第38話 行き先

 ◇ 33 ◇


「──いなくなった?」


 ホテルの部屋で、窓際に立ってスマホを耳に当てていた結花は、素っ頓狂な声を上げて、ベッドに横になっている里桜を振り返った。里桜が身体を起こして結花を見返す。差し込んでくる西日に晒されて、里桜の顔が赤く染まっている。結花はスマホをスピーカーモードに切り替えると、

「それって、どういうことですか」

 と尋ねた。


「どうもこうもないんだ」


 電話の向こうで森繁がため息をつく。


「トンネルから戻ったら、どこにも志緒理くんの姿がないんだよ。宿にも帰っていない。そうしたら彼女、ぼくが警察に行ったりしている間に、ひとりで飛行機に乗ってたんだ。信じられないだろ? なにも言わずにそんなことするなんて」


「まあ、確かに志緒理さんらしくはないですね…。ていうか、いま警察っておっしゃいました? なにがあったんですか」

「…電話だとちょっと言いにくい話でね」


 結花が里桜と顔を見合わせる。


「とにかく、そっちにも行っていないんじゃ、お手上げだな」


 森繁はもう一度ため息をついた。


「先生はいまどちらに?」

「羽田だよ。志緒理くんを追いかけようと思ってさ。頼み込んでなんとか席を譲ってもらったんだ。大変だったよ」


「じゃあ、一度合流しませんか。お話を聞きたいのもありますが、父を紹介したいですし」

「わかった。じゃあ、ホテルに向かうよ」


 結花が赤いボタンを静かに押して通話をオフにする。


「…どうしたんだろう」


 里桜が考え込むように言った。


「胸騒ぎがする…」

「そうだね…」


 結花は里桜の言葉に小さくうなずくと、窓の外に立ち並ぶビルの姿をジッと見つめた。


***


 森繁は電話をポケットにしまうと、浜松町行きのモノレール乗り場に向かった。短い間にいろんなことが起こりすぎて、さすがの森繁も頭がパンクしそうだった。浮かんでくるのは後悔ばかり。


 ──どうして、あのとき…。志緒理を強引にでも引き留めておかなかったのか。森繁は自然と、トンネルでの出来事を思い返していた。


 ──あのあと。


 穴の奥で…ぼくは沖山の無残な死体と割れた円筒鏡を発見した…。なにが起こったのかは、一目瞭然だった。おそらく…志緒理くんは…ヒイミさま本体を見たのだ。そして…いなくなった。ああ…。志緒理くん、君は今、いったいどこにいるんだ。そのときポケットの中でスマホが震えて、森繁は我に返った。ほとんど無意識のうちに画面をスワイプする。すると「もしもし」と言うより早く、

「わしだ」

 という大きな声が通話口から漏れてきた。霊能者の扇柳だった。


「ああ、扇柳さん。どうしました」

「どうしましたじゃないぞ、森繁。なにがあった?」


 扇柳はいつになく早口で、興奮しているようだった。


「え、というと?」

「島でなにかしたな?」


 直球で聞かれて、森繁は一瞬口ごもった。


「ま、まあいろいろありましたが…」

「のんきなことを言っている場合じゃないぞ。ヒイミの呪いがあちこちで解けておる」

「ええっ」


 森繁はモノレール乗り場に響き渡るほどの声で驚いた。


「葬ったのか。奴を」


 扇柳の言葉に、森繁はなんと応えるべきか迷った。葬った、とはとても言えない。わかっているのは、沖山が死んだことと、円筒鏡が割れたこと、それから志緒理がいなくなったことだけなのだ。


「どうした、森繁。いつものおまえらしくないぞ」


 扇柳にそう言われて、森繁は力なく「ははは」と笑った。と同時に、扇柳であれば、志緒理になにがあったのか…そして今どこにいるのかを突き止められるのではないかと思った。


 森繁はスマホを強く握りしめると、神妙な声で「扇柳さん、聞いて欲しいことがあるんですが」と言った。


 それから森繁は、堰を切ったようにこれまでのことをまくし立てた。


「──それで、トンネルの向こうから志緒理くんが歩いてきたんです。真っ暗闇を堂々とね。ぼくは妙な感じがして『君は志緒理くんだよね』と尋ねました。すると彼女は…ぼくを押しのけて、また暗闇の中を歩いていったんです。それ以降、彼女の姿は見ていません」


 森繁の説明を、扇柳はほとんど黙って聞いていた。


「扇柳さん。ぼくはまだ、よくわからないんです。いったい、なにが起こったんだと思います? 志緒理くんは、どうしてしまったんでしょうか」


 扇柳は低く「ううむ」と唸ると、ため息交じりにこう言った。


「それはおそらく、ヒイミが自由になったのじゃ」

「円筒鏡が、割れたせいで?」

「そうじゃ。それで《猿》との繋がりが切れて、各地の呪いが収まりつつあるのじゃろう」

「なるほど」

「だがそのとき…筒の中に閉じ込められていた異形のヒイミを見て、志緒理は悲鳴を上げた…」

「では、雄叫びのような風は」

 森繁の問いかけにすぐには答えず、扇柳はフゥと息を吐いた。それから沈んだ声で、

「…ヒイミが志緒理に憑依したんじゃないかと、わしは思う」

「憑依…? なんだって憑依なんか」

「長く封印されていた怨霊は霊的エネルギーが万全ではないからな。生身の人間から吸い取って回復するということがある…」

 扇柳の言葉に、森繁はぎょっとした。

「えっ、それじゃあ、志緒理くんはこのままだと…」

「ああ。まずい状況だ」

「なんてことだ!」


 森繁が頭を抱えて叫ぶ。


「早いところ、探さなければ! どこです。どこにいるんです、彼女は!」

「まあ待て。それについては考えがある」


 慌てふためく森繁とは対照的に、扇柳の口調は冷静だった。


「というと?」

「ヒイミが志緒理に取り憑いてまで復活しようとしているなら、目的があるはずじゃ」

「目的…?」

「森繁。おまえが誰かに閉じ込められ、強制的に働かされていたとしよう。解放されたら、まずなにをしたい?」

「ぼくなら…」


 森繁が顎に手を当てて考える。


「一発と言わず何発か殴りたいですね。その誰かを…あっ」

 森繁はハッとして目を見開いた。

「──仮屋町に向かうつもりなのでしょうか?」

「森繁。志緒理を助けられるかはわからん。だがなにもしないわけにもいかない。急いで仮屋町へ向かえ。わしも行く。そこで落ち合おう」

「は、はい!」

 森繁が力強くうなずいた。

 ちょうど6両編成のモノレールが、ホームに滑り込んでくるところだった。


(続く)

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