第36話 隧道

 ◇ 32 ◇


 入山口と思われる道は、車一台通るのがやっと、というような細い砂利道だった。

 緩やかに右へカーブしながら上り坂になっているその道は、木々に囲まれていて、昼間だというのに薄暗く、先が見通せない。まるで来る者を拒絶するかのような薄気味悪さが漂っていた。


 電柱は一本もなく、脱輪を防ぐような路肩のコンクリートもなければ、ガードレールもない。明らかに長い間、人の手が入っていないようだった。そんな道を5分ほど走ったところに、赤い車が停まっているのが見えた。


「あれは…」


 おそらく沖山のものだろう。郷土資料博物館の駐車場に停まっているのを見た記憶がある。森繁は少し離れた位置で車を停めると、なるべく静かにドアを閉めた。忍び足で赤い車に近づいてみる。車内に人影はない。


「この先は、徒歩ってことか」


 道はよりいっそう狭くなり、木の根やツタが好き勝手に伸びている。車で進むのは、無理がありそうだった。

 森繁はいったん車まで戻ると、助手席のPCをリュックに放り込んで肩に掛けた。そのときだった。


「やめてっ、離して!」


 雑木林に志緒理の声が響いた。トンネルの奥から反響してくるようなくぐもった声だったが、確かに志緒理だった。


「こんなところ行くなんて無理よ! 一人で行けばいいじゃない!」


 すぐさま森繁が声の位置を特定しようと周囲を見渡す。しかし声は上の方から聞こえてくるのがわかるばかりで、方向は定まらない。


「うるさいっ。突き落としてもいいんだぞ! つべこべ言わずに進め!」


 沖山の声も聞こえてくる。


「ちょっと、やめてってば! 押さないで! きゃあ!」


 志緒理の悲鳴を最後に、二人の声は聞こえなくなった。


「志緒理くん! どこだい! 志緒理くん!」


 森繁がありったけの声で叫んだ。しかし声は木々の葉音に溶け込むばかりで、志緒理からの返事はない。

 近づいていることは間違いない。なのに、突然聞こえたり、聞こえなくなったりするのはどういうわけだろう。


「おーい、志緒理くん! どこだーい!」


 森繁は駆け足で山道を登り始めた。返事は期待していなかった。沖山に脅されて声を出せない可能性もあるからだ。けれどこちらからの声が聞こえていれば、少しは勇気づけられるはず。そう考えて、森繁は声を出し続けた。


「志緒理くん! ぼくだよ! いまに助けるからね!」


 すると50メートルほど登ったところで、再び声が聞こえた。


「…んせい! 先生……」


 やはり反響はしていたが、声の聞こえ方はさきほどよりもずっと明瞭だった。近くに、いる。


「志緒理くん! どこだい! 志緒理くん!」


 森繁は急いで周囲を見渡した。


「先生! ここです! 先生…!」


 さらに近くに聞こえる。森繁が目を皿のようにしてあたりを見回す。しかし志緒理の姿はまったく見えない。


「なにか合図をして! まったくわからない!」

「だから、ここです!」


 突然、土の中から森繁に向かってヌッと細い腕が伸びた。


「おわっ」


 森繁が驚いて尻餅をつく。


「な、なんだぁ!?」

「わたしです! ここにいるんです!」


 腕がスッと地面の中に戻っていく。森繁が這うようにして腕の出てきたあたりに近づくと、シダの葉に隠れて、人の頭部ほどの穴が空いているのがわかった。


「こ、これは…穴? 地下トンネルか! 入口はどこだい?!」


 穴の向こうに、志緒理が顔を覗かせる。


「そんなこといいから! 先生、引っ張って! あいつが来る!」

「よ、よし、わかった!」


 森繁が腕まくりをして穴の中に手を突っ込もうとした、そのときだった。


「どこへ行こうと言うんだい」


 という声とともに、オレンジ色の灯りが穴の中に見えた。


「きゃあ! 見つかった!」

「志緒理くん、早く手を!」


 森繁が急いで穴の中に手を差し込む。しかしその手に焼けるような痛みが走った。


「うお、あっつ!」


 反射的に森繁が手を引っ込める。その直後、穴の中からヌッと松明が突き出てきた。森繁が再び尻餅をつく形で穴から離れる。すると穴の中から沖山が顔を覗かせて言った。


「誰かと思えば森繁先生ですか。困るなぁ、邪魔をされたら」

「志緒理くんを離してください!」

「ははは。ま、そうはいきませんでね。ほら、こっちに来るんだ」

「先生…!」


 二人の声が遠ざかっていく。


「志緒理くん!」


 森繁は穴に飛びつくと、顔を突っ込んだ。中は真っ暗で、二人がどっちに向かったかもわからない。


「くそっ」


 森繁は顔を上げて立ち上がると、思いきり穴の周囲を蹴飛ばした。

 すると、ボコッと土が抜けて、穴が広がった。


「ん? これってもしかして」


 ──このまま穴を広げたら中に入れるんじゃ…?


 やってみる価値はある。

 森繁は「よし」と気合いを入れると、繰り返し繰り返し穴の周囲を蹴り続けた。そのたびに土が穴の中に落ちていく。5分ほどもそうしていると、人の頭部ほどの大きさだった穴は、肩幅くらいの広さになっていた。


 ──これなら、入れる!


 森繁はリュックを穴の中に放り込むと、足から中に滑り込んだ。立ち上がってみると、意外に天井が高く、大人の男でも立って歩くことができそうだった。手探りでスマホを取り出して、フラッシュライトをオンにする。


「なんなんだ、この穴は」


 改めて周囲を見回すと、ほとんどは土壁で、ところどころ木材で支えられている。いつの時代に掘られたかはわからないが、かなり古い作りのようだった。


「…かなり興味を引かれるが…調査は後回しだな」


 誰に言うでもなくそうつぶやくと、森繁はLEDの青白い光を穴の奥へと向けた。三つ叉の分岐が見える。迷路のようになっているのだろうが、足跡が2つ、右の分岐へ向かっているのがはっきりと見て取れた。


「しめた」


 これをたどっていけば、二人のあとをつけるのは簡単だ。森繁はリュックを背負い直すと、物音を立てないように注意深く奥へと向かった。


(続く)

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