするだけ無駄。ちょっとかっこつけて真理子に乾杯の音頭なんてとらせてみちゃったけれど、もしかするとそれもなくたってよかった。

 そんなこと言ったら真理子は落ち込んで、タロは怒ると思うけど。


 名目はテストお疲れさま会。名目だって本当はなくてもよかったんだろうけれど、改まって名目をつけた飲み会だからこそ、サクを前にしても行くと言いやすかった。真理子、ぐっじょぶ。


「そういや、今年の夏休みもどっか行く?」


 テストがどうだったとか進級できそうだとか成績はとか、そんな話が一通り収まった頃にサクが言い出した。誰かがちゃんとそんな話を始めるだろうと思っていた。言い出すのはタロかとも思っていたけれど。


 去年は真理子と出かけたい一心のタロの企画で、湘南の海に一泊二日の小旅行をした。

 それからサクが日帰り海ほたるドライブを企画した。そのドライブを私は諸事情によりパスすることになって、私のドタキャンを知ったサクがどれだけ不機嫌になって車の中がどれだけ居心地悪くなったかと、あとで祐子からとくとくと説教された。


「はいはーい。私、去年海ほたる行けなかったから行きたーい」


「却下。俺らは行ったんだっつの。ドライブ行くなら違うとこ行くし」


 彼氏さんのご機嫌取りもかねて提案したつもりだったのに、当のサクからダメ出しが出る。甘くない。


「あ、ねえねえ。舞浜行かない? 夢の国」


 彼氏と別れて夏休みの予定がからっぽになってしまった祐子はノリノリだ。真理子がランドよりもシーに行きたいなと控えめに主張しても、案外寛容に、どっちでもいいよとのたまった。もちろんタロは大賛成。


「じゃ、決まりな。いずみ、今年はドタキャンすんなよ」


「しないよう」


 そう答えてはみるけれどわからない。去年だって、企画の時点ではドタキャンするつもりなんてなかったんだから。むしろ最初から欠席が決まっていたなら、ドタキャンなんて言わない。


 サク主導で全員の合う日取りを決めた。祐子は上機嫌。真理子は嬉しそう。嬉しそうな真理子を見て、タロも鼻の下を伸ばしている。こらこら。


 そんなタロを見ていて、ふと突然、閃くように思い至ったことがあった。ここ数日エッセイのことばかり考えていたから、そんなことが頭に浮かんだのかもしれない。


 ——タロの気持ちは、真理子よりも私たちの方が、よくわかっているじゃん。


 当事者の気持ちは当事者が一番良くわかっているものだと思っていた。けれどよく考えてみれば、タロの気持ちは真理子には理解されていない。あるいはシュン君の気持ちを感じ取ることは、付き合っていた当の祐子にさえできなかった。

 近くにいたからといって、当事者だからといって、一番わかっているというものでもないのかもしれない。

 案外と、周りの方がちゃんと状況を把握しているってこともあるのかもしれない。


 じゃあ、翔のことも?


 私の心の中にいる翔を、私の記憶にいる翔を、ちゃんと思い出そうと思っていた。

 中村やサクの話はあくまでも参考、あくまでも手がかりだと思っていた。けれどもしかすると、二人の話す翔の方が私の思い出す翔よりも、現実に近かったのかもしれない。

 私が覚えているのなんてほんの一部分にすぎないし、その一部分だって、もしかしたら誤解に誤解を重ねて全然違うものになっているかもしれない。なんて。


 ぼーっとしていたからだろうか。気がつくともう、テストお疲れさま会はお開きの雰囲気を醸し出していた。そもそも幹事の真理子が私と同じ冊子の締切をかかえている身なのだ。早めに解散になっちゃうかも、という話は前々からあった。


 ちょっと淋しそうなタロの視線に真理子は全く気がつかないで、二次会の流れにも全くならず、私たちは平和的に飲み屋の前で別れた。

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