思ひつつ

南波なな

第1話

 目が覚めて、初めてそれが夢だったんだと気がついた。


 考えてみれば、今更私が翔と並んで授業を受けているはずはないのだし、いくら記憶を遡ってみても、翔と授業中に密かに手紙をやり取りするなんていう、危ういことをやった覚えもない。


 だから夢と気付いてもよさそうなものなのに、いつもそうと気付くのは、夢から覚めてからなんだ。


 いつまでも繰り返し目覚めの時刻を知らせようとするスマホのアラームを解除して、私は再び目を閉じる。


 もう一度眠って、同じ夢を見ることができればいいのに。


***


「おはよう……」


 昼休みの始まる頃に大学に着いて、いつものメンバーのたまり場であるラウンジの隅の丸テーブルへ、のろのろと足を運んだ。


 私よりも先に着いていたのは、真理子だけだ。真理子のお嬢様らしい黒髪のロングヘアが、近寄りがたいほどの上品な空気を作り出している。とてもじゃないけど、私とは住む世界が違う。そのうえ背筋をぴんと伸ばした姿勢で迎えられたので、さらに緊張してしまった。

 けれどすぐに、真理子はいつでもこんな姿勢だったとすぐに思い出す。いつでも猫背の私とは、対照的でいらっしゃるのだ。


 真理子が私に、柔らかく優しく、天使のような微笑みを向けてくれた。近寄りがたい雰囲気が、それだけで一気に和らぐ。


「おはよう、いずみちゃん。眠たそうだね」


「二度寝して、さっき起きたばっかなんだ。ほかのみんなは?」


「まだみたい。授業かな?」


「ふーん。あ、そういえば、サクは私と一緒の二限があった気がする。そろそろ終わるかな」


 たった今、思い出したというふうに言ってみる。

 本当はスマホのアラームを止めたときからわかってはいた。けれどそんなことを言ってしまうと、それならなんで私は授業に出ていないのって、真理子に怒られちゃうから。

 せめてものカモフラージュ。今思い出したのだという体を、精一杯アピールする。

 それでも真理子は、私の答えに苦笑いだ。これはたぶん、私のごまかしに気付いている。


「いずみちゃん、あんまり授業さぼっちゃ駄目だよ?」


「サク、代返しといてくんないかな……」


 出席カードに名前を書いて、授業の終わりに出すだけで出席は認められる。彼がカードを二枚もらって、私の名前も書いて出してくれていればいい。そうすれば、私も出席したことになる。

 そんな淡い期待は、突然後ろからかけられた声のもとに霧散する。


「残念でした。代返してほしけりゃ連絡しとけよ」


「わ、急に声かけないでよ。しかも、気が利かない」


 俄かに話に入ってきたのは、我らがメンバーのチャラい男担当、田中朔也。通称サク。主に授業の代返のために、私が最も頼りにする友人。それなのに、肝心なときに役目を果たしてくれないなんて。

 私の言うことなんて聞こえないふりをした彼は、勝手に私の隣に座った。そうしてへらへらと笑いながら、向かいに座る真理子に親しげに話しかける。


「おはよ、真理子。今日も綺麗だなあ」


「おはようサク君。サク君って、誰にでも綺麗って言うよね」


「あ、ばれてる?」


 薄茶に染め上げられたサクの髪が、窓から差し込む日差しを受けて金色に輝いた。先月は光を受けなくても金色だったことを思えば、比較的落ち着いた色だと思う。

 今の色の方が私の好みではあるけれど、染め直した当初はチャラ男のアイデンティティ喪失かってみんなで騒いだものだ。今ではもう慣れてしまって、誰も何も言わない。髪の色がどうであれ、サクはサクだ。良い意味でも、悪い意味でも。


「腹減ったー」


 サクがガサガサとコンビニ弁当を開ける。今日は電子レンジ不要の冷たいたぬきうどんを買って来たようだ。それからおにぎりを二つ。本当に全部食べきれるんだろうか。食べるんだろうな、サクだから。

 サクにあわせて、真理子も鞄からお手製のおにぎりを取り出す。

 じゃあ私もと言って、私は家の台所から適当に選んできたカップ麺を取り出した。すぐ隣の学内コンビニでお湯を入れるために、席を立つ。


「やべっ。箸もらい忘れた。いずみ、ついでに割り箸一個もらってきて! よろしくっ」


「えええ、めんどい」


 学内コンビニでは店の外に電子レンジだとか給湯ポットだとかが置いてあって、コンビニで買った弁当以外も温められる。学生に優しいコンビニだ。たぶん、学生が多すぎて、コンビニで買った物限定なんてルールを作っても、誰も守らないからだろうと思うけど。

 同じく、学生に優しく「ご自由にお取りください」と書かれたケースから、割り箸を一膳取りだす。もちろん自分用。

 それでも、少し悩んでからもう一膳手に取った。なんて優しいんだろう、私。代返してくれなかったサクのために、割り箸をもらってあげるなんて。


 カップの縁ギリギリまで注いだ湯をこぼさないように、慎重につま先で歩いて戻る。


 そうしたら、いつの間にかタロと祐子も、既にいつもの位置に座っていた。それぞれ持って来た昼食を鞄から取りだして、テーブルに広げ始めている。


 小野真理子、田中朔也、鈴木太郎、高橋祐子。

 そして私、藤原いずみ。


 私たち五人はこうして、いつも通りの昼休みを始める。

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